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読書:「戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳、ジャーナリストの発言」(むのたけじ 聞き手黒岩比佐子)

読書:「戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳、ジャーナリストの発言」(むのたけじ 聞き手黒岩比佐子)_d0140015_0151071.jpg 以前のエントリ「『戦争はいらぬ、やれぬ』~朝日新聞むのたけじさんインタビュー記事」で紹介した元朝日新聞記者でジャーナリストむのたけじさんの一問一答式の聞き書きが岩波新書で刊行されました。聞き手の黒岩さんは、むのさんより43歳年下のノンフィクション・ライター。本書の「まえがきにかえて」によると、1997年に初めてインタビューして以来の交友関係で、むのさんが以前、岩波新書を一冊書くと約束したまま果たせないでいることを知り、聞き書きの形を提案。本書の刊行となりました。
 敗戦から63年がたった今、あの戦争を新聞記者として体験し、戦後は戦争反対を貫いてきたむのさんの本書には、多くの価値があると思います。中でも第2章の「従軍記者としての戦争体験」は、インドネシアに従軍記者として派遣された際に見聞きしたことの証言であり、戦争の実相の記録としても貴重だと思います。ここでむのさんは次のように述べています。
 インドネシアでのいろいろな出来事は、『たいまつ十六年』に書いていますが、今回は、これまで本でも、講演でもあまり言わなかったことを話しましょう。それは、本当の戦争とはどういうものか、ということです。




 少なくとも、戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが、戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこちらが殺される、という恐怖感。これが、朝昼晩とずっと消えることがない。三日ぐらいそれが続くと、誰でも神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません。
 本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する…ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。

 殺されなければ殺されるという狂いの状態で、三日間は何とか神経を維持できるけれども、あとは虚脱状態でなげやりになってしまう。もし、父親が自分の戦争体験を子供に語ろうとしても、何か立派なことを言えると思いますか。おそらく、何も言えないでしょう。
 あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦するようなことも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そういうことはやるな、と逆に戒めた。軍機の粛正を強調したんです。(中略)
 そこで、出てきたのが「慰安婦」というものです。

 日本軍の従軍慰安婦についても、自ら取材として慰安所の女性のもとへ足を運んで見聞きした内容の証言が続きます。

 第3章の「敗戦前後」では、国民に真実を伝えてこなかった新聞人としての責任を取り、朝日新聞社を去った有名なエピソードが語られますが、今はその気持ちに変化があることを明かします。
 それは、三年前の二〇〇五年、敗戦六十周年の記念として、琉球新報社がつくった『沖縄戦新聞』を見たからです。戦争中は絶対に書けなかった内容を、新たに十四回分の新聞にしたものでした。この新聞を見て「あっ、これだ」と思ったんです。

 私は三月十日の東京大空襲の記事を書けませんでした。その日の朝、焼跡になった現場を歩いているのに、ひとことも書いていない。戦時中、新聞に書けなかった事実というものはたくさんある。いよいよ軍部が倒れて平和が回復し、自由に書けるということになったら、新聞は八月十六日、十七日からでも「本当の戦争はこうでした」ということを、国民に知らせるべきだったんです。

 戦後、すぐに「本当に戦争はこうでした」と読者に伝えて、お詫びをすべきだったんです。そうすれば、みんながもっと戦争のことを考えたでしょうし、敗戦から今日にいたるまでの日本の新聞の報道の態度も、まるっきり変わっていたと思いますよ。

 第4章の「憲法九条と日本人」からは、今日につながる戦争と平和の問題が語られます。本編の最後になる第6章の「絶望のなかに希望はある」の末尾で、むのさんは「今回の話は、九三歳の私からの遺言みたいなものです。この本を読者がどう読んでくれるのか、楽しみですね」と語っています。新聞記者の一人であるわたしは、まさに大先輩からの貴重な遺言と受け止めています。昨年十月、沖縄で直にむのさんのお話を聞く機会があったことは、以前のエントリで紹介しました。そのときに、むのさんがわたしたち新聞記者に向けて話した言葉のいくつかを、本書の数々の言葉とともに、あらためて胸に刻みたいと思います。

 「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」
 「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」
 「観念論ではダメだ。労組も政党も数を頼るからダメだ。数だけ70万人集まっても、死を覚悟した7人の方が強い」
 「観念論を卒業して、新しい人類を作っていくためにがんばろうじゃないか」

【参考】
 琉球新報の「沖縄戦新聞」について、関連の別エントリを立てました。こちらも読んでいただければ幸いです。
 「『沖縄戦新聞』『ヒロシマ新聞』『しんけん平和新聞』」
by news-worker2 | 2008-09-22 00:30 | 読書