ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


by news-worker2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
d0140015_19103025.jpg ことし4月に刊行されたときから早く読みたいと思いながら、先日ようやく読み終えました。著者の湯浅誠さんはNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長。研究者やジャーナリストとはまた違う視点から、ホームレスや生活困窮者の支援の具体的な実践を踏まえて書かれたリポートです。豊富な実例や統計データの精緻な分析が掲載されていますが、その紹介はここでは割愛し、わたしにとって印象深かった点をいくつか紹介したいと思います。

 第一は、貧困が社会の問題として見えていないとの指摘です。第3章「貧困は自己責任なのか」で著者は「貧困の実態を社会的に共有することは、しかし貧困問題にとって最も難しい。問題や実態がつかみにくいという『見えにくさ』こそが、貧困の最大の特徴だからだ」とした上で「姿が見えない、実態が見えない、そして問題が見えない。そのことが、自己責任論を許し、それゆえにより一層社会から貧困を見えにくくし、それがまた自己責任論を誘発する、という悪循環を生んでいる。貧困問題解決への第一歩は、貧困の姿・実態・問題を見えるようにし(可視化し)、この悪循環を断ち切ることに他ならない」と指摘しています。「本人の努力が足りないからだ」との「自己責任」の先入観がある限り貧困は可視化されない、という意味に受け止めています。
このことは、マスメディアの報道にもかかわってくる問題なのではないかと考えています。ここ2年ほどの間に、報道でも「ワーキングプア」という用語が定着し、「格差」が社会の問題として位置付けられるようになった観があります。しかし、知識として「ワーキングプア」や「格差社会」を意識しているつもりではいても、一歩踏み込んでマスメディアがどこまで「貧困」を社会問題として意識しているか。やはりマスメディアの側が自己責任論から完全には解き放たれていないのではないか。本書を読んで、そのことに思い至りました。

続きます
[PR]
# by news-worker2 | 2008-08-15 02:20 | 読書
 北京五輪が8日、開幕しました。昨夜は私事で開会式のテレビ中継は見ていませんが、けさの新聞各紙はそれぞれに伝えていることと思います。北京五輪の報道は、中国という「大国」をどう伝えるか、という側面も報道する側にとっては大きな課題であり、そこがこれまでの五輪とは大きく異なる点だと思います。よく知られているように、国家が表現の自由を制限している中で、日々、競技結果のほかにも何をどう伝えていくのか。新聞各紙を読み比べれば、各紙ごとのスタンスの違いなども読み取れるのではないでしょうか。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-08-09 08:26 | 新聞・マスメディア
 来春の就職活動(2010年春入社)を予定している人向けのお知らせです。
 新聞、出版、広告の3産業の産業別労働組合(産別)である新聞労連、出版労連、広告労協が合同で主催する「マスコミ就職フォーラム2010」が9月23日、東京・飯田橋の東京しごとセンターで開かれます。
 ことしで5回目ぐらいでしょうか。新聞や出版、広告を将来の仕事の候補に考えている学生の皆さんに、それぞれの仕事を現役の労働組合員がビビッドに語り、職業選択の判断に役立ててもらおうという試みで、わたしも新聞労連委員長のときには運営に参加しました。「こうすれば内定が得られる」というハウツー伝授ではありませんが、企業主催の会社説明会とは違って、実際に現場で働いている組合員が、産業や仕事のいいところも悪いところも話しますので、参考になると思います。
 詳細は「『マスコミ就職フォーラム2010』実施要項」へ。有料です。

 *写真は2005年11月のフォーラムのもようですd0140015_1533675.jpg
[PR]
# by news-worker2 | 2008-08-04 01:55 | 新聞・マスメディア
 漫画家の赤塚不二夫さんが2日午後、72歳で死去しました。
 手元にある3日付の朝日新聞、東京新聞各朝刊とも、本記は一面準トップ、社会面の半分以上を使って関連記事を掲載しています。あらためて知ったのですが、代表作のひとつになる「おそ松くん」の連載開始は1962年。60年生まれのわたしは幼児期、おそ松くんが大好きでした。幼稚園では友だちと、イヤミの「シェー」の真似をして遊んでいましたし、チビ太のおでんは串刺しなのに、どうして母が作るおでんは串に刺さってないのか不思議でした。その後の「天才バカボン」「もーれつア太郎」は、小学校でいつも友だちと共通の話題でした。
 戦後の高度成長にどっぷり漬かって大きくなったと指摘されるわたしたちの世代にとって、赤塚ギャグ漫画はいつも身近でした。皆が明るく、上を向いて歩いていられた時代の象徴だったのだと感じています。赤塚さんのご冥福をお祈りします。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-08-03 09:39 | 近況・雑事
 既に1週間が経ってしまいましたが、毎日新聞社の英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載されていた問題で、毎日新聞社が20日付朝刊と自社サイト上に内部調査結果と第3者委員会「『開かれた新聞』委員会」の委員4氏の意見を掲載しました(全文は毎日新聞のサイトで読めます)。この問題は以前のエントリ(「趣の異なる新聞不祥事~英文毎日の不適切コラム問題」)でも取り上げましたが、今回の検証については、総じて毎日新聞は真摯に取り組んだとの印象をわたしは持っています。その上で、不適切な記事を書いていた当該の外国人記者の毎日社内での立場と処遇について、「組織と個人の関係」や「働き方、働かされ方」の問題につながってくる大きな問題をはらんでいると考えています。わたしが感じていることを書いてみます。

続きます
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-28 01:09 | 新聞・マスメディア
 毎日新聞社の英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載されていた問題で、毎日新聞社はかねて予告していた通り、20日付朝刊と自社サイト上に内部調査結果と第3者委員会「『開かれた新聞』委員会」の委員4氏の意見を掲載しました。
 紙面では1面におわびの社告、22面と23面に調査結果と第3者委員会の意見があり、相当な記事量です。全文は毎日新聞のサイトで読めます。総じて、真摯に検証と再発防止策の策定に取り組んだとの印象をわたしは持っています。その上で、いくつか感じていることがあるのですが、整理した上で後日、書いてみたいと思います。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-22 01:10 | 新聞・マスメディア
 4月から続けていた明治学院大学社会学部の非常勤講師の講義が昨日(12日)で終わりました。「新聞ジャーナリズム」をテーマに計13回の講義でしたが、終わってみると「あっという間」だったというのが率直な印象です。
 以前のエントリ(カテゴリー「非常勤講師」)でも触れてきましたが、これまで主に「表現の自由」が新聞のジャーナリズムで実現されているか、新聞が「表現の自由」と「知る権利」を守ろうとしているかを中心に話してきました。昨日の講義のタイトルは総まとめとして「新聞は戦争を止められるか」としました。これまで25年間、新聞の仕事に携わってきたわたし自身の思いでもあります。
 日本社会の現代史は1945年8月の敗戦が大きな契機になっています。敗戦当時の新聞はと言えば、ひたすら戦意高揚のためだけの存在だったと言っていいと思います。その典型的な例として、45年3月10日に10万人以上が犠牲になった東京大空襲の報道を昨日の講義でもあらためて取り上げました。これもまた以前の講義で紹介したことですが「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉通りです。戦争をする国家は、実際に何が起きているのか、その実相のすべてを国民に明らかにはしません。その果てに何があるのか、わずか63年前に日本の社会で、わたしたちの父母や祖父母はそのことを身をもって経験したのだと思います。
 翻って今、わたしが暮らす日本の社会では、3つの流れが進んでいるとわたしなりに感じています。まず「戦争社会への道」。軍事面での日米の融合・一体化が進み、「日米同盟」という用語も何ら違和感なく新聞が用いています。自衛隊は米軍の支援のためにイラクやインド洋に派遣されており、より一体化を進めるために在日米軍の再編が進行中です。防衛庁は「省」に昇格し、自衛隊の海外派遣は本来任務のひとつと位置づけられました。有事法制も整備されています。改憲が加われば、名目上は国際協調のもとでの〝正義の戦争〟に限定されるにせよ、日本は法律面でも実体面でも戦争ができる国になるでしょう。
 2つ目は「監視社会への道」です。いわゆるビラまき逮捕事件の続発と有罪判決では、摘発されたビラまき行為はいずれも何がしか政治的主張を含むものでした。現在は表面的には沈静化しているものの、人間の内面を取り締まりと処罰の対象にすると言ってもいい「共謀罪」新設の動きもあります。最近では、恣意的な運用への危惧をぬぐいきれないインターネット規制の動きも加わってきました。
 3つ目は「格差社会への道」です。このことを強く意識し始めたのは新聞労連の専従役員の時期でしたが、今では「貧困」をキーワードに考えるべきなのかもしれません。
 「戦争社会」と「監視社会」と「格差(貧困)社会」の3つの流れは、相互に強い関連があると思います。貧困の拡大と戦争については、例えば堤未香さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」に書かれている通りです。この3つの流れが一つになるとき、「表現の自由」と「知る権利」はどうなっているだろうかと考えると、わたしは「だからこそ、社会に『表現の自由』と『知る権利』が保障されていなければならない」と強く思います。新聞というマスメディアにジャーナリズムを生き続けさせようとするならば、3つの流れの中の一つ一つの出来事に「表現の自由」と「知る権利」の観点からこだわっていかなければならないと思います。新聞の使命は突き詰めれば社会の「表現の自由」を守り、「知る権利」に奉仕することであり、そうすることを通じて「戦争を止める」ことだと考えています。
 昨日の講義では、最近読んだアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義」(幾島幸子訳、水嶋一憲・市田良彦監修、NHKブックス)も紹介しました。わたしの理解が正しいかどうかの問題はさておいて、ネグリらの言うネットワーク権力の「帝国」の時代に、マスメディアは「帝国」の広報・宣伝機関になっていはしないだろうか、それで終わっていいのだろうか、ということを強く感じています。そのまま戦争報道が行われれば、かつての「大本営発表」報道と変わるものはないでしょう。マスメディアという組織に身を置くとしても、わたしという「個」は一人のworkerとして、ネットワーク権力に対抗して真の民主主義と平和を求める「マルチチュード」に連なっていきたい、希望のネットワークに連なっていることを実感することで、わたしの仕事である新聞のジャーナリズムにも希望を失わずにいたいと願っています。

d0140015_0151997.jpg 「『教える』は『学ぶ』に通じるから」と勧められ引き受けることにした講義でしたが、まさにその通りの得難い経験でした。大学の講義と呼ぶにはあまりに拙い内容でしたが、それでも学生たちの内面に何がしか新聞やマスメディア、さらには世の中のことに思うところが出てきたとすれば、こんなにうれしいことはありません。
 わたし自身は、多くの新聞が並び立ち、多種多様な情報が社会に発信されていること自体、価値があることだと考えています。マスメディアだけではなく、ネットでも自由な情報発信が保障されていることにもまた同じように価値があると思います。それぞれの「個」が多種多様の情報に触れ、一つ一つの情報の意味を読み解いていくリテラシーを高めれば、「個」と「個」がつながる希望のネットワークはさらに強まり、大きくなっていくと確信しています。

 *決して広くはありませんが、気持のいいキャンパスでした。記念に撮った1枚をここに残しておきます。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-14 00:20 | 非常勤講師
 以前のエントリ「趣の異なる新聞不祥事~英文毎日の不適切コラム問題」で取り上げた英文毎日のコラム「WaiWai」問題で、毎日新聞社が7月中旬に社内調査結果を公表することを7日付の紙面とサイトで明らかにしました。第三者機関「『開かれた新聞』委員会」の見解も公表するようです。
 毎日新聞のサイト「毎日JP」のバナーがしばらく前から自社ものだけになっています。英文毎日の問題が広告に影響しているのだとすれば、マスメディアのネット展開の上からも、大きな出来事と位置づけられると思います。
 この問題ではブログ「ガ島通信」の藤代裕之さんのエントリ「毎日新聞『Wai Wai』問題と私刑化する社会とネット時代の企業広報の視点」が参考になります。

*追記(2008年7月10日午前8時半)
 この問題を取り上げたネット上の記事が目につくようになってきました。

 「『毎日jp』が自社広告だらけに、ネット上に深いつめ跡残る」ITpro

 「毎日jpのビジネスモデルが事実上の破綻、低俗記事乱発で広告出稿が激減」Technobahn

 「インターネットにようこそ。」ひろゆき@オープンSNS
  
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-08 08:46 | 新聞・マスメディア
 明治学院大社会学部での講義はきのう(5日)、「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマを終え、残すところ次回の1回だけとなりました。
 きのうの講義では、長年にわたって「部数第一主義」でやってきた新聞社のビジネスモデルは限界にきており、新たな収益モデルを模索する中で、各新聞社ともネット展開に力を入れてきていることや、そのことが新聞のジャーナリズムにどう影響するのかについて、わたしなりの考えを話しました。
 新聞社のビジネスと新聞のジャーナリズムはきちんと分けて論じないといけないのですが、まったく関係がない別々の問題というわけでもないと、わたしは考えています。新聞社がネット展開を強化していくことに異論はありませんが、ネットに踏み込む以上、新聞社のコンテンツといえどもネット空間では特別扱いというわけにはいかないと思います。具体的に言えば、新聞社の記事もネット空間では、例えば硫化水素の作り方を記した情報などと同列の存在であり、新聞社のサイトも例えば2ちゃんねると同列の存在です。それがネット空間での「平等」だと考えています。問題だと思うのは、そのことを新聞社の側がどこまで自覚できているか、です。そこに新聞のジャーナリズムにかかわる問題が出てくると思います。
 何度かこのブログでも触れてきましたが、例えば青少年の健全育成を目的にして、 「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」が6月11日に成立しました(法律全文は衆議院のホームページにあります)。携帯電話のフィルタリング機能をめぐって、何が有害情報に当たるのかの判断に国家が直接介入することは見送られましたが、それでも「違法」情報にとどまらず、「有害」情報を法に根拠を置いた規制の対象にする枠組みはできてしまいました。今後さらに、通信(ネット)と放送の一元規制がコンテンツ規制まで進めば、当然に新聞社のサイトも、新聞社がネット空間に発信している情報も規制の対象になります。規制の主体が現在の放送法と同じように国(総務省)になるのだとしたら、新聞ジャーナリズムが直接国の規制を受ける事態になります。そして「違法」にとどまらず「有害」な情報も規制の対象になるとしたら、本来あいまいな「有害」の線引きが恣意的に行われ、結果として新聞ジャーナリズムの表現の自由が制約を受けることになりかねない、そうわたしは危惧しています。
 翻って現在の新聞報道のネットに対するスタンスですが、時としてネガティブなとらえ方が前面に押し出されます。事件報道に顕著で、子どものいじめの舞台に学校裏サイトがある、犯罪被害に遭った少女が出会い系サイトで容疑者と知り合った、などのニュースは枚挙にいとまがないでしょう。それはそれで事件報道には必要な要素であり、社会に伝えなければならない情報ですが、ネットのそうしたネガティブな面だけが強調され続けると、国家によるネット規制論を呼び込むことになってしまう、そうなれば新聞は自らの首を絞めることになる、そのことをわたしは危惧しています。そうならないためには、新聞(この場合はビジネスの面もジャーナリズムの面も)の側がいかなる場面、局面でも「表現の自由」に徹底的にこだわること、その自覚と覚悟が問われてもいるのだと考えています。

 次回の講義は最終回として、4月から話してきたことの総まとめになります。春先に提出したシラバス(授業計画)ではテーマを「新聞は戦争を止められるか」にしました。講義を聴いてくれた学生の一人一人の頭の中に、何かひとつでも残るものがあるようにしたいと思います。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-07 00:16 | 非常勤講師
d0140015_042289.jpg 9条改憲、日米同盟、海外派遣、防衛庁から省への昇格など、戦後日本と平和をめぐって常に論議になる自衛隊ですが、海自イージス艦と漁船の衝突・沈没事故(ことし2月)のほか、陸自隊員による鹿児島のタクシー運転手刺殺事件(ことし4月)のように、最近では大きな不祥事も目立つようになっています。本書は、その自衛隊の中で何が起きているのかに迫った渾身のリポートです。
 本書はプロローグで、自衛隊の年間自殺者が最近では80―100人に達していることを紹介し、次いで、隊員の自殺をめぐって、護衛艦や部隊内で日常的に上官らのいじめがあったとして遺族が提訴しているケースや、部隊内での上官殺害事件、守るべき市民を隊員が襲った連続強姦事件、部隊内でのセクハラに続いて「悪いのはお前の方だ」と言わんばかりに上司から退職を強要された女性自衛官の裁判闘争などを取り上げています。裁判になったいじめ自殺やセクハラ被害は、マスメディアでも報道されていますが、本書はさらに遺族や支援者らに突っ込んで取材しています。
 わたし自身は、自ら命を絶った隊員たちが、他人の役に立ちたいと自衛隊を志願し、仕事に誇りを持っていながら、いじめやパワハラで追い詰められていったことが、遺族らへの取材で明らかにされていることが強く印象に残りました。自衛隊のイラク派遣に関連して名古屋高裁が出した違憲判断をめぐる以前のエントリ(「名古屋高裁判決についての航空幕僚長発言に感じる危うさ」)でも触れましたが、「組織と個人」という観点から見たとき、自衛隊員であることに誇りを持ちながら、その自衛隊という組織は個々の隊員を守ることができないのが実態ではないか、との読後感を持っています。軍事組織とはそういうものなのだとしたら、将来、仮に9条改憲で自衛隊が「軍隊」になったときどんな組織になっていくのか、いったい軍事組織は何のために存在するのか、危うさを感じます。
 著者の三宅勝久さんは元地方紙記者です。著書をめぐって名誉棄損を理由に、消費者金融「武富士」から起こされた巨額の損害賠償請求訴訟をたたかいぬいたフリーランスのジャーナリストです(新聞労連の委員長当時に、言論弾圧をテーマにした集会にパネラーとして参加していた三宅さんの話を聞く機会があり、そのときから尊敬の念を抱いています)。
 自衛隊をめぐっては、窃盗や飲酒運転などマスメディアが大きくは取り上げない不祥事も頻発しています。報道発表が部隊所在地の地元記者クラブに対してだけ行われ、結果としてその地域のローカルニュースとしてしか取り上げられないことも、三宅さんは自身のブログで明らかにしています。こうした自衛隊の情報コントロールに、多くの取材拠点を構え組織取材を身上としているはずのマスメディアは、いとも簡単に乗せられてしまっているのではないか…。自衛隊の在り方と同時に、マスメディアの権力監視の在り方もまた問われているのだと自戒しています。
[PR]
# by news-worker2 | 2008-07-05 23:45 | 読書