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 また自衛隊の話題です。
 防衛秘密にあたる海上自衛隊イージス艦のイージスシステム情報を流出させたとして「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(以下、秘密保護法と表記します)」違反の罪に問われていた海上自衛隊艦艇開発隊所属(当時)の3等海佐に対し、横浜地裁が28日、無罪主張を退け懲役2年6月、執行猶予4年の判決を言い渡しました。
 この事件では、イージスシステム情報は海自内部に拡散し、アクセス権限がない多数の隊員の手に渡っていましたが、外部への流出は確認されませんでした。そもそも3佐はイージス艦以外の護衛艦システムを担当しており、秘密保護法が規定する処罰の対象者に当たるかどうかがまず大きな争点でした。3佐は隊員教育のために「善かれ」と考え、上司にも相談した上で、海自第一術科学校の教官(当時)に情報ファイルを記録したCDを送っていました。スパイ行為でもなく、秘密保護法が処罰の対象にしている「他人への漏えい」に当たるかどうかが第2の争点でした。判決はいずれも、検察側の主張をほぼ全面的に採用しました。
 判決は一方で、海自内部の情報管理のずさんさも指摘して執行猶予を付けた要因の一つに挙げています。判決それ自体だけを見れば「3佐に気の毒な面はあっても落ち度は落ち度で有罪はやむなし」「海上自衛隊の規律のゆるみも同時に断罪されたに等しい」「全体として妥当な判断」との印象を受けます。自衛隊の規律の粛正それ自体に異論を差し挟む余地は少ないだろうとは思うのですが、しかしそれにしても、わたしは今回の判決にはもう少し大きな問題が内包されているのではないかと考えています。
 判決は直接触れていないようですが、3佐の立件の背景には、日本に提供した軍事情報が漏えいすることに米国が強い不快感を示していたこと、捜査当局内には立件への異論もありながら最終的に「対米配慮」が重視され、3佐が逮捕・起訴に至ったことが、これまでの報道でも繰り返し指摘されていました。
 「もう少し大きな問題」というのは、日米の軍事一体化の大きな流れを背景に日本社会で、とりわけ自衛隊に絡む事柄では、米国の不興を買いかねない行為への厳罰化が進むのではないか、ということです。少し違った角度から言えば、捜査当局内にさえ異論があった立件に対し、裁判所が検察側主張をほぼ丸呑みにして有罪を認定したことは、結果としてであれ、司法が「対米配慮」を追認したと言えるのではないか、ということです。
 自衛隊内の規律維持に異論はないとして、しかし、そのことと規律違反の行為に刑事責任を問うこととの間には本来、一線が敷かれるべきです。また、仮に3佐の行為が外形的には「違法」となるにしても、刑罰を科すまでの悪質性があるのか、という論点も成り立つのではないかと思います。米国の不興を買い、日米軍事同盟の維持、進化に好ましくない行為には厳罰でもって臨む、というふうな風潮が日本社会に広がっていくことになりかねない、との危惧をわたしは抱いています。
 今回の事件は、結果的に自衛隊という組織の枠を出ることはありませんでした。いわば自衛隊内で完結した事件であったために、判決が内包している危険性が見えにくいとも言えるのではないかと思います。しかし、思い起こすのは、中国潜水艦のトラブルをめぐって、読売新聞の情報源の自衛官が自衛隊警務隊によって摘発され、職を奪われた事件です(以前のエントリー参照)。読売新聞情報源の一件が刑事手続きでは起訴猶予になったとはいえ、「米国の意向」が最優先という意味ではイージス艦情報の一件は同根だと思います。
 今回の秘密保護法は制定から半世紀以上の間、摘発例がありませんでした。半世紀以上前の立法趣旨がどこにあったのか、その辺の検討がないままに、条文を機械的に、検察主張のままに解釈し有罪を言い渡した判決は本当に妥当なのか。秘密保護法を適用し有罪にするハードルが実はさほど高くないことを、今回の判決は実績として残したのではないのか。そうした疑問を感じずにはいられません。日米同盟のじゃまになること、じゃまになる人間には事情のいかんを省みず刑事罰で臨み排除していく、ということがまかり通るなら、憲法が保障しているはずの「表現の自由」や「知る権利」などの市民的諸権利も、やがては「軍事情報の秘匿」よりも下位へと追いやられるでしょう。そして、秘匿すべき情報か否かの判断は、米国の意向、さじ加減ひとつということになりかねません。決して望ましいことではないと思います。秘匿が必要な情報か否かを主権者たる国民が検証できないままに、市民的諸権利に軍事的事情が優先する社会とは、戦争社会です。

 横浜地裁判決を新聞各紙も28日付夕刊と29日付朝刊で取り上げました。自衛隊関連のニュースの通例で、解説記事や社説ではそれぞれの新聞の自衛隊に対するスタンスの違いが反映されています。ここでは、共同通信が配信し地方紙に掲載された軍事ジャーナリスト前田哲男さんのコメントを一部紹介します。
 ミサイル防衛(MD)や在日米軍再編などで自衛隊と米軍が高度な秘密情報を共有するなど関係強化が進む中、秘密の管理や保護を厳格化する防衛省側の考えの流れに沿った判決だ。秘密保護法が本来想定した「スパイ事件」ではない情報流出に同法を適用した問題点は審理されずに終わった印象だ。

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by news-worker2 | 2008-10-30 02:15
d0140015_312379.jpg ベストセラーになって久しい小林多喜二の1929年の小説「蟹工船」を先日、新潮文庫版で買い求め、読みました。大学生のころに一度読んでおり、ストーリーはほぼ覚えていた通りでした。しかし読後感は大学生の当時とかなり違います。
 大学生当時の記憶はおぼろげなのですが、かつて日本にこんなことがあった時代があったのだと、歴史の一コマとして受け止めながらも、それ以上に思うところはありませんでした。もはや日本では、小林多喜二が描いたようなことは起こるまい、と漠然と考えていました。わたしは1979年に大学に入り83年に卒業したので、「蟹工船」を最初に読んだのはその間のいずれかの時期になるのですが、当時の日本社会は経済的には成長ムードが続いており、暴力と言えば権力によるものよりも、成田空港闘争など新左翼諸党派によるものや、それらの党派間のいわゆる内ゲバが大きなニュースとして受け止められていたように感じます。韓国で朴大統領が暗殺され、続いて光州事件が起きたことに大きな衝撃を受けたことが強く記憶に残っており、小林多喜二が虐殺されたことに対しても、日本でかつてあった事実であるということよりも、韓国で同じような弾圧が進行していることの方に強い印象を抱いていたと思います。
 あれから30年近くたち、個人的にも様々な経験を経て「蟹工船」を読み返してみて、今の読後感をひと言で表現すれば「高揚感」です。人が個々の存在を尊重されなくなったときに怒りが湧き、いくつもの怒りが集まり力となる、そういうことは現実に起こりうる、そのことを自分自身が理解できるという高揚感です。「蟹工船」で最後に組織的なストライキに至る労働者たちが感じたのと同種の怒りと、その怒りが行動へと収れんされていく運動を、わたし自身も労働組合の活動を通じて見聞きすることがあり、ささやかながら関与することもありました。一人ひとりは弱い存在でも、団結することで大きな力が生まれることを実感できた体験がありました。そのときに感じたのと同じ高揚感が残っています。
 一方で正直に告白すれば、高揚感があるということ自体を嫌悪する、そんな感情もあります。わたし自身の働き方は、期限の定めがなく、容易には解雇されない「正規雇用(正社員)」であり、長らく労働組合にも守られてきました。今なぜ「蟹工船」が読まれているのかと言えば、細切れの不安定な非正規雇用が若年層を中心に増大していることが大きな要因だと思います。あるいは名目上は「正社員」ではあっても、実態として働く者としての権利が守られていない「名ばかり正社員」もあります。自らの働き方を「蟹工船」の労働者たちと重ね合わせている人たちがいることに思い至るとき、では自分は何ほどのことをしてきたのか、と自問せずにはいられません。働く者の権利を守るために行動した経験ばかりではなく、動こうとしながら何もできなかった苦い経験もあります。そして今もいったい何をしているのだろう、何もできていないではないか、と考えてしまいます。
 しかし、自己嫌悪はあるにしても、「蟹工船」を読んで気持ちに高ぶりを感じる、この高揚感も大事にしなければならないと考えています。そして今後も「働く」ことの意味、「個」が「個」として尊重されること、「個」と「個」がつながることの意味と方法を考えていきたいと思っています。

 10月23日の東京新聞夕刊の文化面に、作家辺見庸さんのエッセイ「SFとしての『蟹工船』」が掲載されています。共同通信が配信している連載「水の透視画法」のうちの1回です。「蟹工船」が今日ベストセラーになって久しい、その状況の辺見さんなりの受け止め方として、興味深く読みました。「蟹工船」を書き、「一九二八年三月十五日」を書いて権力を怒らせた小林多喜二が虐殺されたその状況は、現在ではありえないことと安心していていいのか。辺見さんはそんな問いかけをしていると受け止めています。
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by news-worker2 | 2008-10-26 03:13 | 読書
 以前のエントリー(暴力の矛先を身内に向け、自衛隊は何を守るのか~内部告発の受け皿へマスメディアは奮起のとき )で取り上げた海上自衛隊特殊部隊「特別警備隊」の隊員養成課程で起きた3等海曹死亡事件で、防衛省が22日、海自調査委員会の中間報告を公表しました。養成課程を2日後にやめることが決まっていながら、送別行事として15人を相手に連続格闘が行われていたことに対し、中間報告は「必要性は認めがたい」としています。しかし「連続格闘がなぜ行われたのか」との最大の疑問点に納得できる説明はなく、集団暴行ではないのかとの疑いは防衛省も否定することができない、とわたしは受け止めています。一方で、「中間報告」と位置付け、調査を継続するとしながらも、今後の調査項目の柱に教官や隊員の格闘技経験や適性、訓練としての妥当性を強調するなど、3曹の死亡を「事故」として決着させたい意図が透けて見えると感じています。

 *中間報告の全文PDFファイルが防衛省のホームページにアップされています。

 今回の事件では、自衛隊内の警察組織である警務隊も捜査中とされていますが、同じ自衛隊の中で、どこまで真相に迫れるかを疑問視する指摘もあります。これも以前のエントリー(ひとこと:護衛艦「さわぎり」訴訟の遺族勝訴判決が確定)で取り上げた1999年の護衛艦さわぎり乗組員の3曹の自殺では、9年後の今年、3曹が上司の侮辱的言動を苦にしていたことがようやく司法によって認定され、判決が確定ましたが、これは逆に言えば、遺族が裁判に訴えるところまでやらなければ、真相はうやむやのままにされていたかもしれないことを示しています。しかも、逆転勝訴判決が確定した後も防衛省からの直接謝罪はなく、両親が上京して防衛省に出向いた23日、応対した人事教育長がようやく「申し訳なく思います」と口にしました。共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊佐世保基地(長崎県)の護衛艦さわぎりの艦内で1999年に3等海曹=当時(21)=が自殺した原因を「上司の侮辱的言動によるストレス」と認め、国に賠償を命じた福岡高裁判決が確定したのを受け、防衛省は23日、3曹の両親に初めて謝罪した。
 同日午後、宮崎市在住の両親が同省を訪れ、再発防止の徹底を申し入れた際、応対した渡部厚人事教育局長が「かけがえのないご子息を亡くし、申し訳なく思います」と謝罪した。

 まるで「東京まで来たんだったら謝ってやろうか」と言わんばかりの対応だと思います。

 理不尽な連続格闘の末に命を落とした3曹の事件で、不透明な決着を許さないためには、自衛隊員個々の良心に行き場を確保し、内部告発が生かされる環境が必要だと思います。マスメディアにとっても、このようなケースこそ組織ジャーナリズムの持ち味を十分に発揮し、内部告発の受け皿たり得るように奮起しなければなりません。存在意義が問われている、と言ってもいいと思います。
 中間報告を報じた新聞各紙の扱いは、在京大手紙はおおむね社会面を中心に本記のみの比較的、地味な扱いでした。しかし、事件現場となった広島県の地元紙の中国新聞は、一面トップに共同通信配信の記事を5段見出しで大きく据え、社会面には共同通信記者の解説記事、連載企画「病める自衛隊」、中間報告要旨を掲載しました。亡くなった3曹の出身地の愛媛新聞も、共同通信配信記事を一面トップに据えています。
 自衛隊をめぐっては、存在自体に対して新聞ごとにスタンスは異なっていますが、3曹の死がいかなる理由をもっても正当化されないことに異論はないでしょう。だれが見ても納得できる形で真相が究明されるよう、マスメディアとしても取材を尽くし、繰り返し報ずべきです。
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by news-worker2 | 2008-10-24 03:01
 このブログを4月に始めてから半年が過ぎました。きょうもご訪問いただき、ありがとうございます。この機にブログのタイトルを「ニュース・ワーカーⅡ」から「ニュース・ワーカー2」に変更します。トラックバック先などで「Ⅱ」がうまく表示されないことがあるためです。
 旧ブログ(ニュース・ワーカー)の運営を休止後の約1年半は、気がついたらブログ界自体から遠ざかるようになっていました。新聞を中心とした仕事をしているため、新聞社のサイトはまめにチェックするのですが、ブログ界でどんなことが話題になっていようとも、直接、新聞制作にかかわってくることはまずないため、RSSリーダーも開かない日が自然と続くようになっていました。統計上の数字があるわけではなく、わたしの実感に過ぎないと言えばそのとおりなのですが、こうした状況は、新聞記者、中でも40代から50代のデスク層以上の編集幹部クラスに共通していると思います。「抜いた抜かれた」の競争がし烈だとは言っても、しょせんは新聞や放送など既存のマスメディア同士の枠組みに限られています。本音レベルでは関心は「いかに同業他社を出し抜くか」であって、「ネットの言論空間を含めて、知られていない事実を発掘し、社会全体にいかに早く届けるか」という意識は希薄だと感じています。
 ブログ再開とともに、毎日、他のブログやネットニュースサイトにも目を通す習慣が復活しました。ネット上の言論空間では、新聞社が記事として発信する情報も、個人がブログを通じて発信する情報も同列にフラットに扱われることを日々、実感しています。そもそもマスメディアが向き合う「マス」が、以前と同じように存在しているのか、ということも、自らの存在意義の再確認と再定義のために、マスメディアの内部で議論される必要があるだろうと考えています。
 今後も思うところや考えるところを、こつこつと書きつづっていきたいと思います。また、マスメディアで働くデスク層以上の幹部クラスの方々の中に、もしも個人としてネットリテラシーを高めたいと考えている方がいれば、匿名でもいいのでブログ運営をおすすめします。
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by news-worker2 | 2008-10-20 00:28 | 近況・雑事
 また自衛隊の不祥事が明らかになりました。広島県江田島市の海自第一術科学校で9月、特殊部隊「特別警備隊」隊員養成課程の25歳の男性3曹が15人相手の格闘訓練をさせられ、頭を強打し死亡していたことを12日、共同通信が報じ、新聞休刊日を挟んで14日、他紙も一斉に続きました。3曹は特別警備隊の養成過程を辞める直前。教官らは遺族に「はなむけのつもりだった」と説明したとされます。共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」の隊員を養成する第一術科学校(広島県江田島市)の特別警備課程で9月、同課程を中途でやめ、潜水艦部隊への異動を控えた男性3等海曹(25)=愛媛県出身、死亡後2曹に昇進=が、1人で隊員15人相手の格闘訓練をさせられ、頭を強打して約2週間後に死亡していたことが12日、分かった。
 教官らは3曹の遺族に「(異動の)はなむけのつもりだった」と説明しており、同課程をやめる隊員に対し、訓練名目での集団暴行が常態化していた疑いがある。海自警務隊は傷害致死容疑などで教官や隊員らから詳しく事情を聴いている。
 3曹の遺族は「訓練中の事故ではなく、脱落者の烙印を押し、制裁、見せしめの意味を込めた集団での体罰だ」と強く反発している。

 この事件に対し海上自衛隊トップの海幕長は14日の会見で「調査してから判断したい」と述べました。同じく共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」(特警隊)の養成課程の男性3等海曹(25)死亡事件で、赤星慶治海幕長は14日の定例会見で、3曹が異動する2日前に格闘訓練が行われたことについて「こういうことをやるのがいいのか、内容が適切なのか、調査してから判断したい」と述べるにとどまった。
 浜田靖一防衛相は同日午前の会見で、1人で15人を相手にする格闘を「特殊、特別な気がしないでもない」として訓練の範囲を逸脱したとの認識を示しており、立場の違いが際立った。

 隊員一人一人の「個」があまりにも軽く扱われる自衛隊のありようについては、このブログでも何回か書いてきましたが、今回の一件は悪質さが際立っています。いったいどういうつもりで「はなむけ」などという言葉を口にできるのか。そして当事者意識を欠いたとしか言いようのない赤星海幕長の発言。常に憲法上の議論にさらされながらも、国家の独立を守るためにのみ保有を許されているはずの〝暴力〟の矛先を身内に向けたことに、この組織はあまりに鈍感だと言わざるを得ません。いったい何を守ろうというのでしょうか。
 以前のエントリで紹介した「自衛隊員が死んでいく」の著者でジャーナリストの三宅勝久さんは、今回の事件についてご自身のブログで次のように指摘していますが、同感です。
 隊内で起きていることは、やがて隊外でも起きる。昨年度暴力で懲戒処分を受けた80人以上のうち、30人近くは一般市民を巻き添えにした事件を起こしている。
 「隊員なんてモノ以下ですよ」とは、現役幹部の言葉である。隊員がモノなら、一般国民は何なのだろうか。武装集団が暴走しはじめてからでは遅い。「軍事オンブズマン」のような第三者の監視制度をつくるなどしてブレーキをかけなければ、危なくて仕方ない。

 海自は事件当日も、3曹が死亡した翌日も、公式発表では15人が相手だったことは伏せていました。真相の隠ぺいを図ったと言えば言い過ぎだとしたら、事件を矮小化したいとの意図が透けて見える、と言ってもいいと思います。実際、発表を受けた新聞各紙の当初の報道は地元向けの小さな記事だけで、全国ニュースにはなりませんでした。
 自衛隊は他官庁と比べて自殺者が出る割合が高く、しかも動機が不明とされているケースが多いことがかねてから指摘されています。先日は、護衛艦乗組員の自殺をめぐって、上官に指導の域を超えた侮蔑的な言動があり、これによるストレスが原因のうつ病で自殺したと認定した福岡高裁判決が確定しました(過去エントリ「ひとこと:護衛艦『さわぎり』訴訟の遺族勝訴判決が確定」)。
 今回の一件を見るにつけても、自衛隊内部には公になっていない幾多のいじめ、リンチなどがあるのではないかと思います。新聞をはじめとしたマスメディアにとっては、そうした個々の腐敗、不正をひとつひとつ暴いていくことができるかが問われているようにも感じます。そのためには、内部告発の受け皿足りうることが必要であり、ここは奮起の時だと考えています。

 15日には、こんな動きもありました(共同通信記事より引用)。「内部告発の受け皿」と密接な関係がある出来事です。
 南シナ海での中国潜水艦の事故をめぐり「防衛秘密」を読売新聞記者に漏らしたとして、自衛隊法違反容疑で書類送検された防衛省の元情報本部課長北住英樹元1等空佐(50)について、東京地検は15日、不起訴処分(起訴猶予)にした。
 元1佐が情報漏えいを認め反省しているほか、2日付で懲戒免職となったことや、防衛省の再発防止策などを考慮した。

 わたしの考えは過去エントリ「軍事が無原則に『表現の自由』『知る権利』に優先する危険~読売新聞情報源の懲戒免職の意味」に書いた通りです。ご一読をお願いいたします。

*追記(2008年10月17日午前2時10分)
 自衛隊の「暴力」の合法、違法については、弁護士の杉浦ひとみさんのブログエントリ「海上自衛隊の『はなむけ』と角界の『かわいがり』比較」の論考が参考になりました。一部を引用します。
 この海上自衛隊の中での暴行の問題は、さらに角界の件とは別の大きな問題があると思います。それは、自衛隊がもともと物理的な力を携えることが法で許容されている集団だからです。そして、その力は隊内部で相互に使われるのではなく、第三者に対して行使されることが想定されているからです。
 力を行使することが法的に認められる立場にある者が、力の使い方についての違法・適法の判断力が養われていない場合、非常に危険なことになります。

 自衛隊に「暴力」が許容されているのは、それが日本の独立を損ねる外敵に向けられることが想定されているからであり、そうでないならば違法である、との指摘だと理解しています。そこがスポーツや武道としての格闘との本質的な違いだと思います。
 
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by news-worker2 | 2008-10-16 02:50
d0140015_23575169.jpg 朝日新聞社ジャーナリスト学校が刊行していた研究誌「朝日総研リポート AIR21」が衣替えし「Journalism(ジャーナリズム)」10月号が刊行されました。朝日新聞のサイトの告知記事によると、「現場の記者、編集者や研究者らが執筆し、メディアの問題を考える月刊研究誌」とのことですが、最大の特徴は朝日新聞以外の新聞に所属する現役の記者が複数、論考を執筆していることでしょう。10月号では毎日新聞や高知新聞、沖縄タイムスなどの記者の名があります。
 日本の新聞ジャーナリズムをめぐっては、新聞社内で多くの場合、「新聞というメディア」と「新聞社という企業」とが峻別されないままに語られているとの実感をわたしは持っています。「Journalism」誌の発刊は、朝日新聞社のジャーナリスト学校の意欲的な試みとして受け止めています。
 「メディアリポート」では「放送」「新聞」「出版」の伝統的マス媒体とともに「ネット」(執筆者はブログ「ガ島通信」の藤代裕之さん)も取り上げています。同誌の今後に注目したいと思います。
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by news-worker2 | 2008-10-13 23:59 | 新聞・マスメディア
 ノーベル物理学賞の受賞が決まった京都大名誉教授の益川敏英さんへのお祝いメッセージが、京都大学職員組合のホームページに掲載されています。
 益川敏英先生のノーベル物理学賞受賞を心よりお祝い申し上げます
 益川先生は1970年7月に京都大学職員組合に加入されました。ご在職中は、支部書記長などを歴任され、停年でご退職になるまでの永きにわたり組合員としてご活躍されました。

 たまたまなのですが、mixiのマイミクさんの日記をきっかけに、ネットでこんな記事【関連:中山妄言への有力反証】「日教組」の元書記長がノーベル賞をとった!?【blog:土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。】)を見かけて、上記の京都大学職員組合のサイトを見てみました。
 京都大学職員組合は、上部団体として全国大学高専教職員組合(全大教)に加盟しています。全大教のホームページからは発足当時の経緯の詳細は分からないのですが、全大教近畿のサイトには次のような記述があります。
全大教は、1989年10月29日に、当時、日本教職員組合の一専門部としての大学部(略称:日教組大学部)から、自立・独立して結成されました。独立の際には日教組の規約に従って円満に行われました。

 益川さんが京都大学職員組合の支部書記長を務めていたのがいつごろなのか、定かではありません。しかし「『日教組』の元書記長がノーベル賞をとった」と言い切ってしまうかどうかは別としても、事実関係としては、益川さんが日教組傘下の組合員であったことには間違いがないようです。
 わたしはここで、益川さんが日教組の組合員だったことをもって、中山成彬氏の日教組攻撃発言が根拠を欠いている、と強調したいわけではありません。わたしが中山氏の発言を批判する主な理由は、以前のエントリの通りです。加えて、教職員の組合は日教組だけではない、他にも教職員の組合はあるのに、中山氏はことさら日教組だけを取り上げて執拗に批判した、そのことにも大きな違和感を持っています。
 教職員の組合では、京都大学職員組合が加盟する全大教や、1991年に発足した全日本教職員組合(全教)など、80年代後半から90年代はじめにかけて、組合運動の大きな組織再編がありました。背景には、1989年の総評解散と連合全労連の2大ナショナルセンター発足に象徴される日本の労働運動の再編があります。89年前後のこうした組織再編は教職員に限ったことではなく、再編には至らなくても議論自体はどこの産業の労働組合でも多かれ少なかれ経験してきたことです。
 一つの産業分野に複数の労働運動の潮流があり、複数の労働組合が並び立つ状況は、それ自体の善し悪しは別として、それぞれの組合の存在はやはり憲法で保障された労働3権、あるいは結社の自由の具現化であり、最大限に尊重されるべきです。近年は、非正規雇用の人たちの個人加盟のユニオンなどの活動も活発で、到底「労働組合」のひと言でひとくくりにはできません。
 中山氏の発言に話を戻すと、日教組に対して「批判」を超えて「解体」「ぶっ壊す」とまで口にしたこと、「日教組の強い地域」と「学力」との相関の薄弱さに加え、教職員の組合は他にもあるのになぜ日教組を「がん」とまで言い切るのか、理解に苦しみます。中山氏は既に次の衆院選での不出馬を表明しましたが、発言を取り消したわけではありません。彼のような国会議員が現に存在することを忘れずに覚えておきたいと思います。

 中山氏の発言を批判した以前のエントリに、3人の方からコメントをいただきました。その際のレスにも書きましたが、今回のエントリも、日教組を擁護することが本旨ではありません。
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by news-worker2 | 2008-10-10 04:51 | 労働運動
 8日付けの東京新聞夕刊の第2社会面に、宇佐見昭彦記者の署名入りで、麻生首相の〝失言〟(=事実誤認)を指摘する記事が掲載されました。一部を引用します。
 麻生太郎首相の誕生から2週間。地球温暖化に関し、麻生首相が「台風上陸が1度もないのは過去に例がない」と就任時に発言したことが、気象関係者の間で波紋を広げている。過去3例あって事実に反する上、上陸ゼロも異常とは言えず、温暖化との関連も認められないためだ。
 麻生首相は九月二十四日の会見で閣僚名簿を自ら発表。斉藤鉄夫環境相(留任)の名を読み上げた際、この発言が飛び出した。
 だが、一九五一年以降で上陸ゼロは八四年、八六年、二〇〇〇年の三例。九月末までゼロ(十月に上陸)の八七年も含めると、発言時点で首相は過去四例を見落としており、完全に誤りだ。
 また「四年前は九回上陸」も十回の誤り。「平均三回」についても、正確には平年(二〇〇〇年までの三十年平均)の上陸数は二・六だ。

 この記事を読むまで、首相の発言にこんな事実誤認があったとは気付きませんでした。まずは不明を恥じています。その上で、ということになるのですが、首相としていかにも言葉が軽い、との印象はぬぐえません。
 通例では、内閣発足時の閣僚の紹介は官房長官が行っていました。麻生首相は自らそれを行い、新鮮さをアピールしたのかな、と感じていました。しかし、ささやかな労力を惜しまずに調べていれば、このような事実誤認の発言は出るはずもない、そんなレベルの発言です。加えて言うならば、環境相に限らず、首相自らが閣僚を紹介するのであれば、このポストになぜこの人を選んだのか、人選の狙いを語るべきだったと思うのですが、課題は長々と説明しても、人選の意図、狙いはほとんど言及がありませんでした。
 「たかがその程度の発言で目くじらを立てるまでも…」との意見もあるかもしれませんが、新たに首相に就任した政治家の、しかも自らが選んだ閣僚の紹介の中での発言だけに、軽視すべきではないだろうと思います。マスメディアが社会に投げかけるに足る情報だと思います。
 
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by news-worker2 | 2008-10-09 04:07
d0140015_9355841.jpg 著者は元毎日新聞社会部記者。ネット社会をめぐる数々のリポートや発言は、いつも参考になります。最近では、毎日新聞の英文サイトWaiWai問題で、CNET‐Japan上のブログ「ジャーナリストの視点」の「毎日新聞社内で何が起きているのか(上)」「同(下)」多くのブックマークを集め、話題になっています。
 本書ではそのWaiWai問題の考察も含めて、ネット上に出現した新しい言論の公共圏が日本社会に引き起こしている変化を描いています。中でも、WaiWai問題はライブドア事件と郵政解散・総選挙があった2005年以来のエポックメイキングな出来事であるとの指摘には、あらためてうなずきました。実は本書をこの欄で取り上げる意図も、この点にあります。
 日本の新聞社各社も昨今はインターネット展開に躍起ですが、編集の現場(つまり新聞記者です)に限っては、とりわけ40-50代の幹部クラスは十分なネットリテラシーを身に着けているとは言いがたいのが実情だと感じています。そうした層にこそ、まず本書を手に取ってほしいと思います。既存メディアに対する数々の指摘は、恐らくいちいちが腹立たしいことでしょう。しかし、その腹立たしさをひとまずは抑え込んで読み進んでほしいと思います。読み終えた後も怒りは収まらないかもしれません。読後感は人それぞれかもしれませんが、あらためて新聞や新聞社のジャーナリズムの今日的な意義を考えるきっかけになれば、そういう人が1人でも増えれば、その分だけ新聞ジャーナリズムは存在の意義を強めることができるのではないか。わたしは本書の意義をそんな風に考えています。 
 
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by news-worker2 | 2008-10-05 13:38 | 読書
 以前のエントリ(近況:「軍事報道と表現の自由」の講義が終わりました)でも取り上げましたが、2005年5月に読売新聞が報じた中国潜水艦の事故の特ダネ記事をめぐり、読売新聞記者に情報を提供したとして、自衛隊の一等空佐が自衛隊法違反容疑で書類送検された問題に絡んで、大きな動きがありました。防衛省は10月2日、この1佐を懲戒免職処分としました。共同通信記事を引用します。
 南シナ海での中国潜水艦の事故をめぐる「防衛秘密」が防衛省から読売新聞記者に漏えいしたとされる事件で、同省は2日、自衛隊法(防衛秘密漏えい)違反容疑で書類送検された元情報本部課長の北住英樹1等空佐(50)=同本部総務部付=を、同日付で懲戒免職処分にしたと発表した。
 記者への情報提供を「漏えい」として、自衛官が懲戒免職となるのは初めて。書類送検を受けて捜査している東京地検が刑事処分を決める前に、同省が極めて厳しい処分に踏み切る異例の展開となった。背景には情報保全強化の流れがあり、取材を受ける公務員が萎縮(いしゅく)するなど「知る権利」「報道の自由」の制約につながる懸念がある。

 読売新聞東京本社は2日、編集主幹名で防衛省の処分を「遺憾」とする談話を発表しました。その中で今回の処分が「国民の知る権利にこたえる報道の役割を制約するおそれがある」と指摘する一方、読売新聞記者の取材は適正だったことも述べています。

 公権力が都合の悪いことを書かれたくなければ、方法は取材者への直接の弾圧に限りません。取材者の情報源、つまり情報の提供者を潰せば効果は同じです。「書かせない」だけではなく「書けない」状態に追い込めばいいのです。取材者に情報を内通すればどうなるか、見せしめを作れば、後に続く者はいなくなることが期待できます。
 情報提供者と取材者を同時に摘発すれば、「表現の自由」や「知る権利」への直接弾圧として激しい反発を受けるでしょう。しかし今回のように情報提供者だけを摘発した場合、処分を受けた情報提供者がその処分を受け入れてしまったら、処分が妥当かどうか、客観的な判断を仰ぐ場もありません。まさに今回の政府・防衛省の公式見解がそうなのですが「『表現の自由』や『知る権利』は尊重している。組織の規律の問題なのだ」との一見もっともらしい主張がまかり通ることになります。
 わたしが今回のケースでとりわけ問題だと考えるのは、軍事の分野での出来事である点です。

(続きます)
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by news-worker2 | 2008-10-05 01:11 | 表現の自由