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 前回のエントリの続きになります。
 子どもの保護のためのインターネット規制法案が6日、衆議院で可決されました。事実上、審議なしの状態だったようです。参院でも同じように可決され、成立する見通しと伝えられています。「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律案」という名称です。新聞協会メディア開発委員会は同日、声明を発表しました。一部を引用します。

 有害情報かどうかの定義・判断については、憲法21条が保障する表現の自由の観点から、直接、間接を問わず国は関与すべきではない。「例示」といえども、有害情報がいったん法律で規定されれば、事実上の情報規制を招く根拠ともなりかねない。また、有害情報を実質的に判断するフィルタリング推進機関を国への「登録制」とすることについても、公的関与の余地を残す懸念がある。

 7日付朝刊の新聞各紙(東京都内版)の扱いですが、法案の衆院通過をごく短く伝え、新聞協会の声明も簡単に紹介したところが多い、との印象を持ちました。やはり既に〝落とし所〟は終わっており、相対的なニュースバリューは低い、という判断でしょうか。その中で、読売新聞が社説「有害情報から子どもを守れ」を掲載していること、毎日新聞が新聞協会の声明の全文を掲載(第3社会面に見出し3段)していることが目を引きました。
 新聞協会の声明は有害情報の「例示」が法案に盛り込まれていることに危惧を表明していますが、その声明を紹介している紙面には、法案の「例示」部分の紹介がありません(チェックした限りでは、読売新聞が4日付の朝刊で「法案の全文が判明」として概要を報じるなど、5日以前に紙面で紹介した例はあったようですが)。読者の側に立ってみると、新聞協会に「『例示』といえども、有害情報がいったん法律で規定されれば、事実上の情報規制を招く根拠ともなりかねない」と言われても、「例示」がどのような内容なのか分からないのでは、判断の材料としては不十分ではないでしょうか。原典を当たろうにも、週末の金曜日の6日に提案され即日可決されたためか、衆議院のホームページにも8日現在、法案全文は見当たりません。
 6日の動きについては、インターネット上のニュースサイトが一番詳しいようです(たとえばITmedia Newsの楠正憲さんの分析・解説記事)。
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by news-worker2 | 2008-06-09 01:22 | 表現の自由
 子どもの保護のためのインターネット規制法案をめぐって2日、衆院青少年問題特別委員会で与野党が基本合意したと伝えられています。3日の新聞朝刊各紙も一斉に報じました。共同通信の記事を一部引用します。
 インターネット上の有害情報から子どもを守るための法案化作業を進めている自民、公明、民主、共産の与野党4党による実務者協議は2日、有害情報の基準を策定したり判定したりする民間の第三者機関に国の関与を盛り込まないことで大筋合意した。
 ただ、有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングのソフトウエアの普及啓発や調査研究などを行う民間団体は「総務省または経産省に登録することができる」とし、国のかかわりを一部残す形で決着した。
 各党は早急に党内調整を進め、法案の今国会中の成立を目指す。

 けさ(3日)、大手紙各紙の東京本社最終版で記事の扱いをチェックしてみました。
 【朝日】1面に本記3段(見出し、以下同じです)、政治面(6面)にサイド記事
 【毎日】1面に本記4段、総合面(2面)にサイド記事
 【読売】2面に本記2段
 【日経】経済面に本記5段、サイド記事3段、とはもの1段、図解
 【産経】1面に本記4段
 【東京】総合面(3面)に本記4段

 各紙とも①有害情報の基準づくりに国は関与せず民間にゆだねる②フィルタリング技術の向上に関しては民間団体の国への登録を認め、一部だが国の関与が残った―とし、サイド記事では、規制を実効あるものにするには民間の取り組みが焦点になるとして、民間や業界の動向を主に取り上げています。
 トーンとしては各紙ともおおむね、有害情報の基準づくりに国の関与が排除されることになった点を、「表現の自由」の観点からプラス評価しています。朝日や毎日が1面でかなり大きな扱いにしたことは、この問題はヤマを越えたと各紙が判断したことを反映していると言っていいのではないかと思います。
 わたし自身は、有害情報の基準を国(=公権力)が恣意的に策定する可能性が低くなったことには安堵していますが、ヤマを越えたのは「『子どもの保護』『青少年の健全育成』を大義名分にしたネット規制法案をめぐる国会での与野党協議」という枠の中だけだと考えています。今後もネットが絡んだ子ども間のいじめや、子どもが被害に遭う事件が起き、大きく報道されることになれば「やはりネット規制には政府の関与が必要だ」との主張が息を吹き返す余地は残っていると思います。これはマスメディア自身の問題でもあるでしょう。
 また、仮に穏当な内容でネット規制法が今国会で成立するとしても、そもそもフィルタリングは有害情報の遮断に万能ではないという意見もあれば、「官か民か」という二者択一ではなく、政府から独立した行政委員会で対応すべきとの考え方もあるでしょう。
 今回の「ネット規制法案の行方」という政治、経済報道の〝落とし所〟は3日の紙面で決着かもしれません。しかし、既存のマスメディアは今後も、「表現の自由」をどう守るのかを常に意識しながら、多面的な視点で多様な意見、考え方を社会に伝えていくことが必要だと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-04 01:12 | 表現の自由
 明治学院大学社会学部での非常勤講師の講義は、昨日(5月31日)から「表現規制と新聞ジャーナリズム」のテーマに入りました。長らくの間、直接、法規制が問題になることがなかった新聞ジャーナリズムですが、この10年はさまざまな動きが相次いでいます。そのことを紹介し、その規制をはねつけ続けていくためには何が必要かを、わたし自身も考えていきたいと思っています。
 昨日の講義では「表現規制」という言葉の用法について説明しました。わたしが「表現規制」という用語で意味しているものには、新聞社や放送局、あるいは出版社や雑誌などの取材・報道活動を直接、法律による規制、制限の対象にする、ということも含んでいます。ですから人によっては、あるいは新聞や放送の報道でも多くの場合は「メディア規制」「取材・報道規制」と呼んでいることが多いと思います。しかし、この呼び方では、新聞や放送など、既存のマスメディアさえ直接規制の対象から外れれば問題はない、というイメージを与えかねません。
 かつて2001―02年当時、個人情報保護法案、人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案を指して「メディア規制3法案」とマスメディア自身が呼んでいたことがありました。このうち唯一実現した個人情報保護法を見ても、新聞や放送の取材・報道行為は適用除外とされながらも、社会に(とりわけ公権力の側の不祥事情報の開示に)過剰な反応が広がり、結果として市民の「知る権利」が阻害される、という事態が現に進行しています。01―02年当時、新聞各紙は大々的な論陣を張り、新聞や放送の取材・報道活動を直接規制の対象から外すよう、自らの媒体を使って強く主張しました。そのこと自体にわたしは異論はないのですが、自らへの直接規制が外れた途端に、法案が抱えている問題点を検証し追及する姿勢が急速にしぼみ、そのことが今日の個人情報の過剰保護(とりわけ公権力による)を招いた一因になっている気がしてなりません。
 インターネットをはじめとして、社会の情報発信手段が多様化している今日、表現の自由はマスメディアだけの問題ではありません。むしろ公権力の側の方が、そういった情報発進の多様化には敏感になっていると感じます。新聞をはじめとしてマスメディアの側は、仮に自らが直接の規制対象として明示されていなくても、表現の自由への規制の動きには、今まで以上に、そして公権力の側以上に敏感にならなくてはならないと思います。放送と通信の一元規制化が現実のものになりつつある今、いつまでも「新聞はネットとは違う」「ネットに規制は必要だ」と考えているのだとしたら、いずれ自らの首を絞めることになりかねないことを危惧しています。
 以上のような考えから、わたしはマスメディアが「メディア規制」「取材・報道規制」と呼んでいる表現活動の法規制の動きでも、あえて「表現規制」と呼ぶことにしています。

 講義ではまず、表現規制にかかわる現在進行の動きとして、裁判員制度と事件事故報道から話し始めました。だれが裁判員になるか分からない段階から、事件や事故の報道は始まっています。逮捕された容疑者について、読者や視聴者が報道によって予断や偏見を抱くことがあるとすれば、その読者や視聴者が仮に裁判員に選任された際に、公正な裁判が確保できるかどうかが危ぶまれるのは当然でしょう。事件事故報道が法によって規制されることがないようにするために、報道する側の姿勢が問われることになります。
 既にことし1月、新聞協会「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」を公表し、新聞各社も近く、事件事故報道の一定の基準を策定する見通しです。表現規制に対して、新聞のジャーナリズムの問題としてどう考えていくのか、学生たちの理解の助けになるような講義にしていきたいと考えています。
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by news-worker2 | 2008-06-01 23:40 | 非常勤講師
 青少年の健全育成を大義名分にしたインターネット規制の法制化の動きに対して、日本新聞協会メディア開発委員会が29日、意見をまとめ、関係国会議員に提出しました。
 日本新聞協会トップ
 「青少年のインターネット利用制限の動き」に関する日本新聞協会メディア開発委員会の意見

 意見の一部を引用して紹介します。
 情報が有害かどうかの判断は、主観的な要素も多く、時代や文化、社会環境によっても異なる。情報の内容を規制あるいは定義する法律は公権力の介入を招きかねず、憲法21条の保障する表現の自由に反する恐れがある。直接と間接を問わず、国がコンテンツの内容にかかわる問題に関与するべきではない。
 青少年のためにインターネット上のコンテンツについて何らかの規制が必要だとしても、果たして法規制が適切な手段なのか疑問である。いったん有害情報が定義されてしまえば、流通・閲覧の制限にとどまらず、表現内容の規制に拡大しかねない。表現にかかわる公的な規制が萎縮効果をもたらし、ネット以外のメディアにも同様の規制が広がることも危惧する。青少年を有害情報から守るための実効性のある手段については民間による自主規制を尊重すべきである。

 論旨は明快と言っていいと思いますし、わたし自身の問題意識とも多くの共通点があります。新聞協会がこのような意見を表明したこと自体は、とても意義深いことだと思います。
 さて、この意見表明を当の新聞が紙面でどう扱ったか、です。けさ(30日)の在京大手紙各紙の朝刊紙面(東京本社最終版)をチェックしたところでは、毎日、読売、産経、東京の各紙は第2社会面ないしは第3社会面でいずれも1段見出し(ベタ)の雑報扱い、朝日、日経の両紙には記事が見当たりませんでした。朝日のサイトには今夜(30日)、記事がアップされていたので、31日付の朝刊に掲載されるのかもしれません。
 この各紙の控え目の扱い、あるいは消極姿勢(掲載なし)は、もしかしたら自らの業界団体の主張だから大きく掲載するには気が引ける、というある種の奥ゆかしさの表れなのかもしれません。しかし、どうもわたしにはそうは思えません。やはり新聞にとって(とりわけ「紙」の担当者にとっては)、ネット規制論議への当事者意識は薄いのだと思います。このことは、かつての個人情報保護法や人権擁護法案に、新聞を含めた直接的な報道規制の条項が盛り込まれた際に、新聞各紙が紙面で繰り広げたキャンペーンを想起すれば分かりやすいと思います。あるいは、新聞の販売面でここ10年以上くすぶり続けている再販見直し問題で、公取委がアクションを起こすたびに新聞各紙が連日、紙面で大きく反論を掲載していたことを思い起こしても明らかだと思います。やはり「新聞は、有害情報があふれているネットとは違う」 との考え方が根強いのではないかと思えてなりません。
 「表現の自由」に照らして大きな問題であることを考えるならば、新聞はネット規制をジャーナリズムの問題としてとらえ、多面的に継続的な報道をしなければならないと考えています。
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by news-worker2 | 2008-05-31 01:43 | 表現の自由
 近況です。4月から毎週土曜日の午前、明治学院大学社会学部で、非常勤講師として新聞ジャーナリズムをテーマに講義をしています。きのう(24日)で6回が終わりました。
 講義では、新聞と「表現の自由」「知る権利」について、大きく3つの側面から取り上げる予定です。一つは自衛隊や在日米軍、イラク戦争など軍事報道、2つ目は個人情報保護法や人権保護法案などに代表される表現規制の立法化の動き、3つ目はインターネットなど他メディア社会の中での新聞ジャーナリズムです。
 きのうで「軍事報道と表現の自由」については区切りをつけました。ちょうど講義が始まるころ、名古屋高裁の自衛隊イラク派遣の違憲判断が示されたりして、実際の各紙の新聞紙面を手にしながら、自衛隊と軍隊とを問わず、軍事組織が必然的に帯びる秘密主義が、「表現の自由」や「知る権利」と直接、ぶつかっている現状を具体的に話しました。
 きのうは、中国潜水艦の火災事故を報じた読売新聞の情報源の幹部自衛官が、自衛隊法違反容疑でことし3月に書類送検された事件を取り上げました。この事件の特徴の一つは、情報を漏えいした自衛官だけが立件され、読売新聞の側は直接、捜査対象にならなかったことです。そのことをもって政府は「『報道の自由』や『知る権利』の侵害には当たらない」と強弁しましたが、問題は多々あります。こんな立件で有罪になるようなら、そしてこんなやり方が続くようなら、いかに公共性の高い情報であっても、だれも守秘義務に背いてまで記者やジャーナリストに伝えようとはしなくなるでしょう。そのことは軍事問題に限らず、内部告発を許さない社会へと進む危惧があります。その行く末に待っているのは、かつての大本営発表報道ということになりかねません。
 また、現憲法は軍事裁判所の設置を認めていませんが、仮に改憲で自衛隊の軍隊化とともに軍事裁判所が設置されれば、公共性いかんはまったく考慮されないまま形式的に「秘密の漏えい」の有無だけが審理される場となる可能性が高いと、わたしは考えています。そうなれば記者の側も無事ではすまなくなる恐れがあります。実際に、自民党が結党50年の2005年に策定した「新憲法草案」には、自衛隊を自衛軍に改変する事とともに、軍事裁判所を設置することが明記されています(ちなみに今回、講義に備えて自民党のサイトで以前はアップされていた草案を捜したのですが、見つかりませんでした。世論の改憲論議が冷めている中で、興味深い対応だと思います)。
 読売の中国潜水艦報道事件は現在進行形でもあり、検察庁が訴追するのか否かは、新聞のジャーナリズムに大きな影響があります。この事件について当の新聞は、ただ検察庁の動向を追う「落とし所報道」に終わることなく、社会的な議論の高まりに貢献すべく、多面、多角的な情報と意見を社会に提供し続ける責任を負っているはずだと考えています。

 さて、講義は次回からは表現規制に移りますが、やはり慣れないこととはいえ、消化不良の感は自分で否めません。当初は、昨年の共産党の内部資料公表で明らかになった陸自情報保全隊のイラク派遣をめぐる市民運動や取材活動に対する監視活動や、国民保護法の指定公共機関への放送メディア取り込みなどにも触れたかったのですが、時間が足りなくなってしまいました。
 非常勤講師の話を紹介してくれたのは新聞記者の仕事を退職後、大学教員に転じた方ですが、「わたしの体験から言っても『教えるは学ぶに通ず』だから。ぜひやってみてはどうか」と勧められました。「なるほど『教えるは学ぶに通ず』だな」と実感しています。自分では分かっているつもりでも、いざ、学生に話す、人に伝えるとなると、そうそう思った通りにはいきません。自分自身があらためて「学ぶ」つもりで、ポイントを押さえて要点をまとめておくことが重要だと痛感しています。次回以降は、きちんとしたレジュメを用意し、講義の進行管理を試みようと考えています。
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by news-worker2 | 2008-05-26 00:29 | 非常勤講師
d0140015_0175618.jpg 弁護士の日隅一雄さんから新著の「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか」を送っていただきました。日隅さん、ありがとうございました。
 何よりも、新聞と放送の2大マスメディアで働く第一線の記者にぜひ読んでほしい1冊です。本書は「権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する」との副題の通り、日本の新聞ジャーナリズムと放送ジャーナリズムが実は「新聞社」や「放送局」の会社ジャーナリズムであること、「新聞社」と「放送局」の在り方を決めている要因が読者や視聴者ではなく、国家権力(総務省による直接の電波管理行政に代表される)とメディア企業の資本持ち合い(クロスオーナーシップ)と広告業界(1業種1社制の不採用)の〝3点セット〟であることを、具体的に指摘しています。
 新聞社の記者であれば、新聞販売が独禁法の適用除外となっている再販制度や特殊指定のことはある程度は知っているでしょう。しかし、免許制の放送行政で、戦後間もなくは独立行政委員会が存在していたことを知っている記者は、経済部や文化部の一部の記者を除けば、どれぐらいいるでしょうか。逆に、放送局の記者の中で、新聞の戸別配達(宅配)のことを正確に理解している記者はどれぐらいいるでしょうか。クロスオーナーシップにしても、新聞社と放送局の系列関係は知識としては知っていても、それが「表現の自由」や「知る権利」とどのような関係にあるか、常日頃から念頭においている記者はどれぐらいいるでしょうか。
 マスメディアが身上としている組織ジャーナリズムは、一方で個々の記者が細かく担当分野別に分かれて日々取材している状況でもあります。政治部でも経済部でも社会部でも、特定の記者クラブに所属し、専門分野で日々取材に明け暮れし(そこでは他社との熾烈な「抜いた」「抜かれた」の競争があります)ていると、自分たちが身を置いているメディア界の全体状況や足元全体を見回す余裕はなくなります。わたし自身がそうでした。ましてやマスメディアの在り方を、そこで働く者同士の間で考え、広く議論する機会はなかなかありません。本書は、「表現の自由」や「知る権利」の観点に照らして、新聞や放送の「会社ジャーナリズム」が構造的に抱えているもろさや危うさを描き出していると言ってよく、まずは記者の一人一人が身の回りの現状を理解し、問題点を把握するのに役立つと思います。
 本書はさらに、会社ジャーナリズムの内側、メディア企業の中の諸問題にも切り込んでいきます。とりわけ編集権の所在について、もっぱら経営者に帰するとした日本新聞協会の「編集権声明」に疑問を投げ掛けている指摘は、メディア企業とそこで働く記者個人の内心の自由との関係で重要な論点だと感じました(「編集権声明」は1948年(60年も前の声明です)当時の文言のまま今日に至っているようです。日本新聞協会のホームページの「取材と報道」のページで読むことができます)。労働組合の形骸化の指摘に対しては、計3年間の専従活動を経験したわたしとしては切なさと若干の異論もあるのですが、基本的には返す言葉がありません。
 続いて本書は1990年代末以降のメディア規制立法の動きを追い、2010年に法案提出とされる「通信と放送の融合」がはらむメディア規制、表現規制の危険性を指摘し、最後に現状の改善への展望を示しています。
 繰り返しになりますが、1人でも多くの第一線で働く記者たちに読んでほしい1冊です。経営者にも本書の指摘を真摯に受け止めてほしいことは、言うまでもありません。
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by news-worker2 | 2008-05-07 00:12 | 読書
 きょう(5月3日)は憲法記念日。日本国憲法は施行から61年になりました。新聞もそれぞれに憲法を取り上げています。その中で東京新聞が特報面で、「長沼ナイキ訴訟」で1973年に自衛隊を憲法9条違反とする札幌地裁判決を出した元判事で弁護士の福島重雄さんに取材した長文の記事を掲載しているのが目を引きました。
 前回のエントリーで、朝日新聞が掲載した福島元判事の寄稿に触れましたが、きょうの東京新聞の記事も読み応えがあります。航空自衛隊のイラクでの武装兵空輸活動を違憲と判断した先日の名古屋高裁判決に関心がある方は、ぜひ手にとって読むことをお勧めします。
 以下に、記事の一部を引用します。

 「そんなの関係ねえ」(田母神俊雄航空幕僚長)発言に代表される司法軽視に憤る一方、司法自身の政治追従、憲法判断回避を「怠慢、不作為」と嘆く。ナイキ判決は、憲法判断回避が続けば「違憲状態の拡大を認めたのと同じ結果を招き、違憲審査権の行使も次第に困難にし、公務員の憲法擁護の義務も空虚にする」と〝予言〟していた。判決は、裁判所は政治的な判断をせず、ただ憲法に合うか否かだけを審査するものだと強調したが、多くの裁判官はついてこなかった。
 最高裁の長官や判事は、内閣に指名、任命される。「その最高裁が下級審を操る。どうしても政府の意向に沿うような流れになります。誰だって冷や飯を食うのは嫌だし、流れに乗って所長にでもなったほうがいいと思う。そういう裁判所の体制にしちゃったのがね…。本来もっと和気あいあいとした所だったが、司法行政がそういうふうにつくってしまった」
 ナイキ判決に対する自信は今も揺るぎない。「おかしな判決を書いたとは思いません」

 福島元判事の指摘は、マスメディアの組織ジャーナリズムにもあてはまる一面があるかもしれません。
 今回に限らず東京新聞の特報面は、テーマ設定自体からも取材した記者、担当したデスクの顔が見える、という意味で、わたしは共感を抱いています。

 けさの朝刊各紙は自宅で購読している朝日新聞、東京新聞以外はネットでざっと読んだだけですが、東京の大手紙各紙の社説の中では、「憲法記念日 論議を休止してはならない」とする読売新聞と、「憲法施行61年 不法な暴力座視するな 海賊抑止の国際連携参加を」とする産経新聞の両紙を興味深く読みました。
 4月8日に読売新聞が掲載した同紙の世論調査では、改憲に「反対」が43・1%と「賛成」の42・5%を上回る結果が出ており、これを受けてきょうの社説にどのような論調を掲げるのか、興味がありましたが、意外感はなく「やはりそうきたか」と感じる内容でした。
 少し驚きを感じたのは産経新聞です。見出しにもあるように、中東での日本船籍タンカーの海賊被害を取り上げ「これでは日本は国際社会の平和と安定に寄与することはむろん、国の安全を保っていくことも難しい。憲法守って国滅ぶである」と説きました。直接的に「改憲せよ」というような表現を前面に出すことはせず、読みようによっては(うがった見方かもしれませんが)一層の解釈改憲を主張しているようにも感じました。

 きょう一日、各地で憲法をめぐるさまざまな動きがあるでしょう。表現の自由が問われた映画「靖国 YASUKUNI」の一般公開も始まります。その一日をマスメディアはそれぞれにどんな風に伝えようとするのか。きょうは祝日で大学の授業は休講ですが、仮に授業があったとしたら、わたしは学生たちとそんな話をしたいと考えています。
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by news-worker2 | 2008-05-03 10:22 | 憲法
 新聞のジャーナリズムをテーマに、今月から非常勤講師として始めた明治学院大学での講義は26日が3回目になります。初回と2回目は、ガイダンス的に新聞のあれこれを話してきました。導入部の総論のつもりでしたが、取り留めのない内容になってしまったかもしれません。3回目から本論に入って、新聞のジャーナリズムの検証を進めていくつもりです。
 授業の本論では、まず戦争・軍事報道を取り上げようと思います。日本では全国紙、地方紙を問わず戦前からの歴史を持つ新聞が多いのですが、敗戦後の再出発に当たり、それぞれに戦争を止められなかった苦い経験を踏まえ、新しい民主主義社会の中での新聞の役割を確認しました。わたしなりに考えているのは、新聞の役割とは、突き詰めていくと「戦争を止める」ことに行き着く、ということです。それが実現できているかどうかは別の問題なのですが、わたし自身にとっては今でも変わらない職業上の責任だと考えています。
 新聞がいちばんこだわらなければいけないのは「表現の自由」と「知る権利」です。では、戦争になったときに「表現の自由」と「知る権利」に何が起こるのか。それは戦争になった時に起こるのか。それとも、戦争になる前から起きているのか。ささやかな個人的な経験ですが、そんなことを考えざるを得ない、わたしにとっては痛切な出来事が3年前、労働組合の専従役員だったときにありました。1945年の東京大空襲を調べていて、当時の新聞の「大本営発表」報道を目にしたことです。
 今日ならほんの少しの労力で、一夜で10万人を超える人々が死んでいったこの出来事のことを知ることができます。しかし、当時の報道はそうではありませんでした。

(1945年3月11日付朝日新聞の記事)
B29約百三十機、昨暁
帝都市街を盲爆
約五十機に損害 十五機を撃墜す
「大本営発表」(昭和二十年三月十日十二時)本三月十日零時過より二時四十分の間B29約百三十機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり
右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は二時三十五分其の他は八時頃迄に鎮火せり
現在迄に判明せる戦果次の如し
 撃墜 十五機 損害を与へたるもの 約五十機


 以上の見出しと「大本営発表」の本文部に続いて、おそらく朝日新聞の記者が書いたであろう記事が続きます。

(続きます)
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by news-worker2 | 2008-04-25 00:55 | 表現の自由

講義が始まりました

 近況です。
 先週の土曜日の4月12日、非常勤講師として明治学院大学社会学部で、新聞ジャーナリズムをテーマに週1回の講義を始めました。7月いっぱいまで計13、4回の予定です。最初に話があった際には「とてもそんな能力はない」とお断りしたのですが、話を紹介していただいた方(この方も元新聞記者で現在は大学教員です)から「『教える』は『学ぶ』に通じるのだから」と言われ、引き受けることにしました。
 「新聞ジャーナリズム」というテーマそれ自体はざっくりとしていますが、「表現の自由」と「知る権利」が今の新聞ではどのように実現されているのか(あるいは実現されていないのか)を検証することを目標にしました。人は自分と異なった意見に接し、知らなかった事実を知って、考えや意見が変わることがあります。だから「表現の自由」は憲法にも明記されているし、「知る権利」も自由な表現に接する権利としての意味でも重要だとわたしは理解しています。
 今までは、主に労働運動の場で「表現の自由」と「知る権利」について考えたり発言したりしてきました。非常勤とはいえ大学教員として恥ずかしくないだけの講義ができるか、心もとないのですが、最低限、検証可能な根拠や論拠を示すことと、わたし個人の意見や考え方の押し付けにならないようにすることを心がけて、授業を進めていくつもりです。学生がそれぞれに「表現の自由」や「知る権利」について一つでも二つでも感じ取るものが残るような講義にしたいと考えています。

 
 
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by news-worker2 | 2008-04-13 15:17 | 非常勤講師