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「何が起きたか」を伝えるのは誰か~秋葉原・無差別殺傷事件で思うこと

 6月7日8日に起きた東京・秋葉原の無差別殺傷事件の報道がマスメディアで続いています。心が苦しくなる痛ましい事件であり、事件そのものに立ち入って論評するにはあまりに尚早だということは自覚しつつ、このブログの大きなテーマのひとつである「メディア」の観点から、現時点で考えていることをまとめてみます。
 以前にも紹介した元徳島新聞記者でブログ「ガ島通信」の藤代裕之さんが、日経ITPLUSのコラムで「秋葉原事件で融解した『野次馬』と『報道』の境界」と題した文章を書かれています。書き出しの部分を引用します。

 週末、秋葉原で起きた通り魔事件は大変痛ましいものだった。事件そのものだけでなく、犯人逮捕の瞬間を撮影したり、現場から「生中継」が行われたり、マスメディアよりも早く、詳細に、普通の人々によって事件が記録、発信されたことのインパクトも大きかった。
 ブログなどの登場によって「誰もがジャーナリスト化」したことは数年前から議論してきたが、変化の大きさや社会に与える意味は起きてみて初めてわかる。「野次馬」と「報道」の違いとは何か、マスメディアの正当性とは、メディア化した個人の倫理はどうあるべきなのか……。事件はさまざまな問題を浮き彫りにしている。

 同感です。
 事件では現場に居合わせた多くの人たちから、自らが目撃し体験した一次情報が社会に発信されました。象徴的なのは、容疑者が取り押さえられた瞬間をとらえた画像が、「提供写真」のクレジットとともに新聞のほぼ全紙の一面に掲載されたことでしょう。フィルムカメラの時代でも、事件や事故の現場に居合わせた人が撮っていた写真が紙面に掲載されることはありました。しかしカメラ付きの携帯電話が普及し、一枚の写真が赤外線転送でその場で次々に複製すらされる、あるいはメールに添付されて広がっていく、ブログでネット空間に発信されていく今日の状況は、その状況自体がある種の「メディア」になっていると思います。
 文字情報も同じに思えます。藤代さんが紹介しているブログのいくつかは、わたしもソーシャルブックマークなどを通じて読んでいました。ブログ「筆不精者の雑彙」の「秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録」には、たまたま友人とともに事件に遭遇した一部始終が、現場の略図とともに報告されています。その文面を目で追いながら、ふとその行為自体「これは新聞記者が目撃者を探して話を聞く取材の行為そのものだ」と思い至りました。
 既存マスメディアの事件事故報道は、当事者や目撃者に一人でも多く取材し、その証言を組み合わせて「何が起きたのか」を再現してきました。今もその取材・報道スタイルは変わりません。しかし今回の事件では、ネットとデジタル技術の普及によって、現場の再現はもはやマスメディアの組織取材のものだけではないことが明白になりました。そういう状況の中で、マスメディアがマスメディアであることの意味、負うべき責任(それは「表現の自由」と「知る権利」にかかわるものですが)とは何なのかが、わたしも含めてマスメディアの内部で働く一人一人に問われていると思います。その答えはわたし自身、必ずしも明確ではないのですが、ただ、ひとりの「個人」として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています。

 このブログのもう一つのテーマに掲げている「労働」との関係でも、この事件に多々思うところがあります。いずれ書いていきたいと思います。

 何回か書いてきた「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」ですが、今週中にも参院で可決成立と伝えられる中で、毎日新聞が10日付朝刊のメディア欄ほぼ一面を使って、「有害情報」規制に行政の介入を許しかねない状況に焦点を当てた特集記事を掲載しています。記者の署名入りのリポート、大型談話として全国高等学校PTA連合会会長の高橋正夫さん(見出しは「被害防ぐ教育が重要」)と慶応大教授の中村伊知哉さん(同「過剰反応を招くおそれ」)、有害情報を「例示」した部分の法律案の抜粋の構成です。
 秋葉原の事件でも、容疑者が頻繁に携帯電話の掲示板に書き込みをしていたことが大きく報じられています。ネット規制の動きが再び加速することが予想されます。

*追記(2008年6月11日午前8時40分)
 ドキュメンタリー作家の森達也さんは作家森巣博さんとの対談「ご臨終メディア」(2005年、集英社新書)のエピローグの中で、こう語っています。ほんの一部を引用します。

 メディアという仕事は、ほとんどが人の不幸をあげつらうことで成り立っている。不幸でなくても、聞かれたくないようなことまで取材しなければならない場合もあるし、取材方法だって家族には見られたくないようなことばかりしています。そしてその結果、常に誰かを傷つけることで成立しているんです。そのことに対する後ろめたさを持ったほうがいい。それだけは、絶対なくすべきではないと思っている。卑しい仕事なんです。その視点から、もう一度、メディアというこの重要なジャンルと、向き合うべきと思っています。

 この本を読んだ当時わたしは新聞労連の専従役員で、マスメディアの取材・報道の現場からは離れている時期でしたが、「後ろめたさ」「卑しい仕事」という言葉に、はっと胸を衝かれる思いがしました。
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by news-worker2 | 2008-06-11 00:38 | 新聞・マスメディア