ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


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d0140015_1464464.jpg マスメディア、それも新聞産業の編集職場で働いていると、新聞記者が語るジャーナリズムは、「新聞」というマス媒体が今後も今までと同じようなマス媒体であり続けることが前提になっている、と感じます。「新聞が読まれなくなっている」こと自体は、最近では新聞社内で販売部門や広告部門だけでなく、編集部門の記者でもみな自覚しています。しかし「どういう風に読まれなくなっているか」となると、考えている人は意外と少ないのではないかと思います。新聞を手に取ってくれる人が減ってきていることは知っている。しかし「読者」と聞いて思い描くイメージは今までと変わらない「マスの人々」のまま。新聞記者の多くは、それが実状ではないか。日々、働いている中でのわたしの実感です。
 少しだけ具体的に言えば、新聞の作り手の側が考えるジャーナリズムでは「生活」とか「生活者」が大きなキーワードになっています。年金問題にしても、医師不足など医療問題にしても、あるいは米国発の金融・経済危機にしても、それをどう報道していくかというときに必ず「生活にどうかかわるか」「生活者の視線で」ということが重視されます。用語のバリエーションとしては「庶民」もこうした発想に含まれています。少し前に、新聞各紙がこぞってルポ風に取り上げた麻生首相のホテル・バー通いなどは、こうした発想がストレートに記事に反映された例と言っていいと思います。
 わたしは最近、そうした「読者=生活者=庶民=マスの人々」という新聞の作り手側の画一的とも言っていい発想に、違和感を抱くようになってきました。働き方一つを取っても、賃金労働者の3分の1以上を、派遣社員をはじめとする細切れ雇用の「非正規労働者」が占めるようになって久しいというのに、あたかも均一な「マス」が以前と同じように読者として記事を待っているかのような発想から抜け出ていないのではないか、という気がしています。ワーキングプアと呼ばれる貧困層にとって、朝夕刊セットで月々4000円近い大手紙の購読料は、それこそ「生活」防衛のためには真っ先に切り捨てられる項目でしょう。何の疑いもなく「夫婦と子ども2人の標準的な世帯の場合」といった例えが書かれている記事を、結婚したくともできない、子どもを産みたいと思っても産めない非正規雇用の若年層が読みたいと思うでしょうか。
 営業部門だけではなく編集部門の記者も、いや記者職こそ、「読者」を真剣に考えなければならないと思います。いったい、だれに読んでもらうために取材し記事を書くのか、ということです。そもそも取材にコストがかかることは、記者ならだれでも知っています。コストをかけて(何人もの記者を抱える人件費も含めて)丹念な取材ができることが新聞のジャーナリズムの特長である以上、そのコストをどうひねり出すかという問題は、一義的には経営の問題だとしても、今や「だれに何を読んでもらうのか、そしてだれから金をもらうのか」という意味で、編集のジャーナリズムも無関係ではありえません。新聞のジャーナリズムのどこがどう変わっていけばいいのか、答えはそんなに簡単には見いだせないと思いますが、議論と模索は必要です。
 前置きが長くなりましたが、そんなことを考えているときに時事通信編集委員の湯川鶴章さんの新著が刊行されました。一般にはタイトルからも内容の面でも、広告論として読まれているようですが、新聞をメインとする既存マスメディアの編集職場にいるわたしにとっては、新聞のジャーナリズムの今後を模索する上で示唆に富んだ一冊になりました。
 繰り返し登場するキーワードは漫画サザエさんに出てくる「三河屋さん」。磯野家の家族構成はもちろんのこと、しょう油1本にしても「そろそろ切れるころだ」と思ったら注文取りのときに「しょう油はどうしますか」と水を向け、波平さんの血圧が高ければ減塩の商品を奨める。例えればそんな情景で、顧客の嗜好・事情ごとにきめ細かく対応する情報サービスがデジタルの技術革新によって実現し、将来は広告のみならず消費行動そのものまで変わっていく、との指摘が、米国の最新事情の取材成果とともに示され、質の高いルポルタージュを読んでいるようなおもしろさに、知らず知らずのうちに引き込まれます。
 本書で直接、紹介されているのは広告ですが、これを記事(ニュース)の流れに置き換えればどうなるだろうか、ということを読んでいる最中から考えていました。新聞にしてもテレビにしても、ニュースは送り手側が「これがニュースだ」と判断したものを独自にパッケージにまとめて、マスの読者に向けて発信してきました。新聞社が自社サイトを設けてネット上でもニュースを発信するようになっても、根っこのところのニュースに対する考え方は変わりがありません。話をすっきりさせるために、新聞に限定して書いていきますが、新聞社からマス読者へ、「1対多数」の関係です。
 しかし、ネットとテクノロジーによって、まず広告が「1対多数」から「1対1」にシフトしていくのだとしたら、この先に何が起きるのでしょうか。新聞社の収益は大きく言えば広告料と購読料の2つです。新聞の広告媒体としての地位の低下と、販売部数の低迷が新聞社の経営を大きく揺さぶりつつあることは一般にも知られるようになっています。既に新聞社はどこも相当な金と人手をかけてネット展開に乗り出していますが、本気で新たな収益源の確保をネットに求めようとするなら、少なくとも画一的な「読者=生活者=庶民=マスの人々」を想定したような、従来のジャーナリズムだけでは太刀打ちできないと思います。マスの中の一人ひとりの「個」を見ながら「1対1」の関係を想定したジャーナリズムの可能性をいかに模索していくのか。情報の送り手と受け手の「1対1」の関係の集積としての「マス」、その意味でのマスメディアにどうやって自らを変えていくのか。当然、読者との間に双方向の関係もなければならないでしょうし、メディア内部での「個」の尊重という観点も重要です。要は、ジャーナリズムの中味も変わらなければ、新聞社は企業としても、ジャーナリズムとしても生き残れないのではないか。そこに経営者はもちろんのこと、一人ひとりの記者も気付くかどうかがポイントなのだという気がしています。
 湯川さんが本書を書かれた意図、訴えたかったことを正確にわたしが理解できているかどうかは心もとないのですが、以上が新聞記者の一人としてのわたしなりの読後感です。

 湯川さんには新聞労連の専従役員時代、労連の学習集会などで何度も講師をお願いしました。ネット社会をどう考えていけばいいのか、当時、湯川さんに教えていただいたことを一つひとつ思い出しながら、わたしの立場でわたしなりの実践を模索しています。本書も1人でも多くの新聞記者に読んでほしいと思います。
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by news-worker2 | 2008-11-30 13:53 | 読書
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d0140015_138499.jpg お知らせです。いつもこのブログのエントリーを紹介いただいているニュースサイト「NPJ」(News for the People in Japan)にお誘いをいただき、12月9日午後5時半から東京・立教大学で行われる勉強会「マスメディアと市民メディア 何が伝えられるの?~伝わることと伝わらないこと~」にパネリストの1人として参加することになりました。詳しくはこちらをご覧ください。
 他のパネリストは下村健一さん、田畑光永さん、NPJ編集長の弁護士日隅一雄さんで、コーディネーターは立教大学の服部孝章先生。そうそうたる皆さんの中で、わたしだけ場違いな感じもして気後れしそうなのですが、マスメディアの一角で働く記者の一人として、現場の声のようなものを伝えることが役どころだろうと思います。併せて、市民メディアとマスメディアの間のより良い関係について、わたしなりに思うところもお話できれば、と考えています。
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by news-worker2 | 2008-11-27 01:38 | 新聞・マスメディア
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 さいたま市南区で18日午前、元厚生省事務次官の山口剛彦さん夫妻が殺害されているのが見つかり、夜には東京都中野区でやはり元厚生省事務次官の吉原健二さんの妻が自宅で刺され重傷を負った事件は、22日夜になって警視庁に血の付いたナイフなどを持った男(小泉毅容疑者)がレンタカーで出頭し、捜査が大きく展開しました。「ペットを保健所に殺された」などの供述は動機として理解しにくく、本当に彼が真犯人なのか、ということも含めて、事件の全体像の解明にはなお時間がかかると思います。新聞をはじめマスメディアは、予断を排してまずは事実を伝えていくことに徹しなければならない、そういう事件だと思います。
 「予断を排して事実を伝える」ということにも大きくかかわってくるのですが、この事件の報道をめぐっては、事件発生以来、気になっていることがあります。「テロ」という用語です。
 事件と報道の経緯を簡単に振り返ると、まず18日午前、山口さん夫妻が自宅で殺害されているのが見つかりました。この時点では、山口さんが元厚生次官という高級官僚だったことに驚きはあったものの、警察の捜査も報道も、怨恨なのか強盗殺人なのかなどを含めて予断を排した慎重な姿勢でした。しかし、その日の夜、吉原さんの妻が襲われたことが判明すると、状況は一変します。マスメディアの報道は早い段階からほぼ一斉に「政治的目的を持った連続テロの可能性」を前面に出します。警察当局がそうした見方をいち早く打ち出したことが最大の要因だったと思います。被害者像が「ともに事務次官経験者の元厚生官僚」に加え「ともに年金行政の専門家とされ、同時期に『年金局長―年金課長』を務めていた接点がある」など、相次いで襲われたことは「偶然」とは考えにくく、いわゆる「消えた年金問題」などで厚生労働省、社会保険庁が批判を浴びていたことなどを考えれば、警察、あるいは政府とすれば、犯人逮捕もさることながら第三の被害を未然に防ぐことの方がより切迫した課題だったと思います。
 明けて19日、仮に政治的な目的を秘めた「連続テロ」ならば、犯人から何らかのメッセージが発せられるのではないかという予測がありましたが、結局は何もありませんでした。20日以降、2件の事件の共通点がいっそう鮮明になり、同一犯説が強まっていきますが、報道からは「テロ」という用語は後退していきました。
 さて、わたしが気になっているのは、18日夜の段階で警察や政府当局が「連続テロ」を想定することと、新聞などマスメディアが事件を「連続テロ」として、ないしは「連続テロの可能性」を報じることとを、当のマスメディアはどこまで峻別していたか、あるいは峻別しようとしたか、ということです。手元の新聞で調べた東京都内発行6紙の19日付朝刊の第一面本記がどんな見出しになっていたかを列記します。

 ▽朝日新聞
元厚生次官狙い連続テロか」「山口夫妻殺害 吉原氏の妻重傷」「年金改革進めた2人」
(本文中は「警察庁は連続テロとの見方を強め~」)
 ▽毎日新聞
元厚生次官宅連続襲撃」「中野でも妻が重傷」「宅配装った男に刺され」「警察庁『年金官僚』警備強化」
(本文中は「警視庁と埼玉県警は2人の次官が同じような経歴を持ち、手口も似ていることなどから関連があるとみて捜査~」)
 ▽読売新聞
元厚生次官宅連続テロ」「都内、妻刺され重傷」「さいたま夫婦刺殺」「共に元年金局長」
(本文中は「警察庁は~テロの可能性があるとみて」)
 ▽日経新聞
元厚生次官狙い連続襲撃か」「さいたまで夫婦刺殺」「東京・中野でも妻重傷」
(本文中は「警察庁は厚生次官経験者らを狙った連続テロ事件の可能性もあるとみて~」)
 ▽産経新聞
元厚生次官宅連続テロか」「埼玉で夫婦殺害 中野で妻重傷」「ともに年金ポスト経験」
(本文中は「警察庁は連続テロの可能性があるとみて~」)
 ▽東京新聞
元厚生次官宅連続テロか」「中野でも妻刺され重傷」「さいたまの夫妻殺害と断定」「警察当局、関連を捜査」
(本文中は「警察庁は元厚生官僚を狙った連続テロの可能性もあるとみている」)

 独自のニュースバリュー(価値)判断を身上とする新聞にとって、第一面のトップ記事の見出しは言ってみればメディアとしての「命」のようなものです。その見出しを比べると、毎日と日経が「テロ」を使っていないのが目を引きます。毎日は一面の本記本文のリード中にも使っていません(社会面には「年金テロなのか」の大見出し)。一方、「テロ」を使用した4紙の中で朝日、産経、東京の見出しはいずれも「連続テロか」と、断定は避けた表現なのに対し、読売だけは「連続テロ」と言い切った表現です。本文中は「テロの可能性があるとみて」となっているのにです。「テロ」の強調度は読売>朝日、産経、東京>日経>毎日の順になります。
 続く19日付夕刊の一面では、見出しから「テロ」がなくなっているのが大勢を占める中で、読売新聞だけは事件名を示す3本目の見出しに「元厚生次官宅連続テロ」と取り、本文中にも「連続テロとみられる事件で」と朝刊の「可能性」から一歩進めた表現になっていました。ちなみに翌20日付朝刊一面では各紙とも見出し、本文とも「テロ」は消えました。
 各紙とも把握している情報はほぼ同一なのに、なぜこれだけの違いが出たのでしょうか。推測にすぎないのですが、毎日新聞や日経新聞では、編集部門で「テロ」の用語の定義づけに相当な議論が行われたのではないかと考えています。
 そもそも「テロ」の用語には、例えばウイキペディアの「テロリズム」の項をみても、一般に広い解釈の余地があるとの印象があり、何がテロなのかの定義づけ自体に政治的な意味合いが含まれることも指摘されています。18日夜の時点で、警察当局にとっては第3の事件を起こさせてなならないことが最重要であり、その観点からは政治的目的を持ったテロの可能性も想定しておかなければならなかったことは当然でしょう。警察当局のその想定に沿って、新聞などマスメディアがテロの可能性を報じることは必ずしも間違いではないし、警察当局が2件の事件の関連性をどうとらえているかということ自体、ニュースバリューはあります。
 しかし、一方で「テロ」という用語からイメージするものが人それぞれによって幅があることを踏まえるなら、警察当局が「テロ」という用語を使っているからといって安易に使わず、言葉を置き換えて報道することもまたジャーナリズムの見識ではないかと思います。用語の定義づけも定かではないままに安易な用法に流れることは、自覚しないままに当局側と同じものの見方に立ってしまう危険があるからです。
 「テロ」という用語は、外信部門では例えば米国の「テロとの戦い」、イラク情勢で「自爆テロ」などの用語が紙面に載っています。「テロとの戦い」は米国大統領が言い出したまさに政治的用法として、そのままに伝えることにも意義があると思いますが、イラクの米兵に対する「自爆テロ」は「自爆攻撃」と置き換えることも可能です。「テロ」を使うことで、知らず知らずのうちに米大統領と同じ価値判断に立ってしまう恐れはないでしょうか。アラブ情勢に詳しい記者からかつて聞いた話ですが、日本のマスメディアが「米兵にまたテロ」と伝えた同じ出来事を、アラブの反米系メディアは「抵抗勢力が連戦連勝」と伝えていたそうです。
 いずれにせよ、情報は言葉を介して伝わっていくものである以上、解釈に幅がある用語、それ自体に政治的意味合いを持つ用語などは、マスメディア内で用法を日常的に議論し、できれば可能な限りの定義づけや用法のガイドラインのようなものを情報の受け手(新聞ならば読者)に対して公開するスタンスもあっていいと思います。
 今回の事件の新聞各紙の報道に話を戻すと「どこそこの新聞はおかしい」という問題ではないと思いますが、事件を伝えるメインの記事の中で「テロ」の使用を限定的にした毎日新聞の見識は注目されていいと思います。
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by news-worker2 | 2008-11-25 01:09 | 新聞・マスメディア
 航空自衛隊トップの田母神俊雄・航空幕僚長が、過去の中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化して「わが国が侵略国家だったなどというのはまさにぬれぎぬ」と主張する論文を発表し、マンション・ホテルチェーンのAPAグループが主催する「第1回真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞に選ばれたことが10月31日に分かり、更迭されました。マスメディアでも大きく報道されましたが、論文は政府の憲法解釈で禁止されている集団的自衛権行使や「攻撃的兵器」の保有解禁も必要だと主張していると読み取れる内容になっています。APAグループのホームページでは「航空幕僚長」の肩書きを明記して紹介しています。「日本は侵略国家であったのか」と題した論文はこのホームページからPDFファイルでダウンロードできます。
 わたしは、田母神氏の更迭は当然のことと受け止めています。
 仮に田母神氏の主張の当否をさて置くとしても、まず幹部職の国家公務員、しかも自衛隊の制服組のトップクラスの人物が、官職を名乗り国内政治的にも外交的にも賛否が割れるような内容の見解を外部に公表すること自体、信じがたい行動です。自衛隊のシビリアンコントロールの根幹にかかわることであり、このことだけで田母神氏は「その任にあらず」と言っていいでしょう。しかもその内容たるや、少なくとも「過去の侵略」についての見解は完全に従来の政府見解と異なるものであり、軽挙妄動の極みだと思います。また、懸賞論文のテーマは「真の近現代史観」であって「歴史研究」ではないと読めなくもないのですが、到底、歴史研究の成果として論争に耐えられるレベルでもないと思います。
 田母神氏は、以前のエントリー(「名古屋高裁判決についての航空幕僚長発言に感じる危うさ」や「イラク自衛隊撤収と名古屋高裁判決をめぐる『その後』」を参照ください)でも取り上げましたが、イラクでの航空自衛隊の武装兵員空輸活動を違憲、違法とした4月17日の名古屋高裁判決に対し、記者会見で「(隊員の気持ちを代弁すれば)『そんなの関係ねえ』という状況だ」と言い放った人物です。行政側の高官の一員として、司法をやゆし、3権分立をないがしろにしたとも受け取られかねないこの発言に対し、政府は何ら問題視しようともしませんでした。
 さすがに今回の論文では即日、更迭となりましたが、それで問題は終わりではないと考えています。本当にわたしが危惧するのは、自衛官が自衛官たる本分をわきまえているなら起こるはずがないこと、そんなことを実際に制服組のトップが起こしている、そのこと自体が何を意味しているのか、です。自衛隊の中でいったい何が進行中なのか、分かったものではないという不安を感じています。
 田母神氏の今回の一件は、個人レベルでの思想・信条の自由、内心の自由とはまったく異質の問題だと思います。自衛官は国の独立を守ることを職責とし、そのために暴力の行使を容認されています。独立を守るべきその国は民主主義で運営されており、その社会には多様な価値観が担保されていなければならないはずです。なのに、制服自衛官のトップが自らの価値観を主張し、その価値観と相容れない人びとを批判するに等しい論文を官職を明らかにして発表して、果たして暴力の行使を付託するに問題ないと言えるでしょうか。田母神氏が個人の信条として独自の「歴史観」を持っていて、そのこと自体は内心の自由だとしても、航空自衛隊という軍事組織のトップである以上、個人的な見解を官職を明らかにして公表することは、日本が民主主義社会である以上は許されないことだと思います。
 自らの社会的な存在意義を理解できていないとしか考えられないこのようなトップがどうして出てきたのか、論文公表は〝確信犯〟ではないのか、幹部自衛官らのシビリアンコントロール遵守に懸念はないのか、自衛隊の中で何が起こっているのか。これらの点の徹底的な検証もジャーナリズムの課題だと思います。
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by news-worker2 | 2008-11-03 00:52 | 憲法
 以前のエントリー(暴力の矛先を身内に向け、自衛隊は何を守るのか~内部告発の受け皿へマスメディアは奮起のとき )で取り上げた海上自衛隊特殊部隊「特別警備隊」の隊員養成課程で起きた3等海曹死亡事件で、防衛省が22日、海自調査委員会の中間報告を公表しました。養成課程を2日後にやめることが決まっていながら、送別行事として15人を相手に連続格闘が行われていたことに対し、中間報告は「必要性は認めがたい」としています。しかし「連続格闘がなぜ行われたのか」との最大の疑問点に納得できる説明はなく、集団暴行ではないのかとの疑いは防衛省も否定することができない、とわたしは受け止めています。一方で、「中間報告」と位置付け、調査を継続するとしながらも、今後の調査項目の柱に教官や隊員の格闘技経験や適性、訓練としての妥当性を強調するなど、3曹の死亡を「事故」として決着させたい意図が透けて見えると感じています。

 *中間報告の全文PDFファイルが防衛省のホームページにアップされています。

 今回の事件では、自衛隊内の警察組織である警務隊も捜査中とされていますが、同じ自衛隊の中で、どこまで真相に迫れるかを疑問視する指摘もあります。これも以前のエントリー(ひとこと:護衛艦「さわぎり」訴訟の遺族勝訴判決が確定)で取り上げた1999年の護衛艦さわぎり乗組員の3曹の自殺では、9年後の今年、3曹が上司の侮辱的言動を苦にしていたことがようやく司法によって認定され、判決が確定ましたが、これは逆に言えば、遺族が裁判に訴えるところまでやらなければ、真相はうやむやのままにされていたかもしれないことを示しています。しかも、逆転勝訴判決が確定した後も防衛省からの直接謝罪はなく、両親が上京して防衛省に出向いた23日、応対した人事教育長がようやく「申し訳なく思います」と口にしました。共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊佐世保基地(長崎県)の護衛艦さわぎりの艦内で1999年に3等海曹=当時(21)=が自殺した原因を「上司の侮辱的言動によるストレス」と認め、国に賠償を命じた福岡高裁判決が確定したのを受け、防衛省は23日、3曹の両親に初めて謝罪した。
 同日午後、宮崎市在住の両親が同省を訪れ、再発防止の徹底を申し入れた際、応対した渡部厚人事教育局長が「かけがえのないご子息を亡くし、申し訳なく思います」と謝罪した。

 まるで「東京まで来たんだったら謝ってやろうか」と言わんばかりの対応だと思います。

 理不尽な連続格闘の末に命を落とした3曹の事件で、不透明な決着を許さないためには、自衛隊員個々の良心に行き場を確保し、内部告発が生かされる環境が必要だと思います。マスメディアにとっても、このようなケースこそ組織ジャーナリズムの持ち味を十分に発揮し、内部告発の受け皿たり得るように奮起しなければなりません。存在意義が問われている、と言ってもいいと思います。
 中間報告を報じた新聞各紙の扱いは、在京大手紙はおおむね社会面を中心に本記のみの比較的、地味な扱いでした。しかし、事件現場となった広島県の地元紙の中国新聞は、一面トップに共同通信配信の記事を5段見出しで大きく据え、社会面には共同通信記者の解説記事、連載企画「病める自衛隊」、中間報告要旨を掲載しました。亡くなった3曹の出身地の愛媛新聞も、共同通信配信記事を一面トップに据えています。
 自衛隊をめぐっては、存在自体に対して新聞ごとにスタンスは異なっていますが、3曹の死がいかなる理由をもっても正当化されないことに異論はないでしょう。だれが見ても納得できる形で真相が究明されるよう、マスメディアとしても取材を尽くし、繰り返し報ずべきです。
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by news-worker2 | 2008-10-24 03:01
 また自衛隊の不祥事が明らかになりました。広島県江田島市の海自第一術科学校で9月、特殊部隊「特別警備隊」隊員養成課程の25歳の男性3曹が15人相手の格闘訓練をさせられ、頭を強打し死亡していたことを12日、共同通信が報じ、新聞休刊日を挟んで14日、他紙も一斉に続きました。3曹は特別警備隊の養成過程を辞める直前。教官らは遺族に「はなむけのつもりだった」と説明したとされます。共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」の隊員を養成する第一術科学校(広島県江田島市)の特別警備課程で9月、同課程を中途でやめ、潜水艦部隊への異動を控えた男性3等海曹(25)=愛媛県出身、死亡後2曹に昇進=が、1人で隊員15人相手の格闘訓練をさせられ、頭を強打して約2週間後に死亡していたことが12日、分かった。
 教官らは3曹の遺族に「(異動の)はなむけのつもりだった」と説明しており、同課程をやめる隊員に対し、訓練名目での集団暴行が常態化していた疑いがある。海自警務隊は傷害致死容疑などで教官や隊員らから詳しく事情を聴いている。
 3曹の遺族は「訓練中の事故ではなく、脱落者の烙印を押し、制裁、見せしめの意味を込めた集団での体罰だ」と強く反発している。

 この事件に対し海上自衛隊トップの海幕長は14日の会見で「調査してから判断したい」と述べました。同じく共同通信の記事を引用します。
 海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」(特警隊)の養成課程の男性3等海曹(25)死亡事件で、赤星慶治海幕長は14日の定例会見で、3曹が異動する2日前に格闘訓練が行われたことについて「こういうことをやるのがいいのか、内容が適切なのか、調査してから判断したい」と述べるにとどまった。
 浜田靖一防衛相は同日午前の会見で、1人で15人を相手にする格闘を「特殊、特別な気がしないでもない」として訓練の範囲を逸脱したとの認識を示しており、立場の違いが際立った。

 隊員一人一人の「個」があまりにも軽く扱われる自衛隊のありようについては、このブログでも何回か書いてきましたが、今回の一件は悪質さが際立っています。いったいどういうつもりで「はなむけ」などという言葉を口にできるのか。そして当事者意識を欠いたとしか言いようのない赤星海幕長の発言。常に憲法上の議論にさらされながらも、国家の独立を守るためにのみ保有を許されているはずの〝暴力〟の矛先を身内に向けたことに、この組織はあまりに鈍感だと言わざるを得ません。いったい何を守ろうというのでしょうか。
 以前のエントリで紹介した「自衛隊員が死んでいく」の著者でジャーナリストの三宅勝久さんは、今回の事件についてご自身のブログで次のように指摘していますが、同感です。
 隊内で起きていることは、やがて隊外でも起きる。昨年度暴力で懲戒処分を受けた80人以上のうち、30人近くは一般市民を巻き添えにした事件を起こしている。
 「隊員なんてモノ以下ですよ」とは、現役幹部の言葉である。隊員がモノなら、一般国民は何なのだろうか。武装集団が暴走しはじめてからでは遅い。「軍事オンブズマン」のような第三者の監視制度をつくるなどしてブレーキをかけなければ、危なくて仕方ない。

 海自は事件当日も、3曹が死亡した翌日も、公式発表では15人が相手だったことは伏せていました。真相の隠ぺいを図ったと言えば言い過ぎだとしたら、事件を矮小化したいとの意図が透けて見える、と言ってもいいと思います。実際、発表を受けた新聞各紙の当初の報道は地元向けの小さな記事だけで、全国ニュースにはなりませんでした。
 自衛隊は他官庁と比べて自殺者が出る割合が高く、しかも動機が不明とされているケースが多いことがかねてから指摘されています。先日は、護衛艦乗組員の自殺をめぐって、上官に指導の域を超えた侮蔑的な言動があり、これによるストレスが原因のうつ病で自殺したと認定した福岡高裁判決が確定しました(過去エントリ「ひとこと:護衛艦『さわぎり』訴訟の遺族勝訴判決が確定」)。
 今回の一件を見るにつけても、自衛隊内部には公になっていない幾多のいじめ、リンチなどがあるのではないかと思います。新聞をはじめとしたマスメディアにとっては、そうした個々の腐敗、不正をひとつひとつ暴いていくことができるかが問われているようにも感じます。そのためには、内部告発の受け皿足りうることが必要であり、ここは奮起の時だと考えています。

 15日には、こんな動きもありました(共同通信記事より引用)。「内部告発の受け皿」と密接な関係がある出来事です。
 南シナ海での中国潜水艦の事故をめぐり「防衛秘密」を読売新聞記者に漏らしたとして、自衛隊法違反容疑で書類送検された防衛省の元情報本部課長北住英樹元1等空佐(50)について、東京地検は15日、不起訴処分(起訴猶予)にした。
 元1佐が情報漏えいを認め反省しているほか、2日付で懲戒免職となったことや、防衛省の再発防止策などを考慮した。

 わたしの考えは過去エントリ「軍事が無原則に『表現の自由』『知る権利』に優先する危険~読売新聞情報源の懲戒免職の意味」に書いた通りです。ご一読をお願いいたします。

*追記(2008年10月17日午前2時10分)
 自衛隊の「暴力」の合法、違法については、弁護士の杉浦ひとみさんのブログエントリ「海上自衛隊の『はなむけ』と角界の『かわいがり』比較」の論考が参考になりました。一部を引用します。
 この海上自衛隊の中での暴行の問題は、さらに角界の件とは別の大きな問題があると思います。それは、自衛隊がもともと物理的な力を携えることが法で許容されている集団だからです。そして、その力は隊内部で相互に使われるのではなく、第三者に対して行使されることが想定されているからです。
 力を行使することが法的に認められる立場にある者が、力の使い方についての違法・適法の判断力が養われていない場合、非常に危険なことになります。

 自衛隊に「暴力」が許容されているのは、それが日本の独立を損ねる外敵に向けられることが想定されているからであり、そうでないならば違法である、との指摘だと理解しています。そこがスポーツや武道としての格闘との本質的な違いだと思います。
 
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by news-worker2 | 2008-10-16 02:50
d0140015_23575169.jpg 朝日新聞社ジャーナリスト学校が刊行していた研究誌「朝日総研リポート AIR21」が衣替えし「Journalism(ジャーナリズム)」10月号が刊行されました。朝日新聞のサイトの告知記事によると、「現場の記者、編集者や研究者らが執筆し、メディアの問題を考える月刊研究誌」とのことですが、最大の特徴は朝日新聞以外の新聞に所属する現役の記者が複数、論考を執筆していることでしょう。10月号では毎日新聞や高知新聞、沖縄タイムスなどの記者の名があります。
 日本の新聞ジャーナリズムをめぐっては、新聞社内で多くの場合、「新聞というメディア」と「新聞社という企業」とが峻別されないままに語られているとの実感をわたしは持っています。「Journalism」誌の発刊は、朝日新聞社のジャーナリスト学校の意欲的な試みとして受け止めています。
 「メディアリポート」では「放送」「新聞」「出版」の伝統的マス媒体とともに「ネット」(執筆者はブログ「ガ島通信」の藤代裕之さん)も取り上げています。同誌の今後に注目したいと思います。
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by news-worker2 | 2008-10-13 23:59 | 新聞・マスメディア
 8日付けの東京新聞夕刊の第2社会面に、宇佐見昭彦記者の署名入りで、麻生首相の〝失言〟(=事実誤認)を指摘する記事が掲載されました。一部を引用します。
 麻生太郎首相の誕生から2週間。地球温暖化に関し、麻生首相が「台風上陸が1度もないのは過去に例がない」と就任時に発言したことが、気象関係者の間で波紋を広げている。過去3例あって事実に反する上、上陸ゼロも異常とは言えず、温暖化との関連も認められないためだ。
 麻生首相は九月二十四日の会見で閣僚名簿を自ら発表。斉藤鉄夫環境相(留任)の名を読み上げた際、この発言が飛び出した。
 だが、一九五一年以降で上陸ゼロは八四年、八六年、二〇〇〇年の三例。九月末までゼロ(十月に上陸)の八七年も含めると、発言時点で首相は過去四例を見落としており、完全に誤りだ。
 また「四年前は九回上陸」も十回の誤り。「平均三回」についても、正確には平年(二〇〇〇年までの三十年平均)の上陸数は二・六だ。

 この記事を読むまで、首相の発言にこんな事実誤認があったとは気付きませんでした。まずは不明を恥じています。その上で、ということになるのですが、首相としていかにも言葉が軽い、との印象はぬぐえません。
 通例では、内閣発足時の閣僚の紹介は官房長官が行っていました。麻生首相は自らそれを行い、新鮮さをアピールしたのかな、と感じていました。しかし、ささやかな労力を惜しまずに調べていれば、このような事実誤認の発言は出るはずもない、そんなレベルの発言です。加えて言うならば、環境相に限らず、首相自らが閣僚を紹介するのであれば、このポストになぜこの人を選んだのか、人選の狙いを語るべきだったと思うのですが、課題は長々と説明しても、人選の意図、狙いはほとんど言及がありませんでした。
 「たかがその程度の発言で目くじらを立てるまでも…」との意見もあるかもしれませんが、新たに首相に就任した政治家の、しかも自らが選んだ閣僚の紹介の中での発言だけに、軽視すべきではないだろうと思います。マスメディアが社会に投げかけるに足る情報だと思います。
 
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by news-worker2 | 2008-10-09 04:07
 4月から務めていた明治学院大学社会学部の非常勤講師は、9月いっぱいで名実ともに終了しました。そのタイミングに合わせてでしょうか、きょう(10月1日)、授業の中で実施されていた「授業評価調査」の結果が郵送で届きました。
 これは、受講している学生にアンケート形式で授業に対する評価を提出してもらい、結果を授業の改善、向上に役立てるのが狙いで、いわば学生から教員への「通信簿」です。今ではだいたいどこの大学でも実施しているようです。
 設問は18あり5段階評価。通信簿を受け取るのは何十年ぶりでしょうか。少しどきまぎしましたが、うれしかったのは「この授業のテーマと内容についての関心は高まりましたか」「この授業から新しい知識が得られましたか」の2つの設問に、9割以上の学生が最高の「5」を付けてくれたことです。
 機会があれば、ぜひまた講師職にチャレンジしたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-10-02 00:55 | 非常勤講師
 毎日新聞の27日付朝刊(東京本社発行、最終版)に訂正とおわびの2つの記事が掲載されました。一つは小泉元首相の引退表明をめぐる飯島勲元秘書官のコメントの引用についての訂正。もう一つは英文サイト「毎日デイリーニューズ」のコラム「WaiWai」問題で、毎日側が記事を無断で利用、翻訳していた出版社、新聞社が32社に上っていたことの新たなおわび(サイトにもアップされています)です。2つの問題自体は異なる事柄ですが、新聞社のジャーナリズムの在り方からは、必ずしも相互に無関係ではないように思えます。
 飯島元秘書官の発言の引用を訂正した記事は、26日付朝刊の政治面(5面)に「存在感 神通力薄れ」「『支持』小池氏も総裁選惨敗」などの見出しとともに記者の署名入りで掲載されました。背景事情として、小泉元首相の政治的影響力が弱まっていたことを指摘する内容のいわゆる「サイド記事」です。関係部分を引用します。
 「小泉氏は(サプライズを生む)魔法のつえをなくしてしまった。次期衆院選で小泉氏が応援しても小泉チルドレンは負けるだろう」
 長く秘書として仕えた飯島勲元首相秘書官は、引退の報を聞くと周辺にこう語った。

 この記事について27日付朝刊の同じく5面に、発言していない言葉が掲載されたとして、飯島氏が毎日新聞社社長、政治部長、記者の3人を名誉棄損、信用棄損、業務妨害の疑いで警視庁に告訴状を提出したことを伝える記事とともに、「訂正」を掲載しています。引用します。
 26日朝刊で、小泉純一郎元首相の飯島勲元秘書官の話として「小泉氏は(サプライズを生む)魔法のつえをなくしてしまった。次期衆院選で小泉氏が応援しても小泉チルドレンが負けるだろう」とあるのは、飯島氏の数日前の話を誤って形で引用したものでした。飯島氏は、小泉元首相引退の報を聞いてこのようなコメントはしていません。この部分を取り消します。

 毎日新聞の訂正記事では、数日前ではあるものの発言自体はあったことになります。しかし、なぜ時期を間違えてしまったのかは定かではありません。気になるのは、発言自体の有無(時期はともかくとして)についての飯島氏の主張は、他の報道によれば必ずしも毎日新聞の説明と一致しないことです。例えば共同通信の記事では「飯島氏は『毎日新聞から(取材の)電話も受けていない。捏造だ』と発言を否定。週明けに損害賠償を請求する訴訟も起こすとしている。」とあります。
 発言は確かにあったが時期を間違えて引用してしまったのか、それとも発言自体が存在していないのか。後者だったとすると、次には毎日新聞が記事で「周辺にこう語った」と記述している「周辺」など毎日新聞の情報源の信ぴょう性が問題になります。飯島氏に対する毎日新聞記者の直接取材はなかったと推察されることも含めて、毎日新聞記者の取材は妥当だったのか、という問題です。
 毎日新聞本紙の取材と記事の掲載のありようという問題は、もう一つのおわび記事のWaiWai問題にも関係してくるのではないかと思います。
 毎日新聞はことし7月20日付朝刊に、WaiWai問題の検証記事を掲載しました(サイトにもアップされています)。その中には次のようなくだりがあります。
 毎日新聞本紙では、記者が書いた原稿はデスクが目を通し、事実関係や表現について筆者に細かく確認を取ったうえで出稿される。さらに、紙面に掲載されるまでには、記事の扱いや見出しを決める部署や校閲部門、当日の編集責任者など何重ものチェックを経る。しかし、「WaiWai」ではこうした綿密なチェックは行われていなかった。原典の雑誌記事との照合も行われず、ほとんどが外国人スタッフの間で完結していた。

 WaiWaiの不適切な記事とは異なり「何重ものチェック」を経ていた本紙の記事で、なぜ今回のような誤報が起きたのかは、つまるところWaiWai問題の再発防止策にも密接にかかわってくる、と言えるのではないでしょうか。毎日新聞社には、WaiWai問題でみせたように、飯島氏の発言引用問題でも誤報の経緯を検証し、読者に説明する真摯な対応を期待しています。

 WaiWai問題は何度かこのブログでも取り上げてきました。過去エントリをまとめておきます。(新着順)。
 外国人記者の「働かされ方」に問題はなかったか~毎日WaiWai問題検証で考えること
 ひとこと:英文毎日コラム問題で毎日新聞が内部調査結果を掲載
 ひとこと:英文毎日問題で7月中旬に調査結果公表
 趣の異なる新聞不祥事~英文毎日の不適切コラム問題
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by news-worker2 | 2008-09-28 02:59 | 新聞・マスメディア