人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


by news-worker2
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

新聞は戦争を止められるか~非常勤講師を終えて

 4月から続けていた明治学院大学社会学部の非常勤講師の講義が昨日(12日)で終わりました。「新聞ジャーナリズム」をテーマに計13回の講義でしたが、終わってみると「あっという間」だったというのが率直な印象です。
 以前のエントリ(カテゴリー「非常勤講師」)でも触れてきましたが、これまで主に「表現の自由」が新聞のジャーナリズムで実現されているか、新聞が「表現の自由」と「知る権利」を守ろうとしているかを中心に話してきました。昨日の講義のタイトルは総まとめとして「新聞は戦争を止められるか」としました。これまで25年間、新聞の仕事に携わってきたわたし自身の思いでもあります。
 日本社会の現代史は1945年8月の敗戦が大きな契機になっています。敗戦当時の新聞はと言えば、ひたすら戦意高揚のためだけの存在だったと言っていいと思います。その典型的な例として、45年3月10日に10万人以上が犠牲になった東京大空襲の報道を昨日の講義でもあらためて取り上げました。これもまた以前の講義で紹介したことですが「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉通りです。戦争をする国家は、実際に何が起きているのか、その実相のすべてを国民に明らかにはしません。その果てに何があるのか、わずか63年前に日本の社会で、わたしたちの父母や祖父母はそのことを身をもって経験したのだと思います。
 翻って今、わたしが暮らす日本の社会では、3つの流れが進んでいるとわたしなりに感じています。まず「戦争社会への道」。軍事面での日米の融合・一体化が進み、「日米同盟」という用語も何ら違和感なく新聞が用いています。自衛隊は米軍の支援のためにイラクやインド洋に派遣されており、より一体化を進めるために在日米軍の再編が進行中です。防衛庁は「省」に昇格し、自衛隊の海外派遣は本来任務のひとつと位置づけられました。有事法制も整備されています。改憲が加われば、名目上は国際協調のもとでの〝正義の戦争〟に限定されるにせよ、日本は法律面でも実体面でも戦争ができる国になるでしょう。
 2つ目は「監視社会への道」です。いわゆるビラまき逮捕事件の続発と有罪判決では、摘発されたビラまき行為はいずれも何がしか政治的主張を含むものでした。現在は表面的には沈静化しているものの、人間の内面を取り締まりと処罰の対象にすると言ってもいい「共謀罪」新設の動きもあります。最近では、恣意的な運用への危惧をぬぐいきれないインターネット規制の動きも加わってきました。
 3つ目は「格差社会への道」です。このことを強く意識し始めたのは新聞労連の専従役員の時期でしたが、今では「貧困」をキーワードに考えるべきなのかもしれません。
 「戦争社会」と「監視社会」と「格差(貧困)社会」の3つの流れは、相互に強い関連があると思います。貧困の拡大と戦争については、例えば堤未香さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」に書かれている通りです。この3つの流れが一つになるとき、「表現の自由」と「知る権利」はどうなっているだろうかと考えると、わたしは「だからこそ、社会に『表現の自由』と『知る権利』が保障されていなければならない」と強く思います。新聞というマスメディアにジャーナリズムを生き続けさせようとするならば、3つの流れの中の一つ一つの出来事に「表現の自由」と「知る権利」の観点からこだわっていかなければならないと思います。新聞の使命は突き詰めれば社会の「表現の自由」を守り、「知る権利」に奉仕することであり、そうすることを通じて「戦争を止める」ことだと考えています。
 昨日の講義では、最近読んだアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義」(幾島幸子訳、水嶋一憲・市田良彦監修、NHKブックス)も紹介しました。わたしの理解が正しいかどうかの問題はさておいて、ネグリらの言うネットワーク権力の「帝国」の時代に、マスメディアは「帝国」の広報・宣伝機関になっていはしないだろうか、それで終わっていいのだろうか、ということを強く感じています。そのまま戦争報道が行われれば、かつての「大本営発表」報道と変わるものはないでしょう。マスメディアという組織に身を置くとしても、わたしという「個」は一人のworkerとして、ネットワーク権力に対抗して真の民主主義と平和を求める「マルチチュード」に連なっていきたい、希望のネットワークに連なっていることを実感することで、わたしの仕事である新聞のジャーナリズムにも希望を失わずにいたいと願っています。

新聞は戦争を止められるか~非常勤講師を終えて_d0140015_0151997.jpg 「『教える』は『学ぶ』に通じるから」と勧められ引き受けることにした講義でしたが、まさにその通りの得難い経験でした。大学の講義と呼ぶにはあまりに拙い内容でしたが、それでも学生たちの内面に何がしか新聞やマスメディア、さらには世の中のことに思うところが出てきたとすれば、こんなにうれしいことはありません。
 わたし自身は、多くの新聞が並び立ち、多種多様な情報が社会に発信されていること自体、価値があることだと考えています。マスメディアだけではなく、ネットでも自由な情報発信が保障されていることにもまた同じように価値があると思います。それぞれの「個」が多種多様の情報に触れ、一つ一つの情報の意味を読み解いていくリテラシーを高めれば、「個」と「個」がつながる希望のネットワークはさらに強まり、大きくなっていくと確信しています。

 *決して広くはありませんが、気持のいいキャンパスでした。記念に撮った1枚をここに残しておきます。
by news-worker2 | 2008-07-14 00:20 | 非常勤講師