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読書:「蟹工船」(小林多喜二、新潮文庫「蟹工船・党生活者」)

d0140015_312379.jpg ベストセラーになって久しい小林多喜二の1929年の小説「蟹工船」を先日、新潮文庫版で買い求め、読みました。大学生のころに一度読んでおり、ストーリーはほぼ覚えていた通りでした。しかし読後感は大学生の当時とかなり違います。
 大学生当時の記憶はおぼろげなのですが、かつて日本にこんなことがあった時代があったのだと、歴史の一コマとして受け止めながらも、それ以上に思うところはありませんでした。もはや日本では、小林多喜二が描いたようなことは起こるまい、と漠然と考えていました。わたしは1979年に大学に入り83年に卒業したので、「蟹工船」を最初に読んだのはその間のいずれかの時期になるのですが、当時の日本社会は経済的には成長ムードが続いており、暴力と言えば権力によるものよりも、成田空港闘争など新左翼諸党派によるものや、それらの党派間のいわゆる内ゲバが大きなニュースとして受け止められていたように感じます。韓国で朴大統領が暗殺され、続いて光州事件が起きたことに大きな衝撃を受けたことが強く記憶に残っており、小林多喜二が虐殺されたことに対しても、日本でかつてあった事実であるということよりも、韓国で同じような弾圧が進行していることの方に強い印象を抱いていたと思います。
 あれから30年近くたち、個人的にも様々な経験を経て「蟹工船」を読み返してみて、今の読後感をひと言で表現すれば「高揚感」です。人が個々の存在を尊重されなくなったときに怒りが湧き、いくつもの怒りが集まり力となる、そういうことは現実に起こりうる、そのことを自分自身が理解できるという高揚感です。「蟹工船」で最後に組織的なストライキに至る労働者たちが感じたのと同種の怒りと、その怒りが行動へと収れんされていく運動を、わたし自身も労働組合の活動を通じて見聞きすることがあり、ささやかながら関与することもありました。一人ひとりは弱い存在でも、団結することで大きな力が生まれることを実感できた体験がありました。そのときに感じたのと同じ高揚感が残っています。
 一方で正直に告白すれば、高揚感があるということ自体を嫌悪する、そんな感情もあります。わたし自身の働き方は、期限の定めがなく、容易には解雇されない「正規雇用(正社員)」であり、長らく労働組合にも守られてきました。今なぜ「蟹工船」が読まれているのかと言えば、細切れの不安定な非正規雇用が若年層を中心に増大していることが大きな要因だと思います。あるいは名目上は「正社員」ではあっても、実態として働く者としての権利が守られていない「名ばかり正社員」もあります。自らの働き方を「蟹工船」の労働者たちと重ね合わせている人たちがいることに思い至るとき、では自分は何ほどのことをしてきたのか、と自問せずにはいられません。働く者の権利を守るために行動した経験ばかりではなく、動こうとしながら何もできなかった苦い経験もあります。そして今もいったい何をしているのだろう、何もできていないではないか、と考えてしまいます。
 しかし、自己嫌悪はあるにしても、「蟹工船」を読んで気持ちに高ぶりを感じる、この高揚感も大事にしなければならないと考えています。そして今後も「働く」ことの意味、「個」が「個」として尊重されること、「個」と「個」がつながることの意味と方法を考えていきたいと思っています。

 10月23日の東京新聞夕刊の文化面に、作家辺見庸さんのエッセイ「SFとしての『蟹工船』」が掲載されています。共同通信が配信している連載「水の透視画法」のうちの1回です。「蟹工船」が今日ベストセラーになって久しい、その状況の辺見さんなりの受け止め方として、興味深く読みました。「蟹工船」を書き、「一九二八年三月十五日」を書いて権力を怒らせた小林多喜二が虐殺されたその状況は、現在ではありえないことと安心していていいのか。辺見さんはそんな問いかけをしていると受け止めています。
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by news-worker2 | 2008-10-26 03:13 | 読書