ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


by news-worker2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

タグ:事件事故 ( 3 ) タグの人気記事

はてなダイアリーへ引っ越し準備中です

 さいたま市南区で18日午前、元厚生省事務次官の山口剛彦さん夫妻が殺害されているのが見つかり、夜には東京都中野区でやはり元厚生省事務次官の吉原健二さんの妻が自宅で刺され重傷を負った事件は、22日夜になって警視庁に血の付いたナイフなどを持った男(小泉毅容疑者)がレンタカーで出頭し、捜査が大きく展開しました。「ペットを保健所に殺された」などの供述は動機として理解しにくく、本当に彼が真犯人なのか、ということも含めて、事件の全体像の解明にはなお時間がかかると思います。新聞をはじめマスメディアは、予断を排してまずは事実を伝えていくことに徹しなければならない、そういう事件だと思います。
 「予断を排して事実を伝える」ということにも大きくかかわってくるのですが、この事件の報道をめぐっては、事件発生以来、気になっていることがあります。「テロ」という用語です。
 事件と報道の経緯を簡単に振り返ると、まず18日午前、山口さん夫妻が自宅で殺害されているのが見つかりました。この時点では、山口さんが元厚生次官という高級官僚だったことに驚きはあったものの、警察の捜査も報道も、怨恨なのか強盗殺人なのかなどを含めて予断を排した慎重な姿勢でした。しかし、その日の夜、吉原さんの妻が襲われたことが判明すると、状況は一変します。マスメディアの報道は早い段階からほぼ一斉に「政治的目的を持った連続テロの可能性」を前面に出します。警察当局がそうした見方をいち早く打ち出したことが最大の要因だったと思います。被害者像が「ともに事務次官経験者の元厚生官僚」に加え「ともに年金行政の専門家とされ、同時期に『年金局長―年金課長』を務めていた接点がある」など、相次いで襲われたことは「偶然」とは考えにくく、いわゆる「消えた年金問題」などで厚生労働省、社会保険庁が批判を浴びていたことなどを考えれば、警察、あるいは政府とすれば、犯人逮捕もさることながら第三の被害を未然に防ぐことの方がより切迫した課題だったと思います。
 明けて19日、仮に政治的な目的を秘めた「連続テロ」ならば、犯人から何らかのメッセージが発せられるのではないかという予測がありましたが、結局は何もありませんでした。20日以降、2件の事件の共通点がいっそう鮮明になり、同一犯説が強まっていきますが、報道からは「テロ」という用語は後退していきました。
 さて、わたしが気になっているのは、18日夜の段階で警察や政府当局が「連続テロ」を想定することと、新聞などマスメディアが事件を「連続テロ」として、ないしは「連続テロの可能性」を報じることとを、当のマスメディアはどこまで峻別していたか、あるいは峻別しようとしたか、ということです。手元の新聞で調べた東京都内発行6紙の19日付朝刊の第一面本記がどんな見出しになっていたかを列記します。

 ▽朝日新聞
元厚生次官狙い連続テロか」「山口夫妻殺害 吉原氏の妻重傷」「年金改革進めた2人」
(本文中は「警察庁は連続テロとの見方を強め~」)
 ▽毎日新聞
元厚生次官宅連続襲撃」「中野でも妻が重傷」「宅配装った男に刺され」「警察庁『年金官僚』警備強化」
(本文中は「警視庁と埼玉県警は2人の次官が同じような経歴を持ち、手口も似ていることなどから関連があるとみて捜査~」)
 ▽読売新聞
元厚生次官宅連続テロ」「都内、妻刺され重傷」「さいたま夫婦刺殺」「共に元年金局長」
(本文中は「警察庁は~テロの可能性があるとみて」)
 ▽日経新聞
元厚生次官狙い連続襲撃か」「さいたまで夫婦刺殺」「東京・中野でも妻重傷」
(本文中は「警察庁は厚生次官経験者らを狙った連続テロ事件の可能性もあるとみて~」)
 ▽産経新聞
元厚生次官宅連続テロか」「埼玉で夫婦殺害 中野で妻重傷」「ともに年金ポスト経験」
(本文中は「警察庁は連続テロの可能性があるとみて~」)
 ▽東京新聞
元厚生次官宅連続テロか」「中野でも妻刺され重傷」「さいたまの夫妻殺害と断定」「警察当局、関連を捜査」
(本文中は「警察庁は元厚生官僚を狙った連続テロの可能性もあるとみている」)

 独自のニュースバリュー(価値)判断を身上とする新聞にとって、第一面のトップ記事の見出しは言ってみればメディアとしての「命」のようなものです。その見出しを比べると、毎日と日経が「テロ」を使っていないのが目を引きます。毎日は一面の本記本文のリード中にも使っていません(社会面には「年金テロなのか」の大見出し)。一方、「テロ」を使用した4紙の中で朝日、産経、東京の見出しはいずれも「連続テロか」と、断定は避けた表現なのに対し、読売だけは「連続テロ」と言い切った表現です。本文中は「テロの可能性があるとみて」となっているのにです。「テロ」の強調度は読売>朝日、産経、東京>日経>毎日の順になります。
 続く19日付夕刊の一面では、見出しから「テロ」がなくなっているのが大勢を占める中で、読売新聞だけは事件名を示す3本目の見出しに「元厚生次官宅連続テロ」と取り、本文中にも「連続テロとみられる事件で」と朝刊の「可能性」から一歩進めた表現になっていました。ちなみに翌20日付朝刊一面では各紙とも見出し、本文とも「テロ」は消えました。
 各紙とも把握している情報はほぼ同一なのに、なぜこれだけの違いが出たのでしょうか。推測にすぎないのですが、毎日新聞や日経新聞では、編集部門で「テロ」の用語の定義づけに相当な議論が行われたのではないかと考えています。
 そもそも「テロ」の用語には、例えばウイキペディアの「テロリズム」の項をみても、一般に広い解釈の余地があるとの印象があり、何がテロなのかの定義づけ自体に政治的な意味合いが含まれることも指摘されています。18日夜の時点で、警察当局にとっては第3の事件を起こさせてなならないことが最重要であり、その観点からは政治的目的を持ったテロの可能性も想定しておかなければならなかったことは当然でしょう。警察当局のその想定に沿って、新聞などマスメディアがテロの可能性を報じることは必ずしも間違いではないし、警察当局が2件の事件の関連性をどうとらえているかということ自体、ニュースバリューはあります。
 しかし、一方で「テロ」という用語からイメージするものが人それぞれによって幅があることを踏まえるなら、警察当局が「テロ」という用語を使っているからといって安易に使わず、言葉を置き換えて報道することもまたジャーナリズムの見識ではないかと思います。用語の定義づけも定かではないままに安易な用法に流れることは、自覚しないままに当局側と同じものの見方に立ってしまう危険があるからです。
 「テロ」という用語は、外信部門では例えば米国の「テロとの戦い」、イラク情勢で「自爆テロ」などの用語が紙面に載っています。「テロとの戦い」は米国大統領が言い出したまさに政治的用法として、そのままに伝えることにも意義があると思いますが、イラクの米兵に対する「自爆テロ」は「自爆攻撃」と置き換えることも可能です。「テロ」を使うことで、知らず知らずのうちに米大統領と同じ価値判断に立ってしまう恐れはないでしょうか。アラブ情勢に詳しい記者からかつて聞いた話ですが、日本のマスメディアが「米兵にまたテロ」と伝えた同じ出来事を、アラブの反米系メディアは「抵抗勢力が連戦連勝」と伝えていたそうです。
 いずれにせよ、情報は言葉を介して伝わっていくものである以上、解釈に幅がある用語、それ自体に政治的意味合いを持つ用語などは、マスメディア内で用法を日常的に議論し、できれば可能な限りの定義づけや用法のガイドラインのようなものを情報の受け手(新聞ならば読者)に対して公開するスタンスもあっていいと思います。
 今回の事件の新聞各紙の報道に話を戻すと「どこそこの新聞はおかしい」という問題ではないと思いますが、事件を伝えるメインの記事の中で「テロ」の使用を限定的にした毎日新聞の見識は注目されていいと思います。
[PR]
by news-worker2 | 2008-11-25 01:09 | 新聞・マスメディア
 上司から聞いて知ったのですが、長野県警が9月からホームページに「ニュース24時」というコーナーを作りました。広報資料として発表した事件事故情報を、独自に一般向けのニュースとして発信しています。平日に1日2回、午前11時と午後4時に更新しています。
 ホームページトップの左上長野県警ニュース24時のバナーをクリックすると、ページに飛びます。
 9月19日のニュースでは、例えばこんな感じです。
無免許運転の男を逮捕(長野南署)
 本日午前10時10分ころ、長野市篠ノ井塩崎地籍において、普通貨物自動車を無免許で運転していた派遣社員の男50歳を交通取締り中の警察官が発見し、道路交通法違反で現行犯逮捕しました。

 9月18日は死亡交通事故やコンビニ強盗の発生など5件、17日は振り込め詐欺対策会議など事件事故情報以外の行事も含めて、15件の〝ニュース〟を掲載しています。コンビニ強盗犯の公開捜査では、指名手配された容疑者の顔写真もアップしています。
 他の警察でも青森県警「事件・事故メモ」千葉県警「最新事件・事故ファイル」など類似の例がありますが、長野県警の場合は自ら「ニュース24時」と掲げているように、その速報性に正直、驚きました。ものによっては、県民の目に触れるのが新聞紙面よりも早いケースがあるかもしれません。新聞ではボツになっている情報もあるでしょう。
 指名手配の容疑者を「犯人」とする一方で、被害者や逮捕した容疑者など当事者は匿名になっているなど、新聞記事とは異なった警察独自の表記になっていますが、ネット社会でのこうした警察独自のニュース発信が、新聞や放送など既存のマスメディアの事件事故報道にどのような影響を与えるのか。少なくとも、報道が警察の発表丸写しにとどまっていては、読者からは一目瞭然です。わたし自身、事件事故報道の社会的な存在意義をあらためて考えているところですし、警察を担当する若い記者たちにも「プロの仕事とは何か」、ぜひ考えてほしいテーマです。
[PR]
by news-worker2 | 2008-09-21 09:39 | 新聞・マスメディア
 6月7日8日に起きた東京・秋葉原の無差別殺傷事件の報道がマスメディアで続いています。心が苦しくなる痛ましい事件であり、事件そのものに立ち入って論評するにはあまりに尚早だということは自覚しつつ、このブログの大きなテーマのひとつである「メディア」の観点から、現時点で考えていることをまとめてみます。
 以前にも紹介した元徳島新聞記者でブログ「ガ島通信」の藤代裕之さんが、日経ITPLUSのコラムで「秋葉原事件で融解した『野次馬』と『報道』の境界」と題した文章を書かれています。書き出しの部分を引用します。

 週末、秋葉原で起きた通り魔事件は大変痛ましいものだった。事件そのものだけでなく、犯人逮捕の瞬間を撮影したり、現場から「生中継」が行われたり、マスメディアよりも早く、詳細に、普通の人々によって事件が記録、発信されたことのインパクトも大きかった。
 ブログなどの登場によって「誰もがジャーナリスト化」したことは数年前から議論してきたが、変化の大きさや社会に与える意味は起きてみて初めてわかる。「野次馬」と「報道」の違いとは何か、マスメディアの正当性とは、メディア化した個人の倫理はどうあるべきなのか……。事件はさまざまな問題を浮き彫りにしている。

 同感です。
 事件では現場に居合わせた多くの人たちから、自らが目撃し体験した一次情報が社会に発信されました。象徴的なのは、容疑者が取り押さえられた瞬間をとらえた画像が、「提供写真」のクレジットとともに新聞のほぼ全紙の一面に掲載されたことでしょう。フィルムカメラの時代でも、事件や事故の現場に居合わせた人が撮っていた写真が紙面に掲載されることはありました。しかしカメラ付きの携帯電話が普及し、一枚の写真が赤外線転送でその場で次々に複製すらされる、あるいはメールに添付されて広がっていく、ブログでネット空間に発信されていく今日の状況は、その状況自体がある種の「メディア」になっていると思います。
 文字情報も同じに思えます。藤代さんが紹介しているブログのいくつかは、わたしもソーシャルブックマークなどを通じて読んでいました。ブログ「筆不精者の雑彙」の「秋葉原通り魔事件 現場に居合わせた者の主観的記録」には、たまたま友人とともに事件に遭遇した一部始終が、現場の略図とともに報告されています。その文面を目で追いながら、ふとその行為自体「これは新聞記者が目撃者を探して話を聞く取材の行為そのものだ」と思い至りました。
 既存マスメディアの事件事故報道は、当事者や目撃者に一人でも多く取材し、その証言を組み合わせて「何が起きたのか」を再現してきました。今もその取材・報道スタイルは変わりません。しかし今回の事件では、ネットとデジタル技術の普及によって、現場の再現はもはやマスメディアの組織取材のものだけではないことが明白になりました。そういう状況の中で、マスメディアがマスメディアであることの意味、負うべき責任(それは「表現の自由」と「知る権利」にかかわるものですが)とは何なのかが、わたしも含めてマスメディアの内部で働く一人一人に問われていると思います。その答えはわたし自身、必ずしも明確ではないのですが、ただ、ひとりの「個人」として相当な覚悟が必要だろうということだけは、おぼろげながら感じています。

 このブログのもう一つのテーマに掲げている「労働」との関係でも、この事件に多々思うところがあります。いずれ書いていきたいと思います。

 何回か書いてきた「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」ですが、今週中にも参院で可決成立と伝えられる中で、毎日新聞が10日付朝刊のメディア欄ほぼ一面を使って、「有害情報」規制に行政の介入を許しかねない状況に焦点を当てた特集記事を掲載しています。記者の署名入りのリポート、大型談話として全国高等学校PTA連合会会長の高橋正夫さん(見出しは「被害防ぐ教育が重要」)と慶応大教授の中村伊知哉さん(同「過剰反応を招くおそれ」)、有害情報を「例示」した部分の法律案の抜粋の構成です。
 秋葉原の事件でも、容疑者が頻繁に携帯電話の掲示板に書き込みをしていたことが大きく報じられています。ネット規制の動きが再び加速することが予想されます。

*追記(2008年6月11日午前8時40分)
 ドキュメンタリー作家の森達也さんは作家森巣博さんとの対談「ご臨終メディア」(2005年、集英社新書)のエピローグの中で、こう語っています。ほんの一部を引用します。

 メディアという仕事は、ほとんどが人の不幸をあげつらうことで成り立っている。不幸でなくても、聞かれたくないようなことまで取材しなければならない場合もあるし、取材方法だって家族には見られたくないようなことばかりしています。そしてその結果、常に誰かを傷つけることで成立しているんです。そのことに対する後ろめたさを持ったほうがいい。それだけは、絶対なくすべきではないと思っている。卑しい仕事なんです。その視点から、もう一度、メディアというこの重要なジャンルと、向き合うべきと思っています。

 この本を読んだ当時わたしは新聞労連の専従役員で、マスメディアの取材・報道の現場からは離れている時期でしたが、「後ろめたさ」「卑しい仕事」という言葉に、はっと胸を衝かれる思いがしました。
[PR]
by news-worker2 | 2008-06-11 00:38 | 新聞・マスメディア