ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


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 漫画家の赤塚不二夫さんが2日午後、72歳で死去しました。
 手元にある3日付の朝日新聞、東京新聞各朝刊とも、本記は一面準トップ、社会面の半分以上を使って関連記事を掲載しています。あらためて知ったのですが、代表作のひとつになる「おそ松くん」の連載開始は1962年。60年生まれのわたしは幼児期、おそ松くんが大好きでした。幼稚園では友だちと、イヤミの「シェー」の真似をして遊んでいましたし、チビ太のおでんは串刺しなのに、どうして母が作るおでんは串に刺さってないのか不思議でした。その後の「天才バカボン」「もーれつア太郎」は、小学校でいつも友だちと共通の話題でした。
 戦後の高度成長にどっぷり漬かって大きくなったと指摘されるわたしたちの世代にとって、赤塚ギャグ漫画はいつも身近でした。皆が明るく、上を向いて歩いていられた時代の象徴だったのだと感じています。赤塚さんのご冥福をお祈りします。
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by news-worker2 | 2008-08-03 09:39 | 近況・雑事
 既に1週間が経ってしまいましたが、毎日新聞社の英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載されていた問題で、毎日新聞社が20日付朝刊と自社サイト上に内部調査結果と第3者委員会「『開かれた新聞』委員会」の委員4氏の意見を掲載しました(全文は毎日新聞のサイトで読めます)。この問題は以前のエントリ(「趣の異なる新聞不祥事~英文毎日の不適切コラム問題」)でも取り上げましたが、今回の検証については、総じて毎日新聞は真摯に取り組んだとの印象をわたしは持っています。その上で、不適切な記事を書いていた当該の外国人記者の毎日社内での立場と処遇について、「組織と個人の関係」や「働き方、働かされ方」の問題につながってくる大きな問題をはらんでいると考えています。わたしが感じていることを書いてみます。

続きます
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by news-worker2 | 2008-07-28 01:09 | 新聞・マスメディア
 毎日新聞社の英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載されていた問題で、毎日新聞社はかねて予告していた通り、20日付朝刊と自社サイト上に内部調査結果と第3者委員会「『開かれた新聞』委員会」の委員4氏の意見を掲載しました。
 紙面では1面におわびの社告、22面と23面に調査結果と第3者委員会の意見があり、相当な記事量です。全文は毎日新聞のサイトで読めます。総じて、真摯に検証と再発防止策の策定に取り組んだとの印象をわたしは持っています。その上で、いくつか感じていることがあるのですが、整理した上で後日、書いてみたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-07-22 01:10 | 新聞・マスメディア
 4月から続けていた明治学院大学社会学部の非常勤講師の講義が昨日(12日)で終わりました。「新聞ジャーナリズム」をテーマに計13回の講義でしたが、終わってみると「あっという間」だったというのが率直な印象です。
 以前のエントリ(カテゴリー「非常勤講師」)でも触れてきましたが、これまで主に「表現の自由」が新聞のジャーナリズムで実現されているか、新聞が「表現の自由」と「知る権利」を守ろうとしているかを中心に話してきました。昨日の講義のタイトルは総まとめとして「新聞は戦争を止められるか」としました。これまで25年間、新聞の仕事に携わってきたわたし自身の思いでもあります。
 日本社会の現代史は1945年8月の敗戦が大きな契機になっています。敗戦当時の新聞はと言えば、ひたすら戦意高揚のためだけの存在だったと言っていいと思います。その典型的な例として、45年3月10日に10万人以上が犠牲になった東京大空襲の報道を昨日の講義でもあらためて取り上げました。これもまた以前の講義で紹介したことですが「戦争で最初に犠牲になるのは真実」という言葉通りです。戦争をする国家は、実際に何が起きているのか、その実相のすべてを国民に明らかにはしません。その果てに何があるのか、わずか63年前に日本の社会で、わたしたちの父母や祖父母はそのことを身をもって経験したのだと思います。
 翻って今、わたしが暮らす日本の社会では、3つの流れが進んでいるとわたしなりに感じています。まず「戦争社会への道」。軍事面での日米の融合・一体化が進み、「日米同盟」という用語も何ら違和感なく新聞が用いています。自衛隊は米軍の支援のためにイラクやインド洋に派遣されており、より一体化を進めるために在日米軍の再編が進行中です。防衛庁は「省」に昇格し、自衛隊の海外派遣は本来任務のひとつと位置づけられました。有事法制も整備されています。改憲が加われば、名目上は国際協調のもとでの〝正義の戦争〟に限定されるにせよ、日本は法律面でも実体面でも戦争ができる国になるでしょう。
 2つ目は「監視社会への道」です。いわゆるビラまき逮捕事件の続発と有罪判決では、摘発されたビラまき行為はいずれも何がしか政治的主張を含むものでした。現在は表面的には沈静化しているものの、人間の内面を取り締まりと処罰の対象にすると言ってもいい「共謀罪」新設の動きもあります。最近では、恣意的な運用への危惧をぬぐいきれないインターネット規制の動きも加わってきました。
 3つ目は「格差社会への道」です。このことを強く意識し始めたのは新聞労連の専従役員の時期でしたが、今では「貧困」をキーワードに考えるべきなのかもしれません。
 「戦争社会」と「監視社会」と「格差(貧困)社会」の3つの流れは、相互に強い関連があると思います。貧困の拡大と戦争については、例えば堤未香さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」に書かれている通りです。この3つの流れが一つになるとき、「表現の自由」と「知る権利」はどうなっているだろうかと考えると、わたしは「だからこそ、社会に『表現の自由』と『知る権利』が保障されていなければならない」と強く思います。新聞というマスメディアにジャーナリズムを生き続けさせようとするならば、3つの流れの中の一つ一つの出来事に「表現の自由」と「知る権利」の観点からこだわっていかなければならないと思います。新聞の使命は突き詰めれば社会の「表現の自由」を守り、「知る権利」に奉仕することであり、そうすることを通じて「戦争を止める」ことだと考えています。
 昨日の講義では、最近読んだアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著「マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義」(幾島幸子訳、水嶋一憲・市田良彦監修、NHKブックス)も紹介しました。わたしの理解が正しいかどうかの問題はさておいて、ネグリらの言うネットワーク権力の「帝国」の時代に、マスメディアは「帝国」の広報・宣伝機関になっていはしないだろうか、それで終わっていいのだろうか、ということを強く感じています。そのまま戦争報道が行われれば、かつての「大本営発表」報道と変わるものはないでしょう。マスメディアという組織に身を置くとしても、わたしという「個」は一人のworkerとして、ネットワーク権力に対抗して真の民主主義と平和を求める「マルチチュード」に連なっていきたい、希望のネットワークに連なっていることを実感することで、わたしの仕事である新聞のジャーナリズムにも希望を失わずにいたいと願っています。

d0140015_0151997.jpg 「『教える』は『学ぶ』に通じるから」と勧められ引き受けることにした講義でしたが、まさにその通りの得難い経験でした。大学の講義と呼ぶにはあまりに拙い内容でしたが、それでも学生たちの内面に何がしか新聞やマスメディア、さらには世の中のことに思うところが出てきたとすれば、こんなにうれしいことはありません。
 わたし自身は、多くの新聞が並び立ち、多種多様な情報が社会に発信されていること自体、価値があることだと考えています。マスメディアだけではなく、ネットでも自由な情報発信が保障されていることにもまた同じように価値があると思います。それぞれの「個」が多種多様の情報に触れ、一つ一つの情報の意味を読み解いていくリテラシーを高めれば、「個」と「個」がつながる希望のネットワークはさらに強まり、大きくなっていくと確信しています。

 *決して広くはありませんが、気持のいいキャンパスでした。記念に撮った1枚をここに残しておきます。
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by news-worker2 | 2008-07-14 00:20 | 非常勤講師
 以前のエントリ「趣の異なる新聞不祥事~英文毎日の不適切コラム問題」で取り上げた英文毎日のコラム「WaiWai」問題で、毎日新聞社が7月中旬に社内調査結果を公表することを7日付の紙面とサイトで明らかにしました。第三者機関「『開かれた新聞』委員会」の見解も公表するようです。
 毎日新聞のサイト「毎日JP」のバナーがしばらく前から自社ものだけになっています。英文毎日の問題が広告に影響しているのだとすれば、マスメディアのネット展開の上からも、大きな出来事と位置づけられると思います。
 この問題ではブログ「ガ島通信」の藤代裕之さんのエントリ「毎日新聞『Wai Wai』問題と私刑化する社会とネット時代の企業広報の視点」が参考になります。

*追記(2008年7月10日午前8時半)
 この問題を取り上げたネット上の記事が目につくようになってきました。

 「『毎日jp』が自社広告だらけに、ネット上に深いつめ跡残る」ITpro

 「毎日jpのビジネスモデルが事実上の破綻、低俗記事乱発で広告出稿が激減」Technobahn

 「インターネットにようこそ。」ひろゆき@オープンSNS
  
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by news-worker2 | 2008-07-08 08:46 | 新聞・マスメディア
 明治学院大社会学部での講義はきのう(5日)、「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマを終え、残すところ次回の1回だけとなりました。
 きのうの講義では、長年にわたって「部数第一主義」でやってきた新聞社のビジネスモデルは限界にきており、新たな収益モデルを模索する中で、各新聞社ともネット展開に力を入れてきていることや、そのことが新聞のジャーナリズムにどう影響するのかについて、わたしなりの考えを話しました。
 新聞社のビジネスと新聞のジャーナリズムはきちんと分けて論じないといけないのですが、まったく関係がない別々の問題というわけでもないと、わたしは考えています。新聞社がネット展開を強化していくことに異論はありませんが、ネットに踏み込む以上、新聞社のコンテンツといえどもネット空間では特別扱いというわけにはいかないと思います。具体的に言えば、新聞社の記事もネット空間では、例えば硫化水素の作り方を記した情報などと同列の存在であり、新聞社のサイトも例えば2ちゃんねると同列の存在です。それがネット空間での「平等」だと考えています。問題だと思うのは、そのことを新聞社の側がどこまで自覚できているか、です。そこに新聞のジャーナリズムにかかわる問題が出てくると思います。
 何度かこのブログでも触れてきましたが、例えば青少年の健全育成を目的にして、 「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」が6月11日に成立しました(法律全文は衆議院のホームページにあります)。携帯電話のフィルタリング機能をめぐって、何が有害情報に当たるのかの判断に国家が直接介入することは見送られましたが、それでも「違法」情報にとどまらず、「有害」情報を法に根拠を置いた規制の対象にする枠組みはできてしまいました。今後さらに、通信(ネット)と放送の一元規制がコンテンツ規制まで進めば、当然に新聞社のサイトも、新聞社がネット空間に発信している情報も規制の対象になります。規制の主体が現在の放送法と同じように国(総務省)になるのだとしたら、新聞ジャーナリズムが直接国の規制を受ける事態になります。そして「違法」にとどまらず「有害」な情報も規制の対象になるとしたら、本来あいまいな「有害」の線引きが恣意的に行われ、結果として新聞ジャーナリズムの表現の自由が制約を受けることになりかねない、そうわたしは危惧しています。
 翻って現在の新聞報道のネットに対するスタンスですが、時としてネガティブなとらえ方が前面に押し出されます。事件報道に顕著で、子どものいじめの舞台に学校裏サイトがある、犯罪被害に遭った少女が出会い系サイトで容疑者と知り合った、などのニュースは枚挙にいとまがないでしょう。それはそれで事件報道には必要な要素であり、社会に伝えなければならない情報ですが、ネットのそうしたネガティブな面だけが強調され続けると、国家によるネット規制論を呼び込むことになってしまう、そうなれば新聞は自らの首を絞めることになる、そのことをわたしは危惧しています。そうならないためには、新聞(この場合はビジネスの面もジャーナリズムの面も)の側がいかなる場面、局面でも「表現の自由」に徹底的にこだわること、その自覚と覚悟が問われてもいるのだと考えています。

 次回の講義は最終回として、4月から話してきたことの総まとめになります。春先に提出したシラバス(授業計画)ではテーマを「新聞は戦争を止められるか」にしました。講義を聴いてくれた学生の一人一人の頭の中に、何かひとつでも残るものがあるようにしたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-07-07 00:16 | 非常勤講師
 毎日新聞社が27日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」のコラム「WaiWai」に不適切な記事を掲載していたとして、担当記者らの処分を決めました。毎日.jpの告知記事を引用します。

 毎日新聞社:「WaiWai」問題で処分
 毎日新聞社は27日、英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」に不適切な記事が掲載された問題で、コラムを担当していた英文毎日編集部記者を懲戒休職3カ月にした。また、監督責任を問い高橋弘司英文毎日編集部長を役職停止2カ月、当時のデジタルメディア局次長の磯野彰彦デジタルメディア局長を役職停止1カ月の懲戒処分とした。このほか、当時のデジタルメディア局長の長谷川篤取締役デジタルメディア担当が役員報酬の20%(1カ月)、当時の常務デジタルメディア担当の朝比奈豊社長が役員報酬10%(1カ月)を返上する処分とした。
 本社は、担当記者が国内の雑誌に掲載された風俗記事を英文サイトに引用する際、不適切な描写のまま英文に翻訳した結果、多くの読者に不快感を与え、インターネット上で批判を受けるなど信頼を損なったと判断した。上司については、記事のチェックを怠るなどの監督責任を問うた。WaiWaiは今月21日に閉鎖している。

 問題の経緯は、毎日新聞の告知記事では以下のようになっています。引用が多くなることは承知していますが、報道記事ではなく毎日新聞の見解ですし、正確性を期すためにそのまま引用します。

 「WaiWai」コラムの前身は1989年10月、紙の新聞の「毎日デイリーニューズ」上で連載を開始した。その後、紙の新聞の休刊に伴い、2001年4月19日からはウェブサイト上の「WaiWai」として再スタートした。
 英文毎日編集部に籍を置く日本在住の外国人記者と外部のライターが執筆し、日本国内で発行されている雑誌の記事の一部を引用しながら、社会や風俗の一端を英語で紹介した。どのような記事を選択するかは主に外国人記者が行った。
 5月下旬、過去の掲載記事について「内容が低俗すぎる」「日本人が海外で誤解される」などの指摘・批判が寄せられ、調査した結果、不適切な記事が判明し、削除した。それ以外の記事についてもアクセスできない措置を取り、チェックを続けていた。
 6月中旬、削除した記事がネット上で紹介され、改めて批判・抗議が寄せられた。
 さらに調べた結果、元記事にはない内容を記者が加えていたケースも1件確認された。品性を欠く情報発信となったことを反省し、全面的に閉鎖することにした。
 その後、今回の問題についての経緯とおわびを日本語と英語でウェブサイトに掲載。25日付朝刊本紙にもおわびを載せた。
 社内調査に対し、記者は「風俗の一端と考え、雑誌記事を引用し紹介したが、引用する記事の選択が不適切だった。申し訳なかった」と話している。同コラムの執筆を記者に委ね、編集部内での原稿のチェックが不十分で、編集部に対する上司の監督にも不備があった。


 さらに毎日新聞社は、今回の措置が妥当だったか、社外の有識者でつくる第三者委員会に見解を求めることも明らかにしています。いずれ第三者委員会の見解も紙面で明らかにされることと思います。
 今回の問題では、ネット上にまとめサイト「毎日新聞の英語版サイトがひどすぎる まとめ@wiki」などもあります。わたし自身は、6月20日にネット上のニュースサイト「JCASTニュース」が取り上げたことで知りました。実際にどんな記事がアップされていたのかを正確に知っているわけではないので、コラムの記事掲載の是非そのものに対する考えの表明は、ここでは差し控えたいと思います。毎日新聞社がコラムの閉鎖、担当者や上司の処分に踏み切るには、JCASTニュースの記事掲載が大きな契機になったのは間違いがないようですが、その間の経過、とりわけ毎日新聞社内の状況をうかがい知るにはあまりに情報が少ないので、毎日新聞社の判断の是非自体についても意見の表明は控えたいと思います。
 その上で、ということになりますが、わたしは今回の1件は、ネットと既存マスメディア(この場合は大手新聞社ということになると思いますが)の関係を考える上で後世にも記録される出来事の1つではないかと考えています。
 これまでも新聞社が取材・編集上の不祥事に対して、懲戒の内部処分を行うことはありましたが、大半は故意に記事や取材情報がねつ造されていたか、他者の記事を盗用していたケースでした。また、こうしたケースでは名誉を傷つけられたり、著作権を侵害される直接の被害者の個人や団体が存在することが多く、不祥事の発覚もそうした当事者からの通報が端緒になっていました。報道内容に明白な誤りがあり、関係当事者に謝罪や賠償が行われるケースでも、取材・報道の過程に故意や重大な過失がない限りは、懲戒処分にまでは至らないケースが多かったと思います。
 あらためて英文毎日サイトの今回の1件をみると、毎日新聞社は「担当記者が国内の雑誌に掲載された風俗記事を英文サイトに引用する際、不適切な描写のまま英文に翻訳した結果、多くの読者に不快感を与え、インターネット上で批判を受けるなど信頼を損なったと判断した」と説明しています。故意のねつ造や盗用ではなく、また事実関係の誤りがあったわけでもなく(経緯の報告では「元記事にはない内容を記者が加えていたケースも1件確認された」ともありますので、この点は毎日新聞社の最終的な調査結果を待ちたいと思いますが)、特定の個人、団体が具体的な被害を受けたわけでもないと、少なくとも毎日新聞社は現時点でそう判断していると読み取れます。強いて言えば、当該コラムの被害者は特定個人や団体ではなく不特定多数のネットユーザーであり、被害も個々の名誉棄損や著作権侵害ではなく不特定多数のネットユーザーの不快感ということになるのでしょうか。わたしは、今までの新聞社の不祥事と比べて、当の新聞社が不祥事と認定するに至った経緯も理由も、今までの不祥事とは相当に趣の異なるケースだと受け止めています。
 この1件をネットと既存マスメディアの関係でどう意味づければいいのか、わたし自身はまだ考えが整理できていませんが、キーワードの1つは「信頼」になるのではないかと思います。情報の信頼性を身上としてきた新聞社がネット展開していく際に何よりも重んじなければならず、かつまた事業としてもネット展開に展望を持てるかどうかを左右するのはやはり「信頼」なのだと思います。
 そもそも新聞本紙だったら週刊誌の風俗記事からの引用記事が掲載されることがあるだろうか、ということも考えています。新聞社の日本語サイトのコンテンツの中心は、本紙向けに取材し書かれた記事です。今回の1件が、紙としては発行を取りやめた英文サイトのコラムだったから起こってしまったことなのかどうか。いずれにせよ、毎日新聞社の第三者委員会の見解が明らかにされるのを待って、わたしも考えをまとめてみたいと思います。
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by news-worker2 | 2008-06-30 01:11 | 新聞・マスメディア
 4月から毎週土曜日の午前中に行っている明治学院大学社会学部での講義は昨日(6月21日)が10回目でした。開講した当初は長丁場をどう乗り切るか不安がありましたが、気付いてみれば残りはあと3回です。
 昨日からは「ネット社会、多メディア社会と新聞ジャーナリズム」のテーマに入りました。
 日本の新聞は産業としてみれば、1980年代まで右肩上がりの成長を続けていました。ビジネスモデルとして見ると、まず読者からの購読料があり、次いで広告媒体としての広告料があります。新聞社と購読者の間には、新聞社ごとに系列化された販売店網があり、それが戸別配達と新たな購読者獲得を支えています。販売店には、折り込み広告(チラシ)という独自収入もあり、扱い部数が増えれば独自収入も増える仕組みです。このビジネスモデルを総体として見ると、発行部数が増えれば新聞社は購読料収入も広告料収入も増え、販売店も折り込み広告が増えることになります。必然的に、新聞社経営は「部数第一主義」となり、この経営方針が長らく続いてきました。そこから強引な勧誘方法が社会問題にもなっていたりしました。
 しかし近年、このビジネスモデルでは立ち行かないことがはっきりしてきています。要因としては部数の伸び悩み、あるいは広告媒体としての地位の低下があり、また販売店網の維持と密接にかかわる再販制度にも90年代半ば以降、たびたび見直し議論が浮上しています。ちなみに再販問題とは、「再販売価格維持制度」をめぐる問題です。商品の取引では通常、メーカーや卸から仕入れたものをいくらで消費者に販売(再販売)するかは小売業者の自由ですが、新聞は販売店(小売業者)の販売価格を新聞社(メーカー)が指定することができ、独禁法の適用除外商品になっています。
 この新聞経営のビジネスモデルにかげりが見え始め、やがて限界がはっきりし始めた時期は、ちょうど90年代半ば以降、インターネットが日本社会にも普及、発展していった時期と重なります。ネット上に流れているニュース記事はだれでも無料で読めるためか、新聞産業内には「新聞が売れなくなったのはネットのため」といった見方や、さらにはネット上の掲示板やブログなどの表現活動を「便所の落書き」などと見下す風潮が根強く残っていると感じています。一方で、新聞経営が従来のビジネスモデルのほかに収益モデルを見出す必要性に迫られているのも、今や明白ですし、この点については新聞産業の中でも共通認識になっていると思います。
 ネット社会と新聞、あるいは新聞ジャーナリズムを考える際には、わたしは「新聞経営」と「新聞ジャーナリズム」の2つの側面があると思っています。「企業としての新聞社」と「メディアとしての新聞」と言ってもいいかもしれません。この2つの混同は避けなければなりません。ジャーナリズムの面で言えば新聞の強みは「組織の取材力」だと思います。しかし「だから紙メディアの新聞のほうがネット言論よりもすぐれている」というものでもないですし、ネット上での収益を追求するあまりに組織取材がおかしくなるようでは本末転倒になってしまうとも思います。

 講義では以上の状況を前提として、 ネットと新聞ジャーナリズムについて話していくつもりですが、結論めいたことをあえて先に言うと、新聞(マスメディアと言い換えてもいいかもしれません)が伝えていないことも読者はネットで知っているのが今日の状況だということです。言い方を変えれば、今までは新聞が書かないことは、社会にとっては「なかったことと同じ」だったのかもしれませんが、今はそうではありません。新聞が書いてこなかったことを、ネットを通じて知っている人たちをも読者と想定して、さて新聞はこれから何をどのように書いていけばいいのかが問われているのだと考えています。 
 昨日の講義では、以前のエントリ「『何が起きたか』を伝えるのは誰か~秋葉原・無差別殺傷事件で思うこと」に沿って、秋葉原の無差別殺傷事件の現場で起きたことを題材に、新聞を含めたマスメディアのメディアとしての「正統性」が問われている状況を話しました。秋葉原の事件の現場で、携帯電話のカメラで写真を撮りながらも、救護活動に加わらなかった人が少なからずいたことに批判も出ていますが、その批判を、現場で取材活動を展開したマスメディアに当てはめた場合、マスメディアはきちんと答えられるのか。その「正統性」が問われているのだと思います。
 引き続き、ネット社会の中での新聞ジャーナリズムの在り方についてわたしなりの考えを整理しながら、次回以降の講義を進めていきたいと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-23 01:12 | 非常勤講師
 前回のエントリで取り上げたNHK番組改変訴訟の最高裁判決を、昨日(6月14日)の明治学院大社会学部での講義のテーマにしました。ここ2回は「表現規制と新聞ジャーナリズム」について話しており、昨日の講義は当初、個人情報保護法案の原案や人権擁護法案の中にマスメディアの取材・報道規制がどのように組み込まれていたのかを話すつもりでしたが、急きょ、予定を変更しました。このNHKの番組改変問題はマスメディアの「自己規制」という意味で「表現規制」と密接にかかわると考えたからです。
 講義では各紙ごとの判決報道のニュアンスの違いを説明しながら、前回のエントリで触れた「編集権」の2つの論点についてもわたしの考えを話しました。マスメディアが組織ジャーナリズムである以上、組織としての一貫性と統合性が問われるのは当然です。マスメディア組織外へ向かっての「編集権」が、外部から制約を受けることは原則としてあってはならないこととわたしも考えています。しかしマスメディアの組織内の問題として「編集権」を考えていくと、マスメディアの内部で働く記者個々の良心、内心の自由の問題に行き当たります。一般論として、「編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる」(新聞協会の編集権声明=1948年)として、その編集権行使が権力監視に向けて働くのならともかく、権力におもねることに向けられるとしたら、マスメディア内部の個々の良心は組織の中で行き場を失ってしまうと思います。
 講義の後、学生の一人から感想を聞かせてもらいましたが、興味深く聞いてもらえたようで手ごたえを感じることができました。
 学生たちに話しながら、各紙の報道の見出しを比べるにしても社説、解説とともに本記記事(判決の内容を伝える基本的な記事で、各紙とも今回は一面に掲載しています)も並べた方が理解の助けになるかと思い、前回のエントリのその部分を以下にあらためて載せます。本記の見出しは一番大きな「主見出し」です。
【朝日】
本記:市民団体が逆転敗訴
解説:「期待と信頼」限定的に解釈
社説:勝訴で背負う自立の責任
【毎日】
本記:最高裁「期待権」認めず
解説:編集の自由、最大限に尊重
社説:報道の自由に重きを置いた
【読売】
本記:NHK逆転勝訴
解説:編集の自由尊重 「期待権」約束ある場合に限定
社説:「期待権」を退けた妥当な判決
【産経】
本記:最高裁逆転判決 原告の団体敗訴
解説:「報道の自由」に重き
社説:NHKと朝日は再検証を(「主張」)
【東京】
本記:NHKが逆転勝訴
解説:「政治家の影響」言及せず
社説:政治からも自由確保を

 講義テーマは次回から「ネット時代の新聞ジャーナリズム」に移る予定です。
 ところで、以前のエントリでは新聞は直接、法による取材・報道規制が問題になることがなかったと書きましたが、先日、メディア研究者らの勉強会に参加し、以外に知られていない直接の法規制が一つあることを知りました。検察審査会法の第44条です。
 第44条 検察審査員が会議の模様又は各員の意見若しくはその多少の数を漏らしたときは、1万円以下の罰金に処する。
2 前項の事項を新聞紙その他の出版物に掲載したときは、新聞紙に在つては編集人及び発行人を、その他の出版物に在つては著作者及び発行者を2万円以下の罰金に処する。

 会議の秘密は裁判員裁判でも論点の一つになっており、裁判員が秘密を漏らした場合の罰則規定は裁判員法第108条に設けられていますが、「新聞紙」「出版物」への罰則規定はありません。
 検察審査会法は1948年7月の法律です。漏らした検察審査員への刑罰よりも、掲載したメディア側の刑罰の方が重いのは興味深いと思います。おそらく敗戦後の占領下という時代背景があったのだと思いますが、機会があればこの規定が盛り込まれた経緯を調べてみたいと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-16 00:55 | 非常勤講師
 NHKが2001年1月に放送した「ETV2001 問われる戦時性暴力」が放送直前に改変された問題で、番組の取材に協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(バウネット・ジャパン)が、当初受けた説明とは異なる内容で放送されたとして、NHKと制作会社2社に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷が6月12日、原告の請求を棄却するNHK側の逆転勝訴判決を言い渡しました(判例検索システム)。
 争点は、取材を受けた側が、番組内容に抱いた期待が「期待権」として法律上の保護対象になるかどうかでした。また、この番組をめぐっては、改変に際してNHK幹部に当時の安倍晋三官房副長官(後の首相)らから圧力が加えられたと朝日新聞が報じた経緯もあり、その点も争点焦点になっていました。
 結果から言えば、最高裁は取材を受ける側の「期待権」は原則として法的な保護の対象にはならないとの判断を示しました。二点目も、安倍氏がNHK幹部に「従軍慰安婦問題について持論を展開した上、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」ことは認定しながらも、それがNHK幹部らにどう受け止められたかなどの判断は示しませんでした。
 「報道の自由」に直結するテーマが争点になっていたことから、13日付の新聞各紙朝刊もこの判決を大きく報じました。朝日、毎日、読売、産経、東京各紙の東京都内の最終版をチェックしたところでは、おおむね「報道の自由を尊重した判断」と受け止めている点は各紙共通です。その上で、社説や解説に各紙それぞれのニュアンスの違いが表れています。見出しだけを以下に列挙します。
【朝日】
解説:「期待と信頼」限定的に解釈
社説:勝訴で背負う自立の責任
【毎日】
解説:編集の自由、最大限に尊重
社説:報道の自由に重きを置いた
【読売】
解説:編集の自由尊重 「期待権」約束ある場合に限定
社説:「期待権」を退けた妥当な判決
【産経】
解説:「報道の自由」に重き
社説:NHKと朝日は再検証を(「主張」)
【東京】
解説:「政治家の影響」言及せず
社説:政治からも自由確保を

 今回はNHKという放送法の適用を直接受けている放送マスメディアの問題で、新聞にもこの判例がただちに適用されるかどうかは検討の余地があると思いますが、そのことはさておくとするなら、わたしはマスメディアの「編集権」「編集の自由」にどのようなイメージを持つかによって、今回の最高裁判決の意味は立場によって、人それぞれによって変わってくるのではないかと考えています。
 「編集権」の帰属主体を、自己完結した存在としてのマスメディアに求めるならば、最高裁判決はまさにマスメディアの「報道の自由」を取材相手との関係で最大限尊重したものとして、高く評価することができるでしょう。一方で、ではマスメディアの中で「編集権」はどこに帰属するのか、と考えると、別の論点が浮上すると思います。
 NHKなど放送局も加盟している日本新聞協会には、1948年3月に出された「編集権声明」があります。この声明ではまず「新聞の自由は憲法により保障された権利であり、法律により禁じられている場合を除き一切の問題に関し公正な評論、事実に即する報道を行う自由である」とし、「1 編集権の内容」に続いて、以下のようにうたわれています。

2 編集権の行使者
 編集内容に対する最終的責任は経営、編集管理者に帰せられるものであるから、編集権を行使するものは経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる。
3 編集権の確保
 新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。編集内容を理由として印刷、配布を妨害する行為は編集権の侵害である。

 今回のNHKの問題では、安倍氏らから圧力がかかりNHK内部で番組改変が上意下達で行われたとの趣旨の告発を取材担当者が行った経緯がありました。この点について、NHKが敗訴した2審東京高裁判決では、安倍氏との面談を経てNHK幹部がその意志を忖度して改変に動いたと認定されました。おそらく「内部においても~定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する」との方針の下で、改変が進んだのだろうとわたしは考えています。そうした「編集権の確保」の動機が政治への忖度だとしたら、編集権は公権力の監視のために行使されたのではなかったと言わざるを得ない、と思います。しかし、最高裁はそうした政治との間合いの脈絡でNHKの内部の事情を検証し、判断を示すことは避けてしまいました。
 新聞協会の声明が明示している通り、マスメディアの「報道の自由」の根底にある「編集権」には、対外的な側面と対内的な側面との2つの論点があります。わたしは、報道の自由をめぐって今回の最高裁判決が対外的な側面から積極判断を示したことは諒としつつ、対内的な側面では判断を示さなかったことに割り切れなさを感じています。マスメディアの在り方を考えるとき、今回の判決は手放しで評価できるものではないだろうと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-14 02:16 | 新聞・マスメディア