「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

はてなダイアリーに引越しました

 ご訪問ありがとうございます。
 以前のエントリーでお知らせした通り、本ブログ(エキサイト版「ニュース・ワーカー2」)は2008年11月末日をもって更新を停止し、「ニュース・ワーカー2」は「はてなダイアリー」に引越しました。ただし「はてな」版のエントリーは2008年11月以降のものです。2008年4月から10月までのエントリーは、本エキサイト版をご参照ください。
 
 コメント、トラックバックは「はてな」版(承認制です)へお願いいたします。本エキサイト版のコメント、トラックバック欄は近日中に閉鎖する予定です。
 個別のご連絡はメールでお願いいたします。

はてな版「ニュース・ワーカー2」
http://d.hatena.ne.jp/news-worker/
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# by news-worker2 | 2008-12-01 00:12 | 管理人ごあいさつと自己紹介

読書:「次世代マーケティングプラットホーム」(湯川鶴章 ソフトバンククリエイティブ)

はてなダイアリーへ引っ越し準備中です

d0140015_1464464.jpg マスメディア、それも新聞産業の編集職場で働いていると、新聞記者が語るジャーナリズムは、「新聞」というマス媒体が今後も今までと同じようなマス媒体であり続けることが前提になっている、と感じます。「新聞が読まれなくなっている」こと自体は、最近では新聞社内で販売部門や広告部門だけでなく、編集部門の記者でもみな自覚しています。しかし「どういう風に読まれなくなっているか」となると、考えている人は意外と少ないのではないかと思います。新聞を手に取ってくれる人が減ってきていることは知っている。しかし「読者」と聞いて思い描くイメージは今までと変わらない「マスの人々」のまま。新聞記者の多くは、それが実状ではないか。日々、働いている中でのわたしの実感です。
 少しだけ具体的に言えば、新聞の作り手の側が考えるジャーナリズムでは「生活」とか「生活者」が大きなキーワードになっています。年金問題にしても、医師不足など医療問題にしても、あるいは米国発の金融・経済危機にしても、それをどう報道していくかというときに必ず「生活にどうかかわるか」「生活者の視線で」ということが重視されます。用語のバリエーションとしては「庶民」もこうした発想に含まれています。少し前に、新聞各紙がこぞってルポ風に取り上げた麻生首相のホテル・バー通いなどは、こうした発想がストレートに記事に反映された例と言っていいと思います。
 わたしは最近、そうした「読者=生活者=庶民=マスの人々」という新聞の作り手側の画一的とも言っていい発想に、違和感を抱くようになってきました。働き方一つを取っても、賃金労働者の3分の1以上を、派遣社員をはじめとする細切れ雇用の「非正規労働者」が占めるようになって久しいというのに、あたかも均一な「マス」が以前と同じように読者として記事を待っているかのような発想から抜け出ていないのではないか、という気がしています。ワーキングプアと呼ばれる貧困層にとって、朝夕刊セットで月々4000円近い大手紙の購読料は、それこそ「生活」防衛のためには真っ先に切り捨てられる項目でしょう。何の疑いもなく「夫婦と子ども2人の標準的な世帯の場合」といった例えが書かれている記事を、結婚したくともできない、子どもを産みたいと思っても産めない非正規雇用の若年層が読みたいと思うでしょうか。
 営業部門だけではなく編集部門の記者も、いや記者職こそ、「読者」を真剣に考えなければならないと思います。いったい、だれに読んでもらうために取材し記事を書くのか、ということです。そもそも取材にコストがかかることは、記者ならだれでも知っています。コストをかけて(何人もの記者を抱える人件費も含めて)丹念な取材ができることが新聞のジャーナリズムの特長である以上、そのコストをどうひねり出すかという問題は、一義的には経営の問題だとしても、今や「だれに何を読んでもらうのか、そしてだれから金をもらうのか」という意味で、編集のジャーナリズムも無関係ではありえません。新聞のジャーナリズムのどこがどう変わっていけばいいのか、答えはそんなに簡単には見いだせないと思いますが、議論と模索は必要です。
 前置きが長くなりましたが、そんなことを考えているときに時事通信編集委員の湯川鶴章さんの新著が刊行されました。一般にはタイトルからも内容の面でも、広告論として読まれているようですが、新聞をメインとする既存マスメディアの編集職場にいるわたしにとっては、新聞のジャーナリズムの今後を模索する上で示唆に富んだ一冊になりました。
 繰り返し登場するキーワードは漫画サザエさんに出てくる「三河屋さん」。磯野家の家族構成はもちろんのこと、しょう油1本にしても「そろそろ切れるころだ」と思ったら注文取りのときに「しょう油はどうしますか」と水を向け、波平さんの血圧が高ければ減塩の商品を奨める。例えればそんな情景で、顧客の嗜好・事情ごとにきめ細かく対応する情報サービスがデジタルの技術革新によって実現し、将来は広告のみならず消費行動そのものまで変わっていく、との指摘が、米国の最新事情の取材成果とともに示され、質の高いルポルタージュを読んでいるようなおもしろさに、知らず知らずのうちに引き込まれます。
 本書で直接、紹介されているのは広告ですが、これを記事(ニュース)の流れに置き換えればどうなるだろうか、ということを読んでいる最中から考えていました。新聞にしてもテレビにしても、ニュースは送り手側が「これがニュースだ」と判断したものを独自にパッケージにまとめて、マスの読者に向けて発信してきました。新聞社が自社サイトを設けてネット上でもニュースを発信するようになっても、根っこのところのニュースに対する考え方は変わりがありません。話をすっきりさせるために、新聞に限定して書いていきますが、新聞社からマス読者へ、「1対多数」の関係です。
 しかし、ネットとテクノロジーによって、まず広告が「1対多数」から「1対1」にシフトしていくのだとしたら、この先に何が起きるのでしょうか。新聞社の収益は大きく言えば広告料と購読料の2つです。新聞の広告媒体としての地位の低下と、販売部数の低迷が新聞社の経営を大きく揺さぶりつつあることは一般にも知られるようになっています。既に新聞社はどこも相当な金と人手をかけてネット展開に乗り出していますが、本気で新たな収益源の確保をネットに求めようとするなら、少なくとも画一的な「読者=生活者=庶民=マスの人々」を想定したような、従来のジャーナリズムだけでは太刀打ちできないと思います。マスの中の一人ひとりの「個」を見ながら「1対1」の関係を想定したジャーナリズムの可能性をいかに模索していくのか。情報の送り手と受け手の「1対1」の関係の集積としての「マス」、その意味でのマスメディアにどうやって自らを変えていくのか。当然、読者との間に双方向の関係もなければならないでしょうし、メディア内部での「個」の尊重という観点も重要です。要は、ジャーナリズムの中味も変わらなければ、新聞社は企業としても、ジャーナリズムとしても生き残れないのではないか。そこに経営者はもちろんのこと、一人ひとりの記者も気付くかどうかがポイントなのだという気がしています。
 湯川さんが本書を書かれた意図、訴えたかったことを正確にわたしが理解できているかどうかは心もとないのですが、以上が新聞記者の一人としてのわたしなりの読後感です。

 湯川さんには新聞労連の専従役員時代、労連の学習集会などで何度も講師をお願いしました。ネット社会をどう考えていけばいいのか、当時、湯川さんに教えていただいたことを一つひとつ思い出しながら、わたしの立場でわたしなりの実践を模索しています。本書も1人でも多くの新聞記者に読んでほしいと思います。
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# by news-worker2 | 2008-11-30 13:53 | 読書

お知らせ:12月9日のNPJ勉強会に参加します

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d0140015_138499.jpg お知らせです。いつもこのブログのエントリーを紹介いただいているニュースサイト「NPJ」(News for the People in Japan)にお誘いをいただき、12月9日午後5時半から東京・立教大学で行われる勉強会「マスメディアと市民メディア 何が伝えられるの?~伝わることと伝わらないこと~」にパネリストの1人として参加することになりました。詳しくはこちらをご覧ください。
 他のパネリストは下村健一さん、田畑光永さん、NPJ編集長の弁護士日隅一雄さんで、コーディネーターは立教大学の服部孝章先生。そうそうたる皆さんの中で、わたしだけ場違いな感じもして気後れしそうなのですが、マスメディアの一角で働く記者の一人として、現場の声のようなものを伝えることが役どころだろうと思います。併せて、市民メディアとマスメディアの間のより良い関係について、わたしなりに思うところもお話できれば、と考えています。
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# by news-worker2 | 2008-11-27 01:38 | 新聞・マスメディア

「テロ」の見出しに部内議論はあったのか~元厚生次官ら連続殺傷の報道で考えること

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 さいたま市南区で18日午前、元厚生省事務次官の山口剛彦さん夫妻が殺害されているのが見つかり、夜には東京都中野区でやはり元厚生省事務次官の吉原健二さんの妻が自宅で刺され重傷を負った事件は、22日夜になって警視庁に血の付いたナイフなどを持った男(小泉毅容疑者)がレンタカーで出頭し、捜査が大きく展開しました。「ペットを保健所に殺された」などの供述は動機として理解しにくく、本当に彼が真犯人なのか、ということも含めて、事件の全体像の解明にはなお時間がかかると思います。新聞をはじめマスメディアは、予断を排してまずは事実を伝えていくことに徹しなければならない、そういう事件だと思います。
 「予断を排して事実を伝える」ということにも大きくかかわってくるのですが、この事件の報道をめぐっては、事件発生以来、気になっていることがあります。「テロ」という用語です。
 事件と報道の経緯を簡単に振り返ると、まず18日午前、山口さん夫妻が自宅で殺害されているのが見つかりました。この時点では、山口さんが元厚生次官という高級官僚だったことに驚きはあったものの、警察の捜査も報道も、怨恨なのか強盗殺人なのかなどを含めて予断を排した慎重な姿勢でした。しかし、その日の夜、吉原さんの妻が襲われたことが判明すると、状況は一変します。マスメディアの報道は早い段階からほぼ一斉に「政治的目的を持った連続テロの可能性」を前面に出します。警察当局がそうした見方をいち早く打ち出したことが最大の要因だったと思います。被害者像が「ともに事務次官経験者の元厚生官僚」に加え「ともに年金行政の専門家とされ、同時期に『年金局長―年金課長』を務めていた接点がある」など、相次いで襲われたことは「偶然」とは考えにくく、いわゆる「消えた年金問題」などで厚生労働省、社会保険庁が批判を浴びていたことなどを考えれば、警察、あるいは政府とすれば、犯人逮捕もさることながら第三の被害を未然に防ぐことの方がより切迫した課題だったと思います。
 明けて19日、仮に政治的な目的を秘めた「連続テロ」ならば、犯人から何らかのメッセージが発せられるのではないかという予測がありましたが、結局は何もありませんでした。20日以降、2件の事件の共通点がいっそう鮮明になり、同一犯説が強まっていきますが、報道からは「テロ」という用語は後退していきました。
 さて、わたしが気になっているのは、18日夜の段階で警察や政府当局が「連続テロ」を想定することと、新聞などマスメディアが事件を「連続テロ」として、ないしは「連続テロの可能性」を報じることとを、当のマスメディアはどこまで峻別していたか、あるいは峻別しようとしたか、ということです。手元の新聞で調べた東京都内発行6紙の19日付朝刊の第一面本記がどんな見出しになっていたかを列記します。

 ▽朝日新聞
元厚生次官狙い連続テロか」「山口夫妻殺害 吉原氏の妻重傷」「年金改革進めた2人」
(本文中は「警察庁は連続テロとの見方を強め~」)
 ▽毎日新聞
元厚生次官宅連続襲撃」「中野でも妻が重傷」「宅配装った男に刺され」「警察庁『年金官僚』警備強化」
(本文中は「警視庁と埼玉県警は2人の次官が同じような経歴を持ち、手口も似ていることなどから関連があるとみて捜査~」)
 ▽読売新聞
元厚生次官宅連続テロ」「都内、妻刺され重傷」「さいたま夫婦刺殺」「共に元年金局長」
(本文中は「警察庁は~テロの可能性があるとみて」)
 ▽日経新聞
元厚生次官狙い連続襲撃か」「さいたまで夫婦刺殺」「東京・中野でも妻重傷」
(本文中は「警察庁は厚生次官経験者らを狙った連続テロ事件の可能性もあるとみて~」)
 ▽産経新聞
元厚生次官宅連続テロか」「埼玉で夫婦殺害 中野で妻重傷」「ともに年金ポスト経験」
(本文中は「警察庁は連続テロの可能性があるとみて~」)
 ▽東京新聞
元厚生次官宅連続テロか」「中野でも妻刺され重傷」「さいたまの夫妻殺害と断定」「警察当局、関連を捜査」
(本文中は「警察庁は元厚生官僚を狙った連続テロの可能性もあるとみている」)

 独自のニュースバリュー(価値)判断を身上とする新聞にとって、第一面のトップ記事の見出しは言ってみればメディアとしての「命」のようなものです。その見出しを比べると、毎日と日経が「テロ」を使っていないのが目を引きます。毎日は一面の本記本文のリード中にも使っていません(社会面には「年金テロなのか」の大見出し)。一方、「テロ」を使用した4紙の中で朝日、産経、東京の見出しはいずれも「連続テロか」と、断定は避けた表現なのに対し、読売だけは「連続テロ」と言い切った表現です。本文中は「テロの可能性があるとみて」となっているのにです。「テロ」の強調度は読売>朝日、産経、東京>日経>毎日の順になります。
 続く19日付夕刊の一面では、見出しから「テロ」がなくなっているのが大勢を占める中で、読売新聞だけは事件名を示す3本目の見出しに「元厚生次官宅連続テロ」と取り、本文中にも「連続テロとみられる事件で」と朝刊の「可能性」から一歩進めた表現になっていました。ちなみに翌20日付朝刊一面では各紙とも見出し、本文とも「テロ」は消えました。
 各紙とも把握している情報はほぼ同一なのに、なぜこれだけの違いが出たのでしょうか。推測にすぎないのですが、毎日新聞や日経新聞では、編集部門で「テロ」の用語の定義づけに相当な議論が行われたのではないかと考えています。
 そもそも「テロ」の用語には、例えばウイキペディアの「テロリズム」の項をみても、一般に広い解釈の余地があるとの印象があり、何がテロなのかの定義づけ自体に政治的な意味合いが含まれることも指摘されています。18日夜の時点で、警察当局にとっては第3の事件を起こさせてなならないことが最重要であり、その観点からは政治的目的を持ったテロの可能性も想定しておかなければならなかったことは当然でしょう。警察当局のその想定に沿って、新聞などマスメディアがテロの可能性を報じることは必ずしも間違いではないし、警察当局が2件の事件の関連性をどうとらえているかということ自体、ニュースバリューはあります。
 しかし、一方で「テロ」という用語からイメージするものが人それぞれによって幅があることを踏まえるなら、警察当局が「テロ」という用語を使っているからといって安易に使わず、言葉を置き換えて報道することもまたジャーナリズムの見識ではないかと思います。用語の定義づけも定かではないままに安易な用法に流れることは、自覚しないままに当局側と同じものの見方に立ってしまう危険があるからです。
 「テロ」という用語は、外信部門では例えば米国の「テロとの戦い」、イラク情勢で「自爆テロ」などの用語が紙面に載っています。「テロとの戦い」は米国大統領が言い出したまさに政治的用法として、そのままに伝えることにも意義があると思いますが、イラクの米兵に対する「自爆テロ」は「自爆攻撃」と置き換えることも可能です。「テロ」を使うことで、知らず知らずのうちに米大統領と同じ価値判断に立ってしまう恐れはないでしょうか。アラブ情勢に詳しい記者からかつて聞いた話ですが、日本のマスメディアが「米兵にまたテロ」と伝えた同じ出来事を、アラブの反米系メディアは「抵抗勢力が連戦連勝」と伝えていたそうです。
 いずれにせよ、情報は言葉を介して伝わっていくものである以上、解釈に幅がある用語、それ自体に政治的意味合いを持つ用語などは、マスメディア内で用法を日常的に議論し、できれば可能な限りの定義づけや用法のガイドラインのようなものを情報の受け手(新聞ならば読者)に対して公開するスタンスもあっていいと思います。
 今回の事件の新聞各紙の報道に話を戻すと「どこそこの新聞はおかしい」という問題ではないと思いますが、事件を伝えるメインの記事の中で「テロ」の使用を限定的にした毎日新聞の見識は注目されていいと思います。
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# by news-worker2 | 2008-11-25 01:09 | 新聞・マスメディア

中労委に初めて非連合委員~労働運動に新しい機運を期待

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 労働争議を第三者の裁定に委ねようとする場合、行き先は大きく分けて裁判所と都道府県の労働委員会の二つがあります。裁判所の場合は、判決や決定に不服なら高裁などへ上訴する道があり、それと似て労働委員会にも、労働組合法に基づく国の行政委員会である中央労働委員会という上位裁定機関があります。中労委は使用者委員、労働者委員、交易委員の3者構成で各15人。少し前のことですが、その労働者委員に初めて連合(日本労働組合総連合会)以外から、全労連(全国労働組合総連合)出身の委員が16日付で選任されました。一般にはあまり注目されないニュースですが、わたしは労働運動の新しい機運を期待できる出来事として、好意的に受け止めています。
 労働運動のニュースをマスメディアの報道で見ていると「労働組合=連合」と受け止めてしまいかねないほど、労働側の動きと言えば連合ばかりが報道されています。日本のいわゆるナショナルセンターには、連合のほかにも全労連があるのですが、報道の上ではなかなか目にしません。厚生労働省の昨年6月現在の調査では、連合662万2千人、全労連68万4千人と、その組合員数には相当の差があることが主な理由と思います(少数意見にも光を当てるべき、との観点に立てば、いくら数に違いがあるとはいえ、現在のマスメディアの報道スタンスには問題があると考えていますが、ここではさて置きます)。別に労働組合の全国組織としては、国鉄労働組合(国労)などが加盟する全国労働組合連絡協議会(全労協)がありますが、ナショナルセンターとしてカウントされていません。このほか、連合、全労連のいずれにも加盟しない組合もあり、わたしが専従役員を務めた新聞労連もそうした「中立系」と呼ばれる産業別組合の一つです。 
 ここからはわたしの個人的な理解ですが、日本の労働組合運動は1980年代後半、連合と全労連の2ナショナルセンターへと再編が進む課程で、同じ産業内でも連合系、全労連系という風に産別組合が分かれていきました。分かれなかったところは連合、全労連の双方に入ろうにも入れない、どちらかに行こうとすると分裂するという状況でした。なので、もともと連合系と全労連系は仲がよくありません。労働界再編後の中労委員選任が連合独占で推移してきたのも、仮に労働行政当局が全労連系の委員を選任しようとしても、連合がそれを許さず(連合が労働行政に協力しない事態は、労働行政当局も避けたかったのだと思います)、結果として実現してこなかったのだろうと考えています。
 中労委員の連合独占に対し、全労連や中立系の労組、新聞労連も加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)は非連合系の委員選任を求めて共闘会議をつくり、統一候補を立てて推薦してきました。わたしもMIC議長として、この取り組みに参加していました。今回の非連合委員の誕生を、まずは素直に喜んでいます。同時に、そうした労働運動の潮流間の〝勢力争い〟の観点にとどまらず、労働運動に芽生えている新しい機運が育っていくことを期待できる出来事ではないかと考えています。その機運とは、働く者の権利の擁護のために潮流の違いを超えて共闘する、ということです。
 前回のエントリーでも触れましたが、ワーキングプアや貧困が社会問題化し、既存の労組とは一線を画した個人加盟ユニオンが立ち上がっています。その中で連合も全労連も、既存の労組間で縄張り争いに暮れている場合ではない、ということにとうに気付いています。実際のところ、わたし自身も争議の現場で、潮流の違いを超えて支援する、支援を受けるという体験をしましたし、既存の正社員労組が、非正規雇用の人たちと連帯・共闘を図る取り組みにも参加しました。そうした労働運動の中の新しい機運が、今回の中労委員選任にも反映されたのではないか。希望的観測に過ぎないかもしれませんが、わたしはそう受け止め、労働運動の今後に期待しています。
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# by news-worker2 | 2008-11-21 01:05 | 労働運動

読書:「労働再規制―反転の構図を読みとく」(五十嵐仁 ちくま新書)

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d0140015_162250100.jpg 書評と言うより、個人的な体験を重ね合わせた勝手な感想です。
 本書は、労働・雇用分野の社会的規制をめぐる流れが小泉政権時の規制緩和一辺倒から再規制へと転換しており、大きな転機は小泉元首相が退陣した2006年だったと指摘しています。厚生労働省官僚らによる「官の逆襲」の一面もあり、小泉「構造改革」の見直しと転換という側面と、政官財癒着構造の復活と既得権益の擁護という側面の二面性があることに注意を促しています。そうした指摘を踏まえた上ですが、わたしは「労働再規制」という今の流れを歓迎したいと思います。
 わたしは2回の労働組合専従役員の経験があります。最初は2001年から1年間、所属する企業の企業内労組でした。2回目は上部団体の産業別組合である新聞労連(日本新聞労働組合連合)で、2004年から2年間でした。わたしが労働組合専従を降りて、新聞産業の編集職場に復帰したちょうどそのころ、労働規制をめぐる動きに大きな転機があったことになります。
 新聞労連にいた当時のことで、思い起こすたびに今も切なさを覚えるいくつかのことがあります。そのうちの一つが、2005年の「郵政民営化」選挙です。公共サービスも例外を認めず市場競争に委ねることが、そこで働く人たちに過剰な負担と犠牲を強いることになるのではないか、との疑問をわたしは抱いていましたし、この流れが果てしなく進んでいったときに社会はどうなるのか、強い疑念も持っていました。労働分野の規制緩和が、新聞産業でも正社員から非正社員への置き換えを促進させていることに既に気付いていましたし、非正規雇用の人が理不尽に雇い止めに遭ったケースも見聞きしていました。争議支援にも加わっていました。だから、郵政民営化に反対する当該職場の労働組合の主張に、同じ労働組合運動に身を置く者としてシンパシーを持っていました。しかし、小泉首相の「労働組合は抵抗勢力」とのワンフレーズに、労働運動の側の声はかき消されていった観がありました。確かにわたしは規制緩和一辺倒の「構造改革」に「抵抗」する立場でした。自民党圧勝の結果をみながら、本当に切ない気持ちになりました。
 しかし、翌2006年8月の新聞労連役員退任・職場復帰のころには、社会の雰囲気も郵政選挙のころと変わってきた、との印象を持っていました。朝日新聞が先駆けた偽装請負告発のキャンペーン報道やNHKスペシャル「ワーキングプア」などによって、労働運動の内部では既に知られていた労働・雇用分野の「構造改革」のマイナス面が、かなり社会一般にも知られるようになっていました。また、既存の企業内労働組合とは一線を画した個人加盟のユニオンが次々と立ち上がり、独自の団体交渉や争議で、労働条件改善や企業に法令を順守させるなどの成果を挙げていました。そんな中でわたし自身は、正社員の仕事に就けないのも貧困状態に陥るのも、すべてを「自己責任」で片付けるわけにはいかないのではないか、と考えていましたし、既存の労働組合も企業内サークルに閉じこもるのではなく、個人加盟のユニオンなど、新しい労働運動の潮流とも連携していけるような自己変革を進めるべきだと考え、口にもしていました。
 その後の2年間余り、復職後は日常の雑事にかまけて、組合専従時代のようには労働・雇用分野の規制をめぐる議論を逐一フォローできずにいました。本書は、2006年以後に政策決定の流れが変化していった経緯を丹念に検証し、コンパクトにまとめており、頭の中を整理するのにとても役に立ちました。そして、3年前の郵政民営化選挙の当時と比べると、自分と同じ考え方の人が増えているのかもしれないと考えると、3年前から抱き続けている切なさの感情が、多少は軽くなったような気がします。
 本書は、労働組合の執行部に身を置き、自分たちの職場と仕事の今後を社会全体の変化と関連付けてどう考えていけばいいのか、運動方針を提起する立場の人には有意義な一冊だと思います。また、小泉元首相が政界引退を表明し、新自由主義の本家本元とも言うべき米国では大統領選でオバマ氏が圧勝した今、過去を振り返りつつ今後の社会のありようを考えて行くのにあたっても、有用な一冊だと思います。
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# by news-worker2 | 2008-11-16 16:24 | 読書

お知らせ:新聞労連の就職フォーラム、11月30日東京、12月6日大阪

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 新聞業界を就職先に考えている学生さんらへのお知らせです。
 全国の新聞社の労働組合でつくる新聞労連が、11月30日に東京で、12月6日に大阪で、新聞業界就職フォーラムを開催します。2010年春入社を目指す方々(10生)が主な対象です。
 以前のエントリー(お知らせ:9月に「マスコミ就職フォーラム」が開かれます)で紹介した出版や広告の労働組合との共催フォーラムの延長で、新聞業界に特化した内容です。今回のフォーラム自体は、新聞の仕事をビビッドに知ってもらい、職業選択の判断に役立ててもらうのが狙いです。採用試験対策のハウツーものではありませんが、参加すれば新聞社のデスククラスによる作文講座の応募資格もあるようです。
 詳しくはこちらへ。有料です。

 作文講座はわたしも新聞労連委員長の当時から講師を務めました。実践的な講習で、間違いなく文章を書く力がアップすると思います。仮に新聞以外の産業で働くとしても、「文章が書ける=伝えたいことを着実に伝えられる」能力は、様々に役に立つと思います。
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# by news-worker2 | 2008-11-11 00:55 | 新聞・マスメディア

お知らせ:ブログ引越し準備に入ります

 お知らせです。
 本ブログを「はてなダイアリー」に引っ越すことにしました。
 新しいURLはhttp://d.hatena.ne.jp/news-worker/です。
 当面は準備期間として、エキサイトの本ブログを「主」、はてなを「従」としてエントリーを両方にアップしますが、はてなに習熟したところで、本ブログは更新を停止する予定です。準備期間中はコメント、トラックバックはどちらのブログでも結構ですが、はてなはコメント、トラックバックとも承認制です。
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# by news-worker2 | 2008-11-09 01:47 | 近況・雑事

続・高須大将の述懐

 田母神俊雄・前航空幕僚長の侵略戦争否定発言をめぐって、前回のエントリー「五・一五事件裁判長が遺した述懐~『前空幕長処分せず』で危惧されること」で取り上げた阿川弘之「軍艦長門の生涯」に出てくる高須四郎大将の逸話について、エントリーでもご紹介したブログ「ある教会の牧師室」管理人のちばさんから、引用した該当部分の原文をメールでご教示いただきました。またわたしの引用の適否についても丁寧なご指摘をいただきました。
 前回のエントリーでわたしは「五・一五事件で軍人たちの処断が甘かったことが後年の二・二六事件を誘発する一因になったとの指摘を、敗色が濃くなる中で死の床にあった高須大将自身が完全には否定しきれなかった(自分の判決が「間違っていた」とは思っていなかったにせよ)のではないかと、わたしは受け止めています。」と書いたのですが、ちばさんにご教示いただいた原文では、高須大将は息子に、以下のように語っています。
「五・一五事件の処置が甘かったから、次に二・二六事件を誘発したと言う人があるが、それは時間の経過の上でそう見えるだけの話で、歴史を知らない人の言い草だと思う。海軍にかぎっては、あの判決のあと、青年将校の政治関与とか、暗殺事件とかいったものは一つもおこっていない。米内(光政)さんが大臣に、山本(五十六)さんが次官に坐って、非常にはっきりした強い態度を部内に示されたせいもあるけれども、海軍は分裂の方向から統一の方向へ向って行った」
「死刑にして国内だけで簡単におさまるものならいいが、そう行かない証拠に、二・二六事件の時は、あれだけ大勢の被告を銃殺しておきながら、陸軍はたちまち翌年、盧(※原文は草冠が付いている)溝橋でああいう暴発をしたじゃないか。謀略の手は、こちらの側からだけ動いたのではないかも知れないが、結局その後始末をつけようとして、日独伊三国同盟、仏印進駐、対米英開戦と、こんにちの事態まで追い込まれてしまった。満州事変以来の総決算がここまで来たんだよ。残念なことだ。五十六さんだけは、私のほんとうの気持ちを分かってくれていたように思うがね」

 田母神氏の論文問題に即して高須大将の述懐を考えるなら、今日の防衛省・自衛隊に、米内光政海軍大臣―山本五十六次官のような「非常にはっきりした強い態度」でシビリアンコントロールの理念を部内に示すような存在が必要なのだ、という気が今はしています。
 阿川弘之さんの作品群には、米内光政や山本五十六とともに、「最後の海軍大将」である井上成美とあわせて「提督3部作」と呼ばれる3作の評伝もあり、今日の自衛隊のあり方を考える上でも示唆に富むエピソードが豊富に収録されています。統帥権が独立していた当時でも「軍人が政治に関して外部で発言するのは大臣に限る」との姿勢を強く部内に示していた米内光政や山本五十六、井上成美らのエピソードは、強く印象に残るものですが、これらの評伝も手持ちの原本が見つからないので、ここでのこれ以上の紹介はやめます。

 田母神氏の問題をめぐってはその後、APAグループの懸賞論文に90人以上の自衛官の応募があり、中でも航空自衛隊小松基地の第6航空団所属の尉官、佐官が約60人と多かったことが明らかになっています。その小松基地では、田母神氏が6空団司令時代の1999年にAPAグループ代表の元谷外志雄氏らが中心になって、金沢市に「小松基地金沢友の会」をつくっていたことも明らかになりました。他の自衛官が応募した論文の内容は明らかではありませんが、田母神氏の問題は田母神氏1人の問題にとどまらないのかもしれません。
 わたし自身は、自衛官であってもどのような歴史観・思想を持っているかは基本的には個人の「内心の自由」に属するものの、それを自衛隊の外部に公表するとなると、「言論の自由」ではすまされない別の問題になる、と考えています。国家の暴力装置の一部である自衛官は、その職務について憲法と自衛隊法で文官の指揮監督下にあることが明記されています。ことが政治的議論に及ぶテーマについては、私見を一切口に出さない、出すなら制服を脱いでからにすべきでしょう。
 わたしは田母神氏が更迭はされたものの定年退職となったことについては、やはり何らかの人事上の処分が必要だった(懲戒免職かどうかは別として)と考えています。同時に、今後のこととして、シビリアンコントロールの徹底が必要だと思います。実態として徹底されることももちろん大切なのですが、その理念をどう自衛隊内部で教育していくかということも重要だと思います。現代の米内光政、現代の山本五十六はいないのでしょうか。
 
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# by news-worker2 | 2008-11-08 23:44

五・一五事件裁判長が遺した述懐~「前空幕長処分せず」で危惧されること

 前回のエントリーで取り上げた航空自衛隊の田母神俊雄・前航空幕僚長の侵略否定論文問題で3日、大きな動きがありました。3日夜、防衛省は田母神氏が定年退職となったことを公表。防衛省の説明では、空幕長の定年は62歳、空将の定年は60歳で、10月31日の解任の時点で既に定年でしたが、懲戒処分に備えた調査のために定年延長になっていました。しかし、田母神氏は調査に応じることを拒否し、辞職の意思も示さなかったため、定年延長を打ち切ったようです。
 田母神氏も3日夜、東京都内で記者会見し、「日本は侵略国家ではない」とあらためて自説を述べた上で「解任は断腸の思い」「私の解任で、自衛官の発言が困難になったり、議論が収縮したりするのではなく、むしろこれを契機に歴史認識と国家・国防のあり方について率直で活発な議論が巻き起こることを日本のために心から願っている」などと述べました。
 マスメディアの報道を総合して判断するに、防衛省は田母神氏をかばって定年退職としたわけではないようです。むしろ、政府見解を否定する内容の論文(「論文」と呼ぶにはあまりに稚拙な内容だと思いますが、それはさて置きます)を官職名を明らかにして発表したことに危機感を抱いていることがうかがえます。いわば、前空幕長に「迫力負け」したということなのでしょうか。わたしは、こと政治にかかわる事柄は、仮に個人的な見解であっても、武力を手にする自衛官が官職を伴った場で公に口にすることは厳に戒めなければならないと考えていますし、それは憲法が保障する「言論の自由」とは異質の、異なったレベルの問題だと思います。その意味で、今回の田母神氏の論文は明確に自衛官として守らなければならない一線を踏み外していますし、何としても懲戒処分が必要だったと思います。
 田母神氏への処分見送りで危惧されるのは、自衛隊内で田母神氏と同じ考え、歴史観を持つ自衛官らが何か考え違いをしかねないことです。田母神氏は空幕長という組織のトップとして論文を公表したので咎められた、一介の自衛官としての発言なら許される、問題にはならないのだ、という考え違いであり、「言論の自由」のはき違いと言っていいかもしれません。

 思い起こされるのは、戦前の軍人の暴走です。
 旧海軍の大将で、戦争中の1944年9月に病死した高須四郎という人がいました。米内光政や山本五十六ら、不戦海軍を信条としていたいわゆる「旧海軍左派」に連なるとされる提督です。高須大将が大佐の当時に、1932年に海軍士官らが犬養毅首相を暗殺した五・一五事件の軍法会議で、裁判長にあたる判士長を務めました。軍法会議は一人も死刑判決を出さずに終わりました。
 阿川弘之さんの小説「軍艦長門の生涯」に出てくる逸話(手持ちの本が見つからず、記憶に頼って書いているのですが大筋は間違っていないと思います)で、病床の高須大将が息子に五・一五事件の軍法会議を述懐する場面があります。高須大将は、五・一五事件の判決が実行犯たちに甘かったために後年の二・二六事件を招いた、との批判があることを苦にしていることを吐露し「もしあの時、死刑になる者が出ていれば、同じ思想を持った者が暴発していたかもしれない。それを防ぎたかった」という趣旨のことを息子に話した、そんな内容だったと記憶しています。この点、ウイキペデイアの「高須四郎」の記述では、「『死刑者を出すことで海軍内に決定的な亀裂が生じる事を避けたかっただけだ』と家族に胸中を吐露していた」となっています。わたしの記憶に誤りがあるかもしれませんが、いずれにせよ、五・一五事件で軍人たちの処断が甘かったことが後年の二・二六事件を誘発する一因になったとの指摘を、敗色が濃くなる中で死の床にあった高須大将自身が完全には否定しきれなかった(自分の判決が「間違っていた」とは思っていなかったにせよ)のではないかと、わたしは受け止めています。
 田母神氏の論文問題に話を戻すと、田母神氏を最優秀賞に選考したAPAグループ主催の懸賞論文には、ほかにも50人以上の自衛官が応募していたことも報道されています。田母神氏が空幕長職を解かれはしたものの、一自衛官としては何ら処分を受けることなく定年退職したことは、これらの自衛官にどう受け止められるでしょうか。あるいは、独自の思想を同じくする自衛官グループが組織化されていき、さらには外部の同じ思想グループと結び付いていったときに、自衛隊のシビリアンコントロールは守られるのか、軍事に対する政治の優位は保たれるのか。それらの将来への懸念を払拭するためにも、田母神氏への断固たる処分が必要だったのではないかと思います。しかし、その機会は失われてしまいました。
 禍根を残さないためには、防衛大をはじめとして自衛隊内部の教育態勢や、制服組の人事の検証と見直しが不可欠だと思います。それはジャーナリズムの課題でもあり、自衛隊の内部で何が起きているのかが、この国の主権者である国民に広く知られなければならないと思います。

 高須四郎大将のことをネットで検索していたら、牧師さんが運営しているブログ「ある教会の牧師室」のエントリー「大切な言葉が聞こえるか?」(2005年10月23日)に行き当たりました。「軍艦長門の生涯」の中の挿話ですが、すっかり忘れていました。田母神氏の論文問題をどう考えるかに際して、今日のわたしたちが知っていていい高須大将のもう一つの逸話だと思います。少し長いのですが、以下にエントリーの一部を引用して紹介します。
ところで、昨日も紹介した海軍大将高須四郎のもう一つの逸話が「軍艦長門の生涯」(阿川弘之著)の下巻267ページに紹介されています。彼は、昭和15年2月にある作戦室兼会合所が落成した折り、その建物の名前を考えてくれと頼まれ、「呼南閣」と名付けたそうです。

「長官、呼南閣とはどういう意味ですか?」と部下に問われると「それはね、南進論、南進論と、このごろ内地でやかましく言っているが、南方の資源が欲しくて、ただやみくもに南へ出ていくというのでは駄目だと私は思うのだ」「南方の人たちが、日本の徳望をしたって、向こうから自然に近づいて来る、日本人がもっと豊かな心を持って、南の人たちをこちらへ呼び寄せる、そうありたい。行くぞ行くぞと独りよがりの気勢をあげるより、おいでおいでの方がいいじゃないか。まあ、そんな気持ちでつけた名前だよ。甘い考えと笑われるかも知れないが、武威を以て南方を制圧しようとすれば、日本は必ずつまづくのではないだろうかね」

今、「侵略なんて無かった」と言っている人がたくさん居ます。しかし、当時の高須四郎のような人がこんな事を言っていたことを考えると、少なくても日本は、南進論という熱病に浮かされていたでしょうし、大東亜共栄の美辞麗句の裏で、資源を狙い、植民地を増やそうとしていたことだけは間違いがないようです。

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# by news-worker2 | 2008-11-05 02:26