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 賃金が生活保護水準を下回るような「ワーキングプア」や「偽装請負」、「名ばかり管理職」など、働き方、働かされ方をめぐる話題が最近は報道でも目につくようになっています。本書は、実例に基づいたその現場の実態のリポートです。同時に、労働者の権利や労働組合運動の意義についても深く考えさせられる1冊です。

 著者は労働事件を豊富に手掛けている弁護士。取り上げているのは8つの事例で、いずれも著者が実際に担当したケースばかりです。著者自身による内容の紹介(NPJ=News for the People in Japanより)を引用します。


 私がこれまで担当してきた事件を素材に、実践的に労働法の内容を解説すると共に、たたかうこと、労働組合への団結の重要性、それをてこに政治を変えることの重要性を書いた書籍です。
 名ばかり管理職と残業代、賃金の一方的切り下げ、パワハラ、解雇、雇い止め、派遣労働者の解雇、整理解雇、そして労働組合のたたかい。弁護士が関わる労働事件については、分野の多くを紹介できたのではないかなと思います。また、それらの事件に関わる法令については、ひととおりの説明を加えるのはもちろん、最新情報として、労働契約法、労働審判法の情報も盛り込みました。

 わたし自身が労働組合運動にかかわってきた経験から今も思うのは、「ワーキングプア」も「偽装請負」も、「名ばかり管理職」も、あるいはパワハラや理不尽な解雇、雇い止めにしても、働く者が無権利の状態に放置されていることにほかならないということです。働く者として当然に擁護されていなければならない権利がないがしろにされていることであり、著者はそうした状態も含めて「人が壊れてゆく」と表現しています。
 対使用者との関係では、労働者は圧倒的に弱い立場です。賃金や労働条件に不満や疑問があっても、一人では口にすることすらできません。そうすれば、たちまち仕事を失うことになりかねないからです。著者は法曹実務家として、法律の専門知識でもって、弱い立場の労働者の側に立ち、権利の擁護のために活動しています。本書はその記録です。
 一方で、弱い立場の労働者でも団結して声を合わせれば、使用者に対等の立場で対抗していくことができます。そこにこそ憲法28条が定める労働3権(団結権、交渉権、行動権)と労働組合の重要さがあると思います。憲法や労働諸法制が労働3権を保障していることは、労働組合それ自体が働く者の権利として保障されていることにほかなりません。一人では圧倒的に弱い立場にある労働者は、労働組合という権利を独力で手にすることもまた困難です。だからこそ、既存の労働組合が何をするのかが今日、問われているのだと思います。労働組合という「権利」を既に手にしている労働者が、未だその権利を手にできていない労働者と連帯し、権利を広め拡大していくことが、結局は自分たちの権利を守り抜くことにつながるのだと思います。
 労働組合が「権利」を口にするとき、往々にして「既得権にしがみつく利益団体」という批判を浴びます。今や「権利としての労働組合」の在り方を一から考え、模索し、行動すべきだと思います。企業内組合が企業内のサークル活動と化していないか、そんな反省に立つことが必要だと考えています。
  「名ばかり管理職」の問題にしても、「管理職」だから労働組合員ではありえない、ということに、今まであまりにも疑いを持たなすぎたのではないでしょうか。「管理職」と呼ばれる労働者としての労働組合運動が追求されていいと思います。本書を読んで、あらためてそんなことを強く感じました。
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by news-worker2 | 2008-09-11 02:00 | 読書
 少し時間が経ってしまいましたが、22日付の朝日新聞朝刊総合面(東京本社発行)の「あしたを考える」の欄「夏に語る」に、ジャーナリストむのたけじさんの長文のインタビュー記事が掲載されています。
 93歳のむのさんは1945年8月、新聞が戦争の実相を国民に伝えてこなかったことに責任を感じて朝日新聞社を退社し、その後、郷里の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊したことで知られます。略年譜を朝日新聞の記事より引用します。
1945年 8月、「負け戦を勝ち戦とだまして報道した責任をとる」と朝日新聞を退社。40年に報知新聞を経て朝日に入社し、中国特派員や東南アジア特派員などを歴任していた
1948年 郷里の秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊
1978年 780号をもって「たいまつ」休刊
2001年 たいまつ休刊後、農業問題を中心に各地を講演、その活動が評価され農民文化賞を受ける
2003年 秋田県湯沢市で「平和塾」を開講。「塾」は05年まで続いた

 あの戦争を新聞記者として体験し、戦後は商業新聞の外に身を置いて平和のための運動を続けてきた大先輩の数々の指摘は、わたしには厳しい叱咤のようにも、また励ましのようにも読み取れました。
 実は昨年10月、沖縄で開かれたある集会で、むのさんのお話を直接、聞く機会がありました。そのときのもようは後述します。まずは朝日の記事本文の書き出しを引用します。
 転換点は、あるのではなくて、自分でつくるのよ。それは12月8日。始まった日があるから原爆があって終わった日、8月15日がある。原因をつぶさなければ同じことが起きる。なぜあの日があったのか。その日の様子はどうだったのか。誰が仕組んだのか。国民の誰一人として相談受けなかったでしょ。
 朝日新聞も、真珠湾奇襲の大軍事行動を知らなかった。私は東京社会部で浦和(現さいたま市)に住んでいて、朝6時か7時か本社から電報が来たの。全社員に同じ文章。「直ちに出社せよ」だ。うんと寒かったな。
 行ってみたら戦争が始まったって。編集局みんなショック受けちゃって。だれも物言えなかった。異様な沈黙でしたよ。最初は「戦争状態に入った」。しばらくして「真珠湾で軍艦やっつけた」。そういう発表があったけど、万歳なんて喜ぶ馬鹿はいなかったな。通夜みたいな感じでした。何も知らないうちに始まったショックと、これからどうなるかという不安ですよ。
 そしてずるずると300万人の同胞を死なせ、2千万人の中国人を殺した。こんなことがあっていいのかと考えなきゃいかんでしょ。考えたらそうならないための365日の生活の中での戦いが必要だということになるんじゃないですか。

 自身の戦後と、現在の戦争と平和に対する考えについては次のように語っています。
 私は朝日を退社以来、戦争をなくすることに命をかけてきた。平和運動だ、抗議集会だと何千回もやったけど、一度も戦争をたくらむ勢力に有効な打撃を与えられなかった。軍需産業は成長しているんじゃないの。「戦争反対行動に参加した私は良心的だ」という自己満足運動だから。それでも意思表示をしないと権力は「民衆は反対していない」と勝手な判断をするからやめるわけにはいかない。
 でもそれだけじゃダメだ。今は「戦争はいらぬ、やれぬ」の二つの平和運動でないとならない、と怒鳴り声をあげている。
 「いらぬ」というのは、資本主義を否定すること。戦争は国家対国家、デモクラシー対ファッショなどあったが、今、根底にあるのは、人工的に起こす消費。これだけなんだ。作って売ってもうける。そこにある欲望が、戦争に拍車をかけてきた。
 無限の発展はいらない。当たり前の平凡な、モノ・カネ主義でない、腹八部目で我慢する生き方が必要なんです。地球の環境を大事にするとか、スローペースの生き方ですよ。
 そのことに一人一人が目覚め、生活の主人公になること。これが資本主義を否定する人間主義の生き方。戦争のたくらみをやめさせるのはこれなんだ。

 全文で170行以上の長大な記事ですが、従軍記者経験に基づいて「戦争には、弾丸の飛ぶ段階と飛ばない段階がある」と看破していることにも強い印象を受けました。朝日新聞のサイトにはアップされておらず、紙面を手に取るしかないようですが、現在のマスメディアの記者にぜひ読んでほしいと思います。

d0140015_1058151.jpg むのさんは昨年10月、沖縄で開催されたマスメディア労組主催の集会で基調講演をしました。当時、わたしは労働組合専従から復職して1年余の時期で、自身の仕事の意味や働き方を再確認しなければならない、との思いが日増しに強まっていました。むのさんが集会に参加することを聞き、たまらず週末の休みを利用して沖縄に行きました。少し長いのですが、以下に、わたしが当時所属していた労組の新聞研究活動の機関紙に投稿したレポートを再掲します。写真は沖縄の集会での、むのさんです。

 「戦争が始まってしまってから『ヒューマニズム』や『反戦平和』と言ってみても何の役にも立たない。戦争を止めようとするなら、やらせないことしかない」。むのたけじさん(92)は大きな声で切り出した。10月13日(土)、那覇市で開かれた沖縄県マスコミ労働組合協議会主催の2007反戦ティーチイン「戦争への道を止めるために―ジャーナリズムと労組の責任を考える」に参加した。むのさんは1945年8月、自らの戦争責任を明白にして朝日新聞社を退社し、戦後は郷里の秋田県・横手で週刊新聞「たいまつ」を刊行。今も反戦・平和に積極的に発言を続けている。今回は秋田から来訪し、「いい記事を書くために、生活の現場に心を砕き、自分の命を洗いながら、民衆の中に飛び込んでほしい」と後輩のわたしたちをも励ました。むのさんの基調講演を紹介する。
 沖縄マスコミ労協は、沖縄県内の新聞、放送の労働組合で結成。毎年10月を反戦月間と位置づけ、市民参加のティーチインを開催している。新聞労連や民放労連、出版労連が加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が昨年から共催に名を連ね、平和と民主主義を守るための運動の一環として、広島や長崎とともに、地域のマスコミ共闘組織との連携・共闘の柱と位置づけている。ことしの沖縄の反戦ティーチインには、MICからの30数人を含め、組合員と市民計約200人が参加。14日付の沖縄タイムス、琉球新報両紙も社会面で紹介した。
 むのさんはまず「戦争を食い止めるために、ジャーナリズムと労働組合にも責任があることは明らかだ。しかし、今の日本のジャーナリズムと労組に第3次世界大戦を食い止められるか。今のままでは可能性はゼロだ」と言い切った。続けて「70数年間の経験から言うと、既に第3次大戦は始まってしまった」とも。「戦争を止める」ということについて、要点を3点に要約した。
 第1は、戦争が始まってしまってからでは、ヒューマニズムや反戦・平和と言ってみても何の役にも立たない、戦争を止めるなら「やらせない」ことしかない。第2は、戦場では相手を殺さなければ自分が殺される。この一事のために、全身が縛り付けられ、やがて人間は一個のけだものになってしまう。社会にも同じムードが漂う。武器を手にしていようがいまいが、戦争とは人がけだものになることであり、社会がそれを許すこと。第3は、戦争には2つの段階、すなわち銃砲弾が飛び交う段階と、その以前の段階との2つの段階があること。
 第3の点に関連して、むのさんは戦前戦中の自身の取材経験を話す。日本軍はインドネシア占領後、昭和17年3月に軍政を布告し、司令官が大東亜共栄を宣言した。しかしその宣言は一字一句、太平洋戦争開戦から1年半も前に準備されていたものだった。「戦争を企んでいた連中は、昭和15年のときから、あるいはもっと以前から準備を進めていた。弾が飛ばない前の段階で民衆を組織しないと、戦争は防げない」とむのさんは強調する。治安維持法をはじめとする統制で当時は縛られていたが、今は報道の自由があり、抵抗する権利があり、主権者は国民だと明白に憲法に書かれている。
 「最近は目が不自由になり、情報源はNHKのニュースだけ。しかし、そのNHKニュースだけ聞いていても、もはや第3次大戦は始まっている」。むのさんは、米陸軍第1軍団の神奈川移転計画が持ち上がったときが、その始まりだと指摘する。「第1軍団の任務地域は中国からインドにかけて。その司令部を米本土から現地に近い日本に移すということは、近い将来に中国からインドにかけての地域で米軍が軍事行動を想定しているということだ」。時に仲良く見せながら、戦うか否か、つばぜり合いが続く。これから3年―5年が、戦争を食い止められる最後のチャンスになるだろうと、むのさんは言う。
 では、どうやってその戦争を食い止めるのか。その一つの道として、むのさんはジャーナリストのヒューマニズムを挙げる。戦時中、多くの従軍記者が戦場に赴いたが、どんなに危機に陥っても、自分で銃を手に取ろうとした記者はいなかった。そこに、ヒューマニズムに根ざす近代の情報産業の命があるのではないか、とむのさん。「マスコミが本来のマスコミの姿で真実をはっきり暴き出し、民衆に伝えること。マスコミが本来の役割を果たせば、民衆が戦争を止めるエネルギーを作り出す」。
 「これは今日、ここにいる皆さんへのお願いだ」と、むのさんの声に一段と力がこもった。「何でもいい、明日からの自分を作る目標を持って欲しい。それをエネルギーに、現場の中で、労働者の連帯の中でがんばってほしい」。互いに意見をぶつけ合うことが必要だとも。戦時中は、職場でも2人では会話ができても、3人目が来ると皆口をつぐんだという。「だから観念論はあっても、戦争をやる人間を止められなかった」。
 新聞記者に対しては「生活の現場、人間の関係を密にすることに心を砕け」と訴える。「人間として自分の生活も大事にしながら、読者の中に入って学び、自分の命を洗いながら民衆の中に飛び込んで行くこと」。そうでなければ面白い記事は書けない、と言う。
 「観念論ではダメだ。労組も政党も数を頼るからダメだ。数だけ70万人集まっても、死を覚悟した7人の方が強い」。1人1人が自分を変えながら、人との結びつきを作っていくこと。「観念論を卒業して、新しい人類を作っていくためにがんばろうじゃないか」と、むのさんは講演を締めくくった。

 62年前に日本の敗戦で終わったあの戦争の時代を、新聞人として生きたむのさんの話を聞きながら「戦争で最初に犠牲になるのは真実」「戦争が起きた時点でジャーナリズムは一度敗北している」という有名な2つの言葉をあらためて思い起こした。あの時代、新聞産業は戦争遂行に加担した。むのさんは自らの戦争責任と向き合い新聞社の職場を去ったが、戦後の新聞の労働運動は「2度と戦争のためにペンをとらない、輪転機を回さない」が合言葉になった。あの時代を新聞人として生きた先輩たちの思いはみな一緒だったのだろうと思う。「もはや戦前」とも言われ、むのさんによれば「弾が飛ばない段階として、既に戦争は始まっている」という今、「観念論ではダメだ」というむのさんの言葉が胸に突き刺さる。
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by news-worker2 | 2008-08-24 11:02 | 憲法
 この数日、日本マクドナルドがいわゆる「名ばかり管理職」を見直し、店長にも残業代を支給すると発表したり(20日)、トヨタ自動車が「QCサークル」活動に残業代を支払うことを決めたと報じられたり(22日)と、正社員労働者の働き方、働かされ方をめぐる報道が相次いでいます。企業の労務管理のコンプライアンスをめぐる動きとしてわたしも注目していますが、例えば朝日新聞がマクドナルドについて「ただ、店長手当は打ち切り、支払う給与の総額は増やさないといい、待遇改善の効果は薄いとみられる」と書いているように、形を変えて賃金抑制や長時間労働が続くのではないかとの懸念も指摘されています。
 マクドナルドについての朝日新聞21日付朝刊記事を一部引用します。
 ハンバーガーチェーンの日本マクドナルドは20日、直営店の店長約2千人に、8月から残業代を支払うと発表した。権限が大きくないのに残業代が支払われない「名ばかり管理職」だと指摘されていたためだ。ただ、店長手当は打ち切り、支払う給与の総額は増やさないといい、待遇改善の効果は薄いとみられる。
 残業代を払うようにするのは、直営店の店長のほか、複数の拠点を管理する「エリア営業管理職」数百人。社内では管理職との位置づけは変えないが、法的には「経営者と一体的な立場」とされる「管理監督者」ではなくなる。上に立つ管理監督者は、「ディレクター・オブ・セールス(販売部長)」が務める。
 店長には、これまで基本給、成果給に加え、店長手当などの「職務給」があった。今回の制度変更で職務給がなくなり、代わりに残業代にあたる「時間外労務手当」を払う。残業代の支払い総額の見込みは示さなかったが、店長らへの給与の支払い総額は、いまと変わらないという。

d0140015_2393135.jpg 雇用の規制緩和で有期雇用や契約社員、派遣社員、パートなど細切れで不安定な働き方を強いられている非正規雇用が労働者の3分の1を占め、偽装請負などの違法な雇用やワーキングプアが社会問題になっている一方で、正社員という働き方、働かされ方も過酷になってきていると感じざるをえません。雇用や労働の現状を社会の問題としてどういうふうにとらえ理解し、今後のあるべき方向をどうやって探っていけばいいのか。その一助になるのが、弁護士の中野麻美さんの「労働ダンピング―雇用の多様化の果てに」(岩波新書)です。

(続きます)
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by news-worker2 | 2008-05-23 01:10 | 読書
d0140015_0193660.jpg 以前のエントリーで報告したシンポ「憲法25条・生存権とメディア」でのやり取りを聞いていて、堤未香さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」を思い出しました。
 全5章にわたって、米国社会の貧困の問題を詳細にリポートし、それが米国一国の問題にとどまらないことが浮き彫りにされていきます。中でも、貧困の拡大がイラクで「戦争の民営化」を支えている、との指摘には大きな衝撃を受けました。ここでわたしの拙い表現で本書の内容を紹介することはやめて、プロローグの最後の部分を引用、紹介します。

 同じアメリカ国内で、貧しいために大学に行きたくても行けない、または卒業したものの学費ローンの返済に圧迫される若者たちや、健康保険がないために医者にかかれない人々、失業し生活苦から消費者金融に手を出した多重債務者、強化され続ける移民法を恐れる不法移民たち…こうした人たちが今、前述したフェルナンデス夫妻と同じように束の間の「夢を見せられ」、暴走した市場原理に引きずり込まれているのだ。(中略)
 そこに浮かび上がってくるのは、国境、人権、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを超えて世界を二極化している格差構造と、それをむしろ糧として回り続けるマーケットの存在、私たちが今まで持っていた、国家単位の世界観を根底からひっくり返さなければ、いつのまにか一方的に呑み込まれていきかねない程の恐ろしい暴走型市場原理システムだ。
 そこでは「弱者」が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権を奪われた挙げ句、使い捨てにされていく。(中略)「民営化された戦争」に商品として引きずり込まれていくという流れは、この本に出てくるさまざまな例を通して映し出されている。


 2003年3月にイラク戦争が始まって以後、イラク民衆の戦争被害のほかにも、わたし自身の関心はイラクで死んでいく若い米兵たちにもありました。彼らはこれまでどこでどんな時間、人生を送り、何を思い軍に志願し、どういう経緯でイラクに送られたのか。それらの一つ一つがジャーナリズムの課題でもあるだろうとも考えていましたが、堤さんのルポは、これらのわたしの「知りたい」に十分に応えてくれました。

 貧困が社会不安を増大させ、ひいては戦争を招く要因であること、だから平和を永続させるためには貧困の解消が必要であり、そのために労働者の地位の向上と権利の保護が必要なこと。これらは人類が戦争を繰り返す中で得てきた歴史の教訓だと、わたしは労働運動に身を置く中で考えるようになりました。言い方を変えれば、労働運動とは本来的、根源的に平和を永続させるための運動でもあるはずだと考えています。
 数ある国連機関の中で、労働者の地位向上と権利の保護を大きな目的とする国際労働機関(ILO)が生まれたのは、第一次世界大戦が終結した1919年でした。そのILOの憲章前文には次のように明記されています。

 世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができるから、
 そして、世界の平和及び協調が危くされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件が存在し、且つ、これらの労働条件を、たとえば、1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務であるから、
 また、いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから、
 締約国は、正義及び人道の感情と世界の恒久平和を確保する希望とに促されて、且つ、この前文に掲げた目的を達成するために、次の国際労働機関憲章に同意する。


 今の日本社会の貧困が先々、わたしたちに何をもたらすのか。貧困の解消のために何が必要なのか。いずれの課題を議論するにも、まずは「今起きていること」が知られなければなりませんし、今までの例えば労働運動が貧困を生まないために、貧困の解消のために何をしてきたのかも検証が必要だと思います。堤さんのこのリポートは、ジャーナリズムと労働運動の双方にかかわってきたわたし自身にとって、大きな道しるべだと感じています。

参考 ILO駐日事務所ホームページ
 *ILO憲章の日本語訳文があります
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by news-worker2 | 2008-04-27 02:53 | 読書
d0140015_1103489.jpg 19日の土曜日は大学の授業の後、午後から憲法メディアフォーラム開設3周年の記念シンポジムに行ってきました。
 テーマは「憲法25条・生存権とメディア」。憲法25条は最近では生活保護の問題に絡めて論じられることが多いのですが、今回の集会のテーマ設定の根底には、格差と貧困の拡大が社会に何をもたらすかということと、それを報じるマスメディアのスタンスの問題があります。パネリストは現場で非正規雇用の若年労働者の権利擁護に取り組んでいる労働組合「首都圏青年ユニオン」書記長の河添誠さん、NHKスペシャル「ワーキングプア」取材班の板垣淑子さん、日本の貧困に詳しい都留文科大教授の後藤道夫さんの3人でした。
 後日、詳しいやり取りは憲法メディアフォーラムのサイトにアップされると思いますので、ここでは手元のメモをもとに簡単な紹介にとどめておきたいと思います。

 いちばん強く印象に残ったのは、河添さんの報告です。首都圏青年ユニオンは最近では牛丼チェーン「すき家」のアルバイト労働者に、未払いだった残業の割増賃金を払わせる成果を挙げたり、仙台店のアルバイトの残業代をめぐっては、経営会社の「ゼンショー」を労働基準監督署に刑事告訴したりした活動が広く知られています。
 いくつもの具体例を挙げながら河添さんが指摘したのは、ちょっとしたつまずきで転落し、困窮する人が増えていること、一度企業との間にトラブルを抱え離れてしまうと、一気に貧困に転落する、そういうケースが増えている脆弱な社会になっていることです。一方で、若年層の非正規雇用労働者の場合、使用者側に労働基準法を守らせれば大幅賃上げに相当する成果が得られる、ということも指摘しました。労働基準法以下の労働が増えており、具体的には「残業代なし」「有給休暇なし」「社会保障なし」の〝3点セット〟です。「労働問題の課題を解決することが、実は貧困解決と近い」のであり「その解決策を持っているのは労働組合しかない。労働基準監督署も当てにならない。本当に必要なのは労働組合」と河添さんは強調しました。
 マスメディアの報道についても、河添さんは「貧困問題が以前に比べて多く取り上げられるようになり、取り上げ方も深まっている」としながらも「十分に伝わっていないな、と思うのは、困窮する若者が『無権利』の状態に置かれていること。単に賃金が低いだけではなく無権利なのです」と指摘しました。
 また、一人一人のケースには、家族内の人間関係(例えば「いつまでフラフラしているのか。正業に就け」と絶えずプレッシャーを受けるうちに家に居づらくなり、ネットカフェで寝泊まりするようになる)も含めてそれぞれ複数の要素が絡み合っており、それが描き切れていないと貧困を構造的には描けないことも指摘し「意欲そのもの、働く意欲すら失っていき、一人一人がバラバラにされていく。バラバラにされた人たちの声をどうするのか」「金がある人は表現する場所がある。バラバラにされた人たちのネットワーク化が大事」と強調しました。
 河添さんが最後に訴えたのは、マスメディアの役割でした。「生活困窮者はバラバラにされて、持つことができるのは絶望と不信しかない。信頼と希望のネットワークをつくる必要がある。これまでもメディアの中の良心的な人たちに、運動の側が発信する情報を受け止めてもらったが、解決策を持っている労組それ自体がどれだけ報道で取り上げられていただろうか。たくさんの報道陣が取材に来るが、そこが越えられていない壁。本当に必要なのは労働組合。衝撃的な貧困の実例だけでなく、運動自体を報道してほしい」と強調しました。

(続きます)
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by news-worker2 | 2008-04-21 01:25 | 憲法
※2008年11月末日をもって、はてなダイアリーに引越しました

ご訪問ありがとうございます。

 【管理人自己紹介】
 美浦 克教(みうら・かつのり)
 1960年10月、福岡県北九州市生まれ、東京都在住、通信社勤務

 2004年7月から2006年7月まで日本新聞労働組合連合(新聞労連)中央執行委員長
 2004年10月から2006年9月まで日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)議長

 2008年4月から2008年9月(予定)まで明治学院大学社会学部非常勤講師

 このブログは、わたし美浦克教が、新聞産業の編集職場で働きながら、日々考えること、学んだことを発信して運営します。個人の立場での活動であり、このブログで表明する意見の内容は、特定企業や組織の見解をいかなる意味でも代弁するものではありません。

 2006年10月まで、ブログ「ニュース・ワーカー」を運営しました。その間、多くの方に訪問していただき、ありがとうございました。
 当時は会社での仕事は休職して労働組合(新聞労連)の専従役員をしていました。ブログ運営を休止した時期は、復職して職場に戻り、立場が変わったことで、同じテンションでブログを続けることに肉体的にも精神的にもつらさを感じるようになっていました。
 今、職場で働きながら、あらためて企業と、そこで生活の糧を得ている被雇用者としての自分との関係を多々、考えています。わたしなりに労働組合の活動を懸命にやってきた、この10年ほどの時間を振り返り、一つひとつの出来事について考えることも多くなりました。一方では、わたしが被雇用者として身を置く新聞産業では、企業としての新聞社も、マスメディアとしての新聞も、社会の人びととのつながりに明確なビジョンを見出せなくなっているように感じています。そのまた一方で、日々、仕事として様々なニュースに接しながら、わたしたちの社会がどんな社会になっていくのか、考え込んでしまいます。そんな毎日を過ごす中で、個人としての自分とマスメディアという仕事、あるいは社会とのかかわり、マスメディアのあり方、労働運動のあり方などを、折々文章にまとめてみたいと再び思うようになりました。

 労働組合の活動を通じて実感した言葉のひとつに「あなたは一人ではない」という言葉があります。欧米の労働運動でよく使われるスローガンだと聞きましたが、困難な状況にあっても、同じ状況にある人がほかにもいる、そういう人たちが結び付いていけば、状況を変えるのは決して不可能ではない、という意味に理解しています。このことは、労働運動に限ったことでもないと思います。
 このブログの運営では、職業人としての自分(個人の仕事や働き方)、生活人としての自分(個人の生活)、社会の一員としての自分(個人と社会)を常に考えていたいと思っています。結果として「わたしは一人ではない」との思いを一人でも多くの人と共有できれば、と願っています。

 このブログは、愛着のある「ニュース・ワーカー」(報道労働者)のタイトルは継承しますが、旧ブログとは別のブログとして運営します(わたしの個人史の記録として、旧ブログを引用することはあるかもしれません)。具体的にどんなテーマで何を書いていくかや、更新頻度も明確には決めていません。エントリーを重ねる中で、カテゴリーも整理していきたいと思います。試行錯誤の連続になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 ネットの知識、スキルは初心者レベルです。エチケットをわきまえた運営を心がけますが、失礼の段があればご容赦ください。
 コメント、トラックバックは歓迎ですが、内容が本ブログの趣旨にそぐわないと思われるものや、社会常識から逸脱しているものに対しては返信しなかったり、管理人の判断で削除することもあります。

  個別のご連絡はkatsunori1@hotmail.comへお願いいたします。

 料理や食べることが好きです。裏ブログ「一生の食事回数には限りがある」もよろしくお願いします。

 【参考】
ニュースワーカー
新聞労連ホームページ
MICホームページ

 【追記】
*2008年5月7日
 カテゴリに「読書」を新設しました。
*2008年5月18日
 カテゴリに「表現の自由」「憲法」を新設しました。
*2008年5月26日
 カテゴリに「非常勤講師」を新設しました。
*2008年7月15日
 訪問者が5千人を超えました。エキサイトカウンターで7月14日現在5007人です。
*2008年9月6日
 ブログのデザイン(スキン)を変えました。気分転換です。
*2008年9月14日
 趣旨紹介欄の写真をわたしの顔写真にしました。関連のエントリはこちらです
*2008年9月16日
 カテゴリに「新聞・マスメディア」「労働運動」「近況・雑事」を追加しました。
*2008年10月6日
 訪問者が1万人を超えました。エキサイトカウンターで10月5日現在10115人です。
*2008年10月20日
 ブログタイトルを「ニュース・ワーカーⅡ」から変更しました。関連のエントリーはこちらです
*2008年11月9日
 はてなダイアリーへの引越し準備に入りました。関連のエントリーはこちらです。訪問者13324人をはてなのカウンターに引き継ぎます。
*2008年12月1日
 11月30日をもって更新を停止し、はてなダイアリーへの引越しを完了しました。11月30日現在の訪問者はエキサイトカウンターで14619人、はてなカウンターで13829人です。
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by news-worker2 | 2008-04-13 00:36 | 管理人ごあいさつと自己紹介