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 明治学院大社会学部での講義はきのう(5日)、「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマを終え、残すところ次回の1回だけとなりました。
 きのうの講義では、長年にわたって「部数第一主義」でやってきた新聞社のビジネスモデルは限界にきており、新たな収益モデルを模索する中で、各新聞社ともネット展開に力を入れてきていることや、そのことが新聞のジャーナリズムにどう影響するのかについて、わたしなりの考えを話しました。
 新聞社のビジネスと新聞のジャーナリズムはきちんと分けて論じないといけないのですが、まったく関係がない別々の問題というわけでもないと、わたしは考えています。新聞社がネット展開を強化していくことに異論はありませんが、ネットに踏み込む以上、新聞社のコンテンツといえどもネット空間では特別扱いというわけにはいかないと思います。具体的に言えば、新聞社の記事もネット空間では、例えば硫化水素の作り方を記した情報などと同列の存在であり、新聞社のサイトも例えば2ちゃんねると同列の存在です。それがネット空間での「平等」だと考えています。問題だと思うのは、そのことを新聞社の側がどこまで自覚できているか、です。そこに新聞のジャーナリズムにかかわる問題が出てくると思います。
 何度かこのブログでも触れてきましたが、例えば青少年の健全育成を目的にして、 「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」が6月11日に成立しました(法律全文は衆議院のホームページにあります)。携帯電話のフィルタリング機能をめぐって、何が有害情報に当たるのかの判断に国家が直接介入することは見送られましたが、それでも「違法」情報にとどまらず、「有害」情報を法に根拠を置いた規制の対象にする枠組みはできてしまいました。今後さらに、通信(ネット)と放送の一元規制がコンテンツ規制まで進めば、当然に新聞社のサイトも、新聞社がネット空間に発信している情報も規制の対象になります。規制の主体が現在の放送法と同じように国(総務省)になるのだとしたら、新聞ジャーナリズムが直接国の規制を受ける事態になります。そして「違法」にとどまらず「有害」な情報も規制の対象になるとしたら、本来あいまいな「有害」の線引きが恣意的に行われ、結果として新聞ジャーナリズムの表現の自由が制約を受けることになりかねない、そうわたしは危惧しています。
 翻って現在の新聞報道のネットに対するスタンスですが、時としてネガティブなとらえ方が前面に押し出されます。事件報道に顕著で、子どものいじめの舞台に学校裏サイトがある、犯罪被害に遭った少女が出会い系サイトで容疑者と知り合った、などのニュースは枚挙にいとまがないでしょう。それはそれで事件報道には必要な要素であり、社会に伝えなければならない情報ですが、ネットのそうしたネガティブな面だけが強調され続けると、国家によるネット規制論を呼び込むことになってしまう、そうなれば新聞は自らの首を絞めることになる、そのことをわたしは危惧しています。そうならないためには、新聞(この場合はビジネスの面もジャーナリズムの面も)の側がいかなる場面、局面でも「表現の自由」に徹底的にこだわること、その自覚と覚悟が問われてもいるのだと考えています。

 次回の講義は最終回として、4月から話してきたことの総まとめになります。春先に提出したシラバス(授業計画)ではテーマを「新聞は戦争を止められるか」にしました。講義を聴いてくれた学生の一人一人の頭の中に、何かひとつでも残るものがあるようにしたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-07-07 00:16 | 非常勤講師
 北海道洞爺湖サミットが来週7月7日に始まりますが、先週来、市民メディア団体の招待で来日する海外の市民メディア関係者がスムーズに入国できない事態が起きているようです。中には成田で拘束され、危うくそのまま強制退去を余儀なくされそうになったケースも。拘束の状況がそのまま当事者によってネットで報告もされているようです。
 こうした状況に対し、市民メディア団体が6月30日に会見して緊急声明を発表しました。新聞や放送メディアもちらほら取り上げているようです。日本社会の「表現の自由」が外にも開かれているのか、海外からも注目されていると感じています。

香港のメディア関係者3人が成田で一晩拘束~強制退去の危機も~

相次ぐ記者拘束に緊急声明(G8メディアネットワーク)
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by news-worker2 | 2008-07-02 01:52 | 表現の自由
 毎日新聞社が27日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」のコラム「WaiWai」に不適切な記事を掲載していたとして、担当記者らの処分を決めました。毎日.jpの告知記事を引用します。

 毎日新聞社:「WaiWai」問題で処分
 毎日新聞社は27日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載された問題で、コラムを担当していた英文毎日編集部記者を懲戒休職3カ月にした。また、監督責任を問い高橋弘司英文毎日編集部長を役職停止2カ月、当時のデジタルメディア局次長の磯野彰彦デジタルメディア局長を役職停止1カ月の懲戒処分とした。このほか、当時のデジタルメディア局長の長谷川篤取締役デジタルメディア担当が役員報酬の20%(1カ月)、当時の常務デジタルメディア担当の朝比奈豊社長が役員報酬10%(1カ月)を返上する処分とした。
 本社は、担当記者が国内の雑誌に掲載された風俗記事を英文サイトに引用する際、不適切な描写のまま英文に翻訳した結果、多くの読者に不快感を与え、インターネット上で批判を受けるなど信頼を損なったと判断した。上司については、記事のチェックを怠るなどの監督責任を問うた。WaiWaiは今月21日に閉鎖している。

 問題の経緯は、毎日新聞の告知記事では以下のようになっています。引用が多くなることは承知していますが、報道記事ではなく毎日新聞の見解ですし、正確性を期すためにそのまま引用します。

 「WaiWai」コラムの前身は1989年10月、紙の新聞の「毎日デイリーニューズ」上で連載を開始した。その後、紙の新聞の休刊に伴い、2001年4月19日からはウェブサイト上の「WaiWai」として再スタートした。
 英文毎日編集部に籍を置く日本在住の外国人記者と外部のライターが執筆し、日本国内で発行されている雑誌の記事の一部を引用しながら、社会や風俗の一端を英語で紹介した。どのような記事を選択するかは主に外国人記者が行った。
 5月下旬、過去の掲載記事について「内容が低俗すぎる」「日本人が海外で誤解される」などの指摘・批判が寄せられ、調査した結果、不適切な記事が判明し、削除した。それ以外の記事についてもアクセスできない措置を取り、チェックを続けていた。
 6月中旬、削除した記事がネット上で紹介され、改めて批判・抗議が寄せられた。
 さらに調べた結果、元記事にはない内容を記者が加えていたケースも1件確認された。品性を欠く情報発信となったことを反省し、全面的に閉鎖することにした。
 その後、今回の問題についての経緯とおわびを日本語と英語でウェブサイトに掲載。25日付朝刊本紙にもおわびを載せた。
 社内調査に対し、記者は「風俗の一端と考え、雑誌記事を引用し紹介したが、引用する記事の選択が不適切だった。申し訳なかった」と話している。同コラムの執筆を記者に委ね、編集部内での原稿のチェックが不十分で、編集部に対する上司の監督にも不備があった。


 さらに毎日新聞社は、今回の措置が妥当だったか、社外の有識者でつくる第三者委員会に見解を求めることも明らかにしています。いずれ第三者委員会の見解も紙面で明らかにされることと思います。
 今回の問題では、ネット上にまとめサイト「毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる まとめ@wiki」などもあります。わたし自身は、6月20日にネット上のニュースサイト「JCASTニュース」が取り上げたことで知りました。実際にどんな記事がアップされていたのかを正確に知っているわけではないので、コラムの記事掲載の是非そのものに対する考えの表明は、ここでは差し控えたいと思います。毎日新聞社がコラムの閉鎖、担当者や上司の処分に踏み切るには、JCASTニュースの記事掲載が大きな契機になったのは間違いがないようですが、その間の経過、とりわけ毎日新聞社内の状況をうかがい知るにはあまりに情報が少ないので、毎日新聞社の判断の是非自体についても意見の表明は控えたいと思います。
 その上で、ということになりますが、わたしは今回の1件は、ネットと既存マスメディア(この場合は大手新聞社ということになると思いますが)の関係を考える上で後世にも記録される出来事の1つではないかと考えています。
 これまでも新聞社が取材・編集上の不祥事に対して、懲戒の内部処分を行うことはありましたが、大半は故意に記事や取材情報がねつ造されていたか、他者の記事を盗用していたケースでした。また、こうしたケースでは名誉を傷つけられたり、著作権を侵害される直接の被害者の個人や団体が存在することが多く、不祥事の発覚もそうした当事者からの通報が端緒になっていました。報道内容に明白な誤りがあり、関係当事者に謝罪や賠償が行われるケースでも、取材・報道の過程に故意や重大な過失がない限りは、懲戒処分にまでは至らないケースが多かったと思います。
 あらためて英文毎日サイトの今回の1件をみると、毎日新聞社は「担当記者が国内の雑誌に掲載された風俗記事を英文サイトに引用する際、不適切な描写のまま英文に翻訳した結果、多くの読者に不快感を与え、インターネット上で批判を受けるなど信頼を損なったと判断した」と説明しています。故意のねつ造や盗用ではなく、また事実関係の誤りがあったわけでもなく(経緯の報告では「元記事にはない内容を記者が加えていたケースも1件確認された」ともありますので、この点は毎日新聞社の最終的な調査結果を待ちたいと思いますが)、特定の個人、団体が具体的な被害を受けたわけでもないと、少なくとも毎日新聞社は現時点でそう判断していると読み取れます。強いて言えば、当該コラムの被害者は特定個人や団体ではなく不特定多数のネットユーザーであり、被害も個々の名誉棄損や著作権侵害ではなく不特定多数のネットユーザーの不快感ということになるのでしょうか。わたしは、今までの新聞社の不祥事と比べて、当の新聞社が不祥事と認定するに至った経緯も理由も、今までの不祥事とは相当に趣の異なるケースだと受け止めています。
 この1件をネットと既存マスメディアの関係でどう意味づければいいのか、わたし自身はまだ考えが整理できていませんが、キーワードの1つは「信頼」になるのではないかと思います。情報の信頼性を身上としてきた新聞社がネット展開していく際に何よりも重んじなければならず、かつまた事業としてもネット展開に展望を持てるかどうかを左右するのはやはり「信頼」なのだと思います。
 そもそも新聞本紙だったら週刊誌の風俗記事からの引用記事が掲載されることがあるだろうか、ということも考えています。新聞社の日本語サイトのコンテンツの中心は、本紙向けに取材し書かれた記事です。今回の1件が、紙としては発行を取りやめた英文サイトのコラムだったから起こってしまったことなのかどうか。いずれにせよ、毎日新聞社の第三者委員会の見解が明らかにされるのを待って、わたしも考えをまとめてみたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-06-30 01:11 | 新聞・マスメディア
 4月から毎週土曜日の午前中に行っている明治学院大学社会学部での講義は昨日(6月21日)が10回目でした。開講した当初は長丁場をどう乗り切るか不安がありましたが、気付いてみれば残りはあと3回です。
 昨日からは「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマに入りました。
 日本の新聞は産業としてみれば、1980年代まで右肩上がりの成長を続けていました。ビジネスモデルとして見ると、まず読者からの購読料があり、次いで広告媒体としての広告料があります。新聞社と購読者の間には、新聞社ごとに系列化された販売店網があり、それが戸別配達と新たな購読者獲得を支えています。販売店には、折り込み広告(チラシ)という独自収入もあり、扱い部数が増えれば独自収入も増える仕組みです。このビジネスモデルを総体として見ると、発行部数が増えれば新聞社は購読料収入も広告料収入も増え、販売店も折り込み広告が増えることになります。必然的に、新聞社経営は「部数第一主義」となり、この経営方針が長らく続いてきました。そこから強引な勧誘方法が社会問題にもなっていたりしました。
 しかし近年、このビジネスモデルでは立ち行かないことがはっきりしてきています。要因としては部数の伸び悩み、あるいは広告媒体としての地位の低下があり、また販売店網の維持と密接にかかわる再販制度にも90年代半ば以降、たびたび見直し議論が浮上しています。ちなみに再販問題とは、「再販売価格維持制度」をめぐる問題です。商品の取引では通常、メーカーや卸から仕入れたものをいくらで消費者に販売(再販売)するかは小売業者の自由ですが、新聞は販売店(小売業者)の販売価格を新聞社(メーカー)が指定することができ、独禁法の適用除外商品になっています。
 この新聞経営のビジネスモデルにかげりが見え始め、やがて限界がはっきりし始めた時期は、ちょうど90年代半ば以降、インターネットが日本社会にも普及、発展していった時期と重なります。ネット上に流れているニュース記事はだれでも無料で読めるためか、新聞産業内には「新聞が売れなくなったのはネットのため」といった見方や、さらにはネット上の掲示板やブログなどの表現活動を「便所の落書き」などと見下す風潮が根強く残っていると感じています。一方で、新聞経営が従来のビジネスモデルのほかに収益モデルを見出す必要性に迫られているのも、今や明白ですし、この点については新聞産業の中でも共通認識になっていると思います。
 ネット社会と新聞、あるいは新聞ジャーナリズムを考える際には、わたしは「新聞経営」と「新聞ジャーナリズム」の2つの側面があると思っています。「企業としての新聞社」と「メディアとしての新聞」と言ってもいいかもしれません。この2つの混同は避けなければなりません。ジャーナリズムの面で言えば新聞の強みは「組織の取材力」だと思います。しかし「だから紙メディアの新聞のほうがネット言論よりもすぐれている」というものでもないですし、ネット上での収益を追求するあまりに組織取材がおかしくなるようでは本末転倒になってしまうとも思います。

 講義では以上の状況を前提として、 ネットと新聞ジャーナリズムについて話していくつもりですが、結論めいたことをあえて先に言うと、新聞(マスメディアと言い換えてもいいかもしれません)が伝えていないことも読者はネットで知っているのが今日の状況だということです。言い方を変えれば、今までは新聞が書かないことは、社会にとっては「なかったことと同じ」だったのかもしれませんが、今はそうではありません。新聞が書いてこなかったことを、ネットを通じて知っている人たちをも読者と想定して、さて新聞はこれから何をどのように書いていけばいいのかが問われているのだと考えています。 
 昨日の講義では、以前のエントリ「『何が起きたか』を伝えるのは誰か~秋葉原・無差別殺傷事件で思うこと」に沿って、秋葉原の無差別殺傷事件の現場で起きたことを題材に、新聞を含めたマスメディアのメディアとしての「正統性」が問われている状況を話しました。秋葉原の事件の現場で、携帯電話のカメラで写真を撮りながらも、救護活動に加わらなかった人が少なからずいたことに批判も出ていますが、その批判を、現場で取材活動を展開したマスメディアに当てはめた場合、マスメディアはきちんと答えられるのか。その「正統性」が問われているのだと思います。
 引き続き、ネット社会の中での新聞ジャーナリズムの在り方についてわたしなりの考えを整理しながら、次回以降の講義を進めていきたいと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-23 01:12 | 非常勤講師
 「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」が6月11日、参議院でも可決され成立しました。
 「法」には制定と運用の2つの側面があります。運用のいかんによって、法は「個」の権利を擁護することもあれば、侵害することにもなると考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-12 09:03 | 表現の自由
 6月7日8日に起きた東京・秋葉原の無差別殺傷事件の報道がマスメディアで続いています。心が苦しくなる痛ましい事件であり、事件そのものに立ち入って論評するにはあまりに尚早だということは自覚しつつ、このブログの大きなテーマのひとつである「メディア」の観点から、現時点で考えていることをまとめてみます。
 以前にも紹介した元徳島新聞記者でブログ「ガ島通信」の藤代裕之さんが、日経ITPLUSのコラムで「秋葉原事件で融解した『野次馬』と『報道』の境界」と題した文章を書かれています。書き出しの部分を引用します。

 週末、秋葉原で起きた通り魔事件は大変痛ましいものだった。事件そのものだけでなく、犯人逮捕の瞬間を撮影したり、現場から「生中継」が行われたり、マスメディアよりも早く、詳細に、普通の人々によって事件が記録、発信されたことのインパクトも大きかった。
 ブログなどの登場によって「誰もがジャーナリスト化」したことは数年前から議論してきたが、変化の大きさや社会に与える意味は起きてみて初めてわかる。「野次馬」と「報道」の違いとは何か、マスメディアの正当性とは、メディア化した個人の倫理はどうあるべきなのか……。事件はさまざまな問題を浮き彫りにしている。

 同感です。
 事件では現場に居合わせた多くの人たちから、自らが目撃し体験した一次情報が社会に発信されました。象徴的なのは、容疑者が取り押さえられた瞬間をとらえた画像が、「提供写真」のクレジットとともに新聞のほぼ全紙の一面に掲載されたことでしょう。フィルムカメラの時代でも、事件や事故の現場に居合わせた人が撮っていた写真が紙面に掲載されることはありました。しかしカメラ付きの携帯電話が普及し、一枚の写真が赤外線転送でその場で次々に複製すらされる、あるいはメールに添付されて広がっていく、ブログでネット空間に発信されていく今日の状況は、その状況自体がある種の「メディア」になっていると思います。
 文字情報も同じに思えます。藤代さんが紹介しているブログのいくつかは、わたしもソーシャルブックマークなどを通じて読んでいました。ブログ「筆不精者の雑彙」の「秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録」には、たまたま友人とともに事件に遭遇した一部始終が、現場の略図とともに報告されています。その文面を目で追いながら、ふとその行為自体「これは新聞記者が目撃者を探して話を聞く取材の行為そのものだ」と思い至りました。
 既存マスメディアの事件事故報道は、当事者や目撃者に一人でも多く取材し、その証言を組み合わせて「何が起きたのか」を再現してきました。今もその取材・報道スタイルは変わりません。しかし今回の事件では、ネットとデジタル技術の普及によって、現場の再現はもはやマスメディアの組織取材のものだけではないことが明白になりました。そういう状況の中で、マスメディアがマスメディアであることの意味、負うべき責任(それは「表現の自由」と「知る権利」にかかわるものですが)とは何なのかが、わたしも含めてマスメディアの内部で働く一人一人に問われていると思います。その答えはわたし自身、必ずしも明確ではないのですが、ただ、ひとりの「個人」として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています。

 このブログのもう一つのテーマに掲げている「労働」との関係でも、この事件に多々思うところがあります。いずれ書いていきたいと思います。

 何回か書いてきた「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」ですが、今週中にも参院で可決成立と伝えられる中で、毎日新聞が10日付朝刊のメディア欄ほぼ一面を使って、「有害情報」規制に行政の介入を許しかねない状況に焦点を当てた特集記事を掲載しています。記者の署名入りのリポート、大型談話として全国高等学校PTA連合会会長の高橋正夫さん(見出しは「被害防ぐ教育が重要」)と慶応大教授の中村伊知哉さん(同「過剰反応を招くおそれ」)、有害情報を「例示」した部分の法律案の抜粋の構成です。
 秋葉原の事件でも、容疑者が頻繁に携帯電話の掲示板に書き込みをしていたことが大きく報じられています。ネット規制の動きが再び加速することが予想されます。

*追記(2008年6月11日午前8時40分)
 ドキュメンタリー作家の森達也さんは作家森巣博さんとの対談「ご臨終メディア」(2005年、集英社新書)のエピローグの中で、こう語っています。ほんの一部を引用します。

 メディアという仕事は、ほとんどが人の不幸をあげつらうことで成り立っている。不幸でなくても、聞かれたくないようなことまで取材しなければならない場合もあるし、取材方法だって家族には見られたくないようなことばかりしています。そしてその結果、常に誰かを傷つけることで成立しているんです。そのことに対する後ろめたさを持ったほうがいい。それだけは、絶対なくすべきではないと思っている。卑しい仕事なんです。その視点から、もう一度、メディアというこの重要なジャンルと、向き合うべきと思っています。

 この本を読んだ当時わたしは新聞労連の専従役員で、マスメディアの取材・報道の現場からは離れている時期でしたが、「後ろめたさ」「卑しい仕事」という言葉に、はっと胸を衝かれる思いがしました。
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by news-worker2 | 2008-06-11 00:38 | 新聞・マスメディア
 前回のエントリの続きになります。
 子どもの保護のためのインターネット規制法案が6日、衆議院で可決されました。事実上、審議なしの状態だったようです。参院でも同じように可決され、成立する見通しと伝えられています。「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」という名称です。新聞協会メディア開発委員会は同日、声明を発表しました。一部を引用します。

 有害情報かどうかの定義・判断については、憲法21条が保障する表現の自由の観点から、直接、間接を問わず国は関与すべきではない。「例示」といえども、有害情報がいったん法律で規定されれば、事実上の情報規制を招く根拠ともなりかねない。また、有害情報を実質的に判断するフィルタリング推進機関を国への「登録制」とすることについても、公的関与の余地を残す懸念がある。

 7日付朝刊の新聞各紙(東京都内版)の扱いですが、法案の衆院通過をごく短く伝え、新聞協会の声明も簡単に紹介したところが多い、との印象を持ちました。やはり既に〝落とし所〟は終わっており、相対的なニュースバリューは低い、という判断でしょうか。その中で、読売新聞が社説「有害情報から子どもを守れ」を掲載していること、毎日新聞が新聞協会の声明の全文を掲載(第3社会面に見出し3段)していることが目を引きました。
 新聞協会の声明は有害情報の「例示」が法案に盛り込まれていることに危惧を表明していますが、その声明を紹介している紙面には、法案の「例示」部分の紹介がありません(チェックした限りでは、読売新聞が4日付の朝刊で「法案の全文が判明」として概要を報じるなど、5日以前に紙面で紹介した例はあったようですが)。読者の側に立ってみると、新聞協会に「『例示』といえども、有害情報がいったん法律で規定されれば、事実上の情報規制を招く根拠ともなりかねない」と言われても、「例示」がどのような内容なのか分からないのでは、判断の材料としては不十分ではないでしょうか。原典を当たろうにも、週末の金曜日の6日に提案され即日可決されたためか、衆議院のホームページにも8日現在、法案全文は見当たりません。
 6日の動きについては、インターネット上のニュースサイトが一番詳しいようです(たとえばITmedia Newsの楠正憲さんの分析・解説記事)。
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by news-worker2 | 2008-06-09 01:22 | 表現の自由
 子どもの保護のためのインターネット規制法案をめぐって2日、衆院青少年問題特別委員会で与野党が基本合意したと伝えられています。3日の新聞朝刊各紙も一斉に報じました。共同通信の記事を一部引用します。
 インターネット上の有害情報から子どもを守るための法案化作業を進めている自民、公明、民主、共産の与野党4党による実務者協議は2日、有害情報の基準を策定したり判定したりする民間の第三者機関に国の関与を盛り込まないことで大筋合意した。
 ただ、有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングのソフトウエアの普及啓発や調査研究などを行う民間団体は「総務省または経産省に登録することができる」とし、国のかかわりを一部残す形で決着した。
 各党は早急に党内調整を進め、法案の今国会中の成立を目指す。

 けさ(3日)、大手紙各紙の東京本社最終版で記事の扱いをチェックしてみました。
 【朝日】1面に本記3段(見出し、以下同じです)、政治面(6面)にサイド記事
 【毎日】1面に本記4段、総合面(2面)にサイド記事
 【読売】2面に本記2段
 【日経】経済面に本記5段、サイド記事3段、とはもの1段、図解
 【産経】1面に本記4段
 【東京】総合面(3面)に本記4段

 各紙とも①有害情報の基準づくりに国は関与せず民間にゆだねる②フィルタリング技術の向上に関しては民間団体の国への登録を認め、一部だが国の関与が残った―とし、サイド記事では、規制を実効あるものにするには民間の取り組みが焦点になるとして、民間や業界の動向を主に取り上げています。
 トーンとしては各紙ともおおむね、有害情報の基準づくりに国の関与が排除されることになった点を、「表現の自由」の観点からプラス評価しています。朝日や毎日が1面でかなり大きな扱いにしたことは、この問題はヤマを越えたと各紙が判断したことを反映していると言っていいのではないかと思います。
 わたし自身は、有害情報の基準を国(=公権力)が恣意的に策定する可能性が低くなったことには安堵していますが、ヤマを越えたのは「『子どもの保護』『青少年の健全育成』を大義名分にしたネット規制法案をめぐる国会での与野党協議」という枠の中だけだと考えています。今後もネットが絡んだ子ども間のいじめや、子どもが被害に遭う事件が起き、大きく報道されることになれば「やはりネット規制には政府の関与が必要だ」との主張が息を吹き返す余地は残っていると思います。これはマスメディア自身の問題でもあるでしょう。
 また、仮に穏当な内容でネット規制法が今国会で成立するとしても、そもそもフィルタリングは有害情報の遮断に万能ではないという意見もあれば、「官か民か」という二者択一ではなく、政府から独立した行政委員会で対応すべきとの考え方もあるでしょう。
 今回の「ネット規制法案の行方」という政治、経済報道の〝落とし所〟は3日の紙面で決着かもしれません。しかし、既存のマスメディアは今後も、「表現の自由」をどう守るのかを常に意識しながら、多面的な視点で多様な意見、考え方を社会に伝えていくことが必要だと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-04 01:12 | 表現の自由
 青少年の健全育成を大義名分にしたインターネット規制の法制化の動きに対して、日本新聞協会メディア開発委員会が29日、意見をまとめ、関係国会議員に提出しました。
 日本新聞協会トップ
 「青少年のインターネット利用制限の動き」に関する日本新聞協会メディア開発委員会の意見

 意見の一部を引用して紹介します。
 情報が有害かどうかの判断は、主観的な要素も多く、時代や文化、社会環境によっても異なる。情報の内容を規制あるいは定義する法律は公権力の介入を招きかねず、憲法21条の保障する表現の自由に反する恐れがある。直接と間接を問わず、国がコンテンツの内容にかかわる問題に関与するべきではない。
 青少年のためにインターネット上のコンテンツについて何らかの規制が必要だとしても、果たして法規制が適切な手段なのか疑問である。いったん有害情報が定義されてしまえば、流通・閲覧の制限にとどまらず、表現内容の規制に拡大しかねない。表現にかかわる公的な規制が萎縮効果をもたらし、ネット以外のメディアにも同様の規制が広がることも危惧する。青少年を有害情報から守るための実効性のある手段については民間による自主規制を尊重すべきである。

 論旨は明快と言っていいと思いますし、わたし自身の問題意識とも多くの共通点があります。新聞協会がこのような意見を表明したこと自体は、とても意義深いことだと思います。
 さて、この意見表明を当の新聞が紙面でどう扱ったか、です。けさ(30日)の在京大手紙各紙の朝刊紙面(東京本社最終版)をチェックしたところでは、毎日、読売、産経、東京の各紙は第2社会面ないしは第3社会面でいずれも1段見出し(ベタ)の雑報扱い、朝日、日経の両紙には記事が見当たりませんでした。朝日のサイトには今夜(30日)、記事がアップされていたので、31日付の朝刊に掲載されるのかもしれません。
 この各紙の控え目の扱い、あるいは消極姿勢(掲載なし)は、もしかしたら自らの業界団体の主張だから大きく掲載するには気が引ける、というある種の奥ゆかしさの表れなのかもしれません。しかし、どうもわたしにはそうは思えません。やはり新聞にとって(とりわけ「紙」の担当者にとっては)、ネット規制論議への当事者意識は薄いのだと思います。このことは、かつての個人情報保護法や人権擁護法案に、新聞を含めた直接的な報道規制の条項が盛り込まれた際に、新聞各紙が紙面で繰り広げたキャンペーンを想起すれば分かりやすいと思います。あるいは、新聞の販売面でここ10年以上くすぶり続けている再販見直し問題で、公取委がアクションを起こすたびに新聞各紙が連日、紙面で大きく反論を掲載していたことを思い起こしても明らかだと思います。やはり「新聞は、有害情報があふれているネットとは違う」 との考え方が根強いのではないかと思えてなりません。
 「表現の自由」に照らして大きな問題であることを考えるならば、新聞はネット規制をジャーナリズムの問題としてとらえ、多面的に継続的な報道をしなければならないと考えています。
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by news-worker2 | 2008-05-31 01:43 | 表現の自由
 政府の教育再生懇談会が26日、第一次報告を福田首相に提出しました。共同通信の記事を一部引用します。

 政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は26日夕、官邸で会合を開き、小中学生の携帯電話使用を制限し有害情報から子どもを守ることなどを柱とする第1次報告をまとめ、福田康夫首相に提出した。(中略)報告は、出会い系サイトを舞台にした犯罪の続発を踏まえ「必要のない限り小中学生が携帯電話を持たないよう保護者、学校関係者が協力する」ことを要請。小中学生が携帯電話を持つ場合には、通話や位置確認できる衛星利用測位システム(GPS)機能に限定し、メールを使わせない対策を推進するとした。

 首相官邸のサイトに教育再生懇談会のページがあり、26日の報告の資料もPDFファイルでダウンロードできます。
 原資料を見て、あらためて驚きました。小中学生の携帯電話に関するくだりは、いちばん最初に出てくるのですが、こんな文章が並んでいます。

 小中学生に対して、携帯電話を利用するに当たっての使用目的、使用機能、使用方法、使用場所等に関する利用方法の教育を、保護者、家庭、学校、地域、PTA、教育委員会、地方公共団体、携帯電話事業者及び関係業界、経済界、行政等の関係者を含め、社会総がかりで協力して推進する。これにより、必要のない限り小中学生が携帯電話を持つことがないよう、保護者、学校はじめ関係者が協力する。

 「小中学生に対して~利用方法の教育を~推進する」と言いながら、「これにより」として、掲げる目的は「必要のない限り小中学生が携帯電話を持つことがないよう、保護者、学校はじめ関係者が協力する」。「利用方法の教育を推進し、持たせないようにする」とは、文章を仕事にしている者から見れば、意味不明の日本語です。
 こんな文章も並んでいます。

 保護者、家庭、学校、地域、PTA、教育委員会、地方公共団体、携帯電話事業者及び関係業界、経済界、行政等が協力して、子供の携帯電話利用により生ずる犯罪やいじめの実態等の、教育委員会単位、学校単位等での具体的な広報を推進する。また、携帯電話の普及に伴い、駅等の公衆電話が減少しているが、社会的機能の重要性に鑑み、電話会社は一定数を確保するよう努める。

 ただひたすら「携帯電話は怖い、恐ろしい」と広めよ、というふうに読めます。これでは子どもはおろか、保護者や大人のネットリテラシーすらあやしくなるのではないでしょうか。
 「保護者、家庭、学校、地域、PTA、教育委員会、地方公共団体、携帯電話事業者及び関係業界、経済界、行政等」というのも、「国家統制」そのものに思えてしまいます。
 懇談会の10人のメンバーの間で、どのような議論が交わされたのかつまびらかではありませんが、「小中学生に携帯電話を持たせるな」は、懇談会に出席した福田首相の強い意向ということも報道されています。意味不明の日本語が並んだ報告書は、そのこと自体、懇談会メンバーの中には異論があったことを反映しているのかもしれません。詳細な議事録の公表を待ちたいと思います。
 ちなみに、報道で紹介されている懇談会の報告は、PDF原資料の中の「ポイント」をもとにしたものが多いようです。日本語としての意味不明さは、全文を読まなければ分かりません。こんなことでも(「メディア」に対する、ですが)リテラシーを考えるきっかけになるのではないでしょうか。

 以前のエントリ(「ネットの法規制論議と表現の自由」「マスメディア自身にも『自主的取り組み』は課題」)でも書きましたが、わたしは「青少年の健全育成」「子どもの保護」や「有害情報の排除」を大義名分にしたネット規制の動きには、大きく2つの疑問を感じています。
 一つはマスメディアで働く一員としての危惧ですが、「有害情報」の線引きが事実上、国家権力の裁量次第になりかねないことです。恣意的な運用を許すようなことになれば、「表現の自由」「知る権利」の圧迫にほかなりません。通信と放送の一元規制が現実味を帯びている現在、ことはネットだけの問題ではなく、既存のマスメディアも影響を免れえないととらえています。
 二つ目は社会の一員、生活者の一人として感じることですが、子どものネットリテラシーをどう高めるかの議論より先に、「ネットに触れさせるな」となってしまっては、ますます子どもたちにリテラシーを身につけさせることが難しくなることです。段階を踏んでリテラシーを学んでいくことが大切であり、そのためには大人もネットリテラシーを身につけることが必要だと思います。

 時々のぞいているサイト「bogusne.ws」にこんな記事がありました。
 「小中学生にはことば教えない」有害情報対策で教育再生懇提言
 笑いごとでは済まない社会になりつつあると思います。

*追記(2008年5月28日午前1時35分)
 元徳島新聞記者の藤代裕之さんがブログ「ガ島通信」のエントリでわたしのエントリを紹介してくれました。その中でも触れられていますが、ネット規制に反対している高等学校PTA連合会の高橋正夫会長に藤代さんがインタビューした記事は、とても参考になります。一読をお勧めします。
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by news-worker2 | 2008-05-28 01:13 | 表現の自由