ご訪問ありがとうございます。マスメディアの一角で働く美浦克教が「メディア」や「労働」を主なテーマに運営します。初めてお出での方はカテゴリ「管理人ごあいさつと自己紹介」をご覧ください。


by news-worker2
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

タグ:格差社会 ( 11 ) タグの人気記事

はてなダイアリーへ引っ越し準備中です

 労働争議を第三者の裁定に委ねようとする場合、行き先は大きく分けて裁判所と都道府県の労働委員会の二つがあります。裁判所の場合は、判決や決定に不服なら高裁などへ上訴する道があり、それと似て労働委員会にも、労働組合法に基づく国の行政委員会である中央労働委員会という上位裁定機関があります。中労委は使用者委員、労働者委員、交易委員の3者構成で各15人。少し前のことですが、その労働者委員に初めて連合(日本労働組合総連合会)以外から、全労連(全国労働組合総連合)出身の委員が16日付で選任されました。一般にはあまり注目されないニュースですが、わたしは労働運動の新しい機運を期待できる出来事として、好意的に受け止めています。
 労働運動のニュースをマスメディアの報道で見ていると「労働組合=連合」と受け止めてしまいかねないほど、労働側の動きと言えば連合ばかりが報道されています。日本のいわゆるナショナルセンターには、連合のほかにも全労連があるのですが、報道の上ではなかなか目にしません。厚生労働省の昨年6月現在の調査では、連合662万2千人、全労連68万4千人と、その組合員数には相当の差があることが主な理由と思います(少数意見にも光を当てるべき、との観点に立てば、いくら数に違いがあるとはいえ、現在のマスメディアの報道スタンスには問題があると考えていますが、ここではさて置きます)。別に労働組合の全国組織としては、国鉄労働組合(国労)などが加盟する全国労働組合連絡協議会(全労協)がありますが、ナショナルセンターとしてカウントされていません。このほか、連合、全労連のいずれにも加盟しない組合もあり、わたしが専従役員を務めた新聞労連もそうした「中立系」と呼ばれる産業別組合の一つです。 
 ここからはわたしの個人的な理解ですが、日本の労働組合運動は1980年代後半、連合と全労連の2ナショナルセンターへと再編が進む課程で、同じ産業内でも連合系、全労連系という風に産別組合が分かれていきました。分かれなかったところは連合、全労連の双方に入ろうにも入れない、どちらかに行こうとすると分裂するという状況でした。なので、もともと連合系と全労連系は仲がよくありません。労働界再編後の中労委員選任が連合独占で推移してきたのも、仮に労働行政当局が全労連系の委員を選任しようとしても、連合がそれを許さず(連合が労働行政に協力しない事態は、労働行政当局も避けたかったのだと思います)、結果として実現してこなかったのだろうと考えています。
 中労委員の連合独占に対し、全労連や中立系の労組、新聞労連も加盟する日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)は非連合系の委員選任を求めて共闘会議をつくり、統一候補を立てて推薦してきました。わたしもMIC議長として、この取り組みに参加していました。今回の非連合委員の誕生を、まずは素直に喜んでいます。同時に、そうした労働運動の潮流間の〝勢力争い〟の観点にとどまらず、労働運動に芽生えている新しい機運が育っていくことを期待できる出来事ではないかと考えています。その機運とは、働く者の権利の擁護のために潮流の違いを超えて共闘する、ということです。
 前回のエントリーでも触れましたが、ワーキングプアや貧困が社会問題化し、既存の労組とは一線を画した個人加盟ユニオンが立ち上がっています。その中で連合も全労連も、既存の労組間で縄張り争いに暮れている場合ではない、ということにとうに気付いています。実際のところ、わたし自身も争議の現場で、潮流の違いを超えて支援する、支援を受けるという体験をしましたし、既存の正社員労組が、非正規雇用の人たちと連帯・共闘を図る取り組みにも参加しました。そうした労働運動の中の新しい機運が、今回の中労委員選任にも反映されたのではないか。希望的観測に過ぎないかもしれませんが、わたしはそう受け止め、労働運動の今後に期待しています。
[PR]
by news-worker2 | 2008-11-21 01:05 | 労働運動
はてなダイアリーへ引っ越し準備中です

d0140015_162250100.jpg 書評と言うより、個人的な体験を重ね合わせた勝手な感想です。
 本書は、労働・雇用分野の社会的規制をめぐる流れが小泉政権時の規制緩和一辺倒から再規制へと転換しており、大きな転機は小泉元首相が退陣した2006年だったと指摘しています。厚生労働省官僚らによる「官の逆襲」の一面もあり、小泉「構造改革」の見直しと転換という側面と、政官財癒着構造の復活と既得権益の擁護という側面の二面性があることに注意を促しています。そうした指摘を踏まえた上ですが、わたしは「労働再規制」という今の流れを歓迎したいと思います。
 わたしは2回の労働組合専従役員の経験があります。最初は2001年から1年間、所属する企業の企業内労組でした。2回目は上部団体の産業別組合である新聞労連(日本新聞労働組合連合)で、2004年から2年間でした。わたしが労働組合専従を降りて、新聞産業の編集職場に復帰したちょうどそのころ、労働規制をめぐる動きに大きな転機があったことになります。
 新聞労連にいた当時のことで、思い起こすたびに今も切なさを覚えるいくつかのことがあります。そのうちの一つが、2005年の「郵政民営化」選挙です。公共サービスも例外を認めず市場競争に委ねることが、そこで働く人たちに過剰な負担と犠牲を強いることになるのではないか、との疑問をわたしは抱いていましたし、この流れが果てしなく進んでいったときに社会はどうなるのか、強い疑念も持っていました。労働分野の規制緩和が、新聞産業でも正社員から非正社員への置き換えを促進させていることに既に気付いていましたし、非正規雇用の人が理不尽に雇い止めに遭ったケースも見聞きしていました。争議支援にも加わっていました。だから、郵政民営化に反対する当該職場の労働組合の主張に、同じ労働組合運動に身を置く者としてシンパシーを持っていました。しかし、小泉首相の「労働組合は抵抗勢力」とのワンフレーズに、労働運動の側の声はかき消されていった観がありました。確かにわたしは規制緩和一辺倒の「構造改革」に「抵抗」する立場でした。自民党圧勝の結果をみながら、本当に切ない気持ちになりました。
 しかし、翌2006年8月の新聞労連役員退任・職場復帰のころには、社会の雰囲気も郵政選挙のころと変わってきた、との印象を持っていました。朝日新聞が先駆けた偽装請負告発のキャンペーン報道やNHKスペシャル「ワーキングプア」などによって、労働運動の内部では既に知られていた労働・雇用分野の「構造改革」のマイナス面が、かなり社会一般にも知られるようになっていました。また、既存の企業内労働組合とは一線を画した個人加盟のユニオンが次々と立ち上がり、独自の団体交渉や争議で、労働条件改善や企業に法令を順守させるなどの成果を挙げていました。そんな中でわたし自身は、正社員の仕事に就けないのも貧困状態に陥るのも、すべてを「自己責任」で片付けるわけにはいかないのではないか、と考えていましたし、既存の労働組合も企業内サークルに閉じこもるのではなく、個人加盟のユニオンなど、新しい労働運動の潮流とも連携していけるような自己変革を進めるべきだと考え、口にもしていました。
 その後の2年間余り、復職後は日常の雑事にかまけて、組合専従時代のようには労働・雇用分野の規制をめぐる議論を逐一フォローできずにいました。本書は、2006年以後に政策決定の流れが変化していった経緯を丹念に検証し、コンパクトにまとめており、頭の中を整理するのにとても役に立ちました。そして、3年前の郵政民営化選挙の当時と比べると、自分と同じ考え方の人が増えているのかもしれないと考えると、3年前から抱き続けている切なさの感情が、多少は軽くなったような気がします。
 本書は、労働組合の執行部に身を置き、自分たちの職場と仕事の今後を社会全体の変化と関連付けてどう考えていけばいいのか、運動方針を提起する立場の人には有意義な一冊だと思います。また、小泉元首相が政界引退を表明し、新自由主義の本家本元とも言うべき米国では大統領選でオバマ氏が圧勝した今、過去を振り返りつつ今後の社会のありようを考えて行くのにあたっても、有用な一冊だと思います。
[PR]
by news-worker2 | 2008-11-16 16:24 | 読書
d0140015_312379.jpg ベストセラーになって久しい小林多喜二の1929年の小説「蟹工船」を先日、新潮文庫版で買い求め、読みました。大学生のころに一度読んでおり、ストーリーはほぼ覚えていた通りでした。しかし読後感は大学生の当時とかなり違います。
 大学生当時の記憶はおぼろげなのですが、かつて日本にこんなことがあった時代があったのだと、歴史の一コマとして受け止めながらも、それ以上に思うところはありませんでした。もはや日本では、小林多喜二が描いたようなことは起こるまい、と漠然と考えていました。わたしは1979年に大学に入り83年に卒業したので、「蟹工船」を最初に読んだのはその間のいずれかの時期になるのですが、当時の日本社会は経済的には成長ムードが続いており、暴力と言えば権力によるものよりも、成田空港闘争など新左翼諸党派によるものや、それらの党派間のいわゆる内ゲバが大きなニュースとして受け止められていたように感じます。韓国で朴大統領が暗殺され、続いて光州事件が起きたことに大きな衝撃を受けたことが強く記憶に残っており、小林多喜二が虐殺されたことに対しても、日本でかつてあった事実であるということよりも、韓国で同じような弾圧が進行していることの方に強い印象を抱いていたと思います。
 あれから30年近くたち、個人的にも様々な経験を経て「蟹工船」を読み返してみて、今の読後感をひと言で表現すれば「高揚感」です。人が個々の存在を尊重されなくなったときに怒りが湧き、いくつもの怒りが集まり力となる、そういうことは現実に起こりうる、そのことを自分自身が理解できるという高揚感です。「蟹工船」で最後に組織的なストライキに至る労働者たちが感じたのと同種の怒りと、その怒りが行動へと収れんされていく運動を、わたし自身も労働組合の活動を通じて見聞きすることがあり、ささやかながら関与することもありました。一人ひとりは弱い存在でも、団結することで大きな力が生まれることを実感できた体験がありました。そのときに感じたのと同じ高揚感が残っています。
 一方で正直に告白すれば、高揚感があるということ自体を嫌悪する、そんな感情もあります。わたし自身の働き方は、期限の定めがなく、容易には解雇されない「正規雇用(正社員)」であり、長らく労働組合にも守られてきました。今なぜ「蟹工船」が読まれているのかと言えば、細切れの不安定な非正規雇用が若年層を中心に増大していることが大きな要因だと思います。あるいは名目上は「正社員」ではあっても、実態として働く者としての権利が守られていない「名ばかり正社員」もあります。自らの働き方を「蟹工船」の労働者たちと重ね合わせている人たちがいることに思い至るとき、では自分は何ほどのことをしてきたのか、と自問せずにはいられません。働く者の権利を守るために行動した経験ばかりではなく、動こうとしながら何もできなかった苦い経験もあります。そして今もいったい何をしているのだろう、何もできていないではないか、と考えてしまいます。
 しかし、自己嫌悪はあるにしても、「蟹工船」を読んで気持ちに高ぶりを感じる、この高揚感も大事にしなければならないと考えています。そして今後も「働く」ことの意味、「個」が「個」として尊重されること、「個」と「個」がつながることの意味と方法を考えていきたいと思っています。

 10月23日の東京新聞夕刊の文化面に、作家辺見庸さんのエッセイ「SFとしての『蟹工船』」が掲載されています。共同通信が配信している連載「水の透視画法」のうちの1回です。「蟹工船」が今日ベストセラーになって久しい、その状況の辺見さんなりの受け止め方として、興味深く読みました。「蟹工船」を書き、「一九二八年三月十五日」を書いて権力を怒らせた小林多喜二が虐殺されたその状況は、現在ではありえないことと安心していていいのか。辺見さんはそんな問いかけをしていると受け止めています。
[PR]
by news-worker2 | 2008-10-26 03:13 | 読書
 12日は午後から休暇を取り、船員の労働組合である全日本海員組合(海員組合)の通信員セミナーに講師として参加しました。依頼を受けたテーマは「新聞、雑誌の記事の書き方」。新聞記事の書き方のノウハウのうち、労働組合の機関紙の記事でも参考になりそうなことや、実体験に基づくわたしなりの機関紙論を約3時間にわたって話しました。終了後はセミナー参加者の交流会にも同席させてもらい、わたしにとっても有意義な話を何人もの方から聞かせてもらいました。
 海員組合には、労働組合として際立った特徴があります。日本の既存の労働組合が企業の社員ごとに組織される「企業内組合」であるのに対して、船員一人ひとりの個人加盟を原則としていることです。所属している船会社が異なっていても、「船員」「船乗り」という共通の職能で一つの組合にまとまっています。企業内組合が企業内の労使関係であるのに対して、海員組合は組合員が所属する船会社と個々に団体交渉をし、個々に労働協約を結ぶことになります。それぞれの会社と共通の労働協約を結べば、結果として海員組合に所属する船員は、どこの船に乗っていても一律の労働条件が担保されることになります。形式的にはいわゆる「単位組合(単組)」ということになりますが、実体としては、「船員」という職能の「産業別組合(産別組合)」です。
 これを新聞産業にあてはめて考えると、例えば「新聞記者」を職能と想定すれば、個人加盟の〝新聞記者組合〟がそれぞれの新聞社と共通の労働協約を結ぶことによって、どこの新聞社で働こうが、新聞記者組合の組合員である限り、一定の労働条件が担保されるということになります。セミナー終了後の交流会で「実は、わたしたちのような個人加盟の〝産別〟がもう一つあります。どこだか分かりますか」と聞かれました。答えはプロ野球選手会です。
 産業を問わず、日本の企業で契約社員や派遣社員などの非正規雇用が増大している中、伝統的に正社員で組織されてきた企業内組合による企業内の労使交渉には限界が目立つようになっていると、わたしは考えています。正社員であると、非正規雇用であるとを問わず、同じ産業で働く同じ職能の労働者ならだれでも加盟できる個人加盟の産別組合であれば、今の企業内組合ではできないような幅の広い取り組みも可能になるのではないか、と思います。

 新聞労連委員長だった当時に海員組合とはお付き合いがあり、今回と同じように記事の書き方の研修の講師を務めたこともありました。当時の縁で今回、声を掛けてもらいました。ありがとうございました。

 海員組合のホームページはこちらです。
[PR]
by news-worker2 | 2008-09-13 01:16 | 労働運動
d0140015_152787.jpg
 賃金が生活保護水準を下回るような「ワーキングプア」や「偽装請負」、「名ばかり管理職」など、働き方、働かされ方をめぐる話題が最近は報道でも目につくようになっています。本書は、実例に基づいたその現場の実態のリポートです。同時に、労働者の権利や労働組合運動の意義についても深く考えさせられる1冊です。

 著者は労働事件を豊富に手掛けている弁護士。取り上げているのは8つの事例で、いずれも著者が実際に担当したケースばかりです。著者自身による内容の紹介(NPJ=News for the People in Japanより)を引用します。


 私がこれまで担当してきた事件を素材に、実践的に労働法の内容を解説すると共に、たたかうこと、労働組合への団結の重要性、それをてこに政治を変えることの重要性を書いた書籍です。
 名ばかり管理職と残業代、賃金の一方的切り下げ、パワハラ、解雇、雇い止め、派遣労働者の解雇、整理解雇、そして労働組合のたたかい。弁護士が関わる労働事件については、分野の多くを紹介できたのではないかなと思います。また、それらの事件に関わる法令については、ひととおりの説明を加えるのはもちろん、最新情報として、労働契約法、労働審判法の情報も盛り込みました。

 わたし自身が労働組合運動にかかわってきた経験から今も思うのは、「ワーキングプア」も「偽装請負」も、「名ばかり管理職」も、あるいはパワハラや理不尽な解雇、雇い止めにしても、働く者が無権利の状態に放置されていることにほかならないということです。働く者として当然に擁護されていなければならない権利がないがしろにされていることであり、著者はそうした状態も含めて「人が壊れてゆく」と表現しています。
 対使用者との関係では、労働者は圧倒的に弱い立場です。賃金や労働条件に不満や疑問があっても、一人では口にすることすらできません。そうすれば、たちまち仕事を失うことになりかねないからです。著者は法曹実務家として、法律の専門知識でもって、弱い立場の労働者の側に立ち、権利の擁護のために活動しています。本書はその記録です。
 一方で、弱い立場の労働者でも団結して声を合わせれば、使用者に対等の立場で対抗していくことができます。そこにこそ憲法28条が定める労働3権(団結権、交渉権、行動権)と労働組合の重要さがあると思います。憲法や労働諸法制が労働3権を保障していることは、労働組合それ自体が働く者の権利として保障されていることにほかなりません。一人では圧倒的に弱い立場にある労働者は、労働組合という権利を独力で手にすることもまた困難です。だからこそ、既存の労働組合が何をするのかが今日、問われているのだと思います。労働組合という「権利」を既に手にしている労働者が、未だその権利を手にできていない労働者と連帯し、権利を広め拡大していくことが、結局は自分たちの権利を守り抜くことにつながるのだと思います。
 労働組合が「権利」を口にするとき、往々にして「既得権にしがみつく利益団体」という批判を浴びます。今や「権利としての労働組合」の在り方を一から考え、模索し、行動すべきだと思います。企業内組合が企業内のサークル活動と化していないか、そんな反省に立つことが必要だと考えています。
  「名ばかり管理職」の問題にしても、「管理職」だから労働組合員ではありえない、ということに、今まであまりにも疑いを持たなすぎたのではないでしょうか。「管理職」と呼ばれる労働者としての労働組合運動が追求されていいと思います。本書を読んで、あらためてそんなことを強く感じました。
[PR]
by news-worker2 | 2008-09-11 02:00 | 読書
d0140015_19103025.jpg ことし4月に刊行されたときから早く読みたいと思いながら、先日ようやく読み終えました。著者の湯浅誠さんはNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長。研究者やジャーナリストとはまた違う視点から、ホームレスや生活困窮者の支援の具体的な実践を踏まえて書かれたリポートです。豊富な実例や統計データの精緻な分析が掲載されていますが、その紹介はここでは割愛し、わたしにとって印象深かった点をいくつか紹介したいと思います。

 第一は、貧困が社会の問題として見えていないとの指摘です。第3章「貧困は自己責任なのか」で著者は「貧困の実態を社会的に共有することは、しかし貧困問題にとって最も難しい。問題や実態がつかみにくいという『見えにくさ』こそが、貧困の最大の特徴だからだ」とした上で「姿が見えない、実態が見えない、そして問題が見えない。そのことが、自己責任論を許し、それゆえにより一層社会から貧困を見えにくくし、それがまた自己責任論を誘発する、という悪循環を生んでいる。貧困問題解決への第一歩は、貧困の姿・実態・問題を見えるようにし(可視化し)、この悪循環を断ち切ることに他ならない」と指摘しています。「本人の努力が足りないからだ」との「自己責任」の先入観がある限り貧困は可視化されない、という意味に受け止めています。
このことは、マスメディアの報道にもかかわってくる問題なのではないかと考えています。ここ2年ほどの間に、報道でも「ワーキングプア」という用語が定着し、「格差」が社会の問題として位置付けられるようになった観があります。しかし、知識として「ワーキングプア」や「格差社会」を意識しているつもりではいても、一歩踏み込んでマスメディアがどこまで「貧困」を社会問題として意識しているか。やはりマスメディアの側が自己責任論から完全には解き放たれていないのではないか。本書を読んで、そのことに思い至りました。

続きます
[PR]
by news-worker2 | 2008-08-15 02:20 | 読書
 漫画家の赤塚不二夫さんが2日午後、72歳で死去しました。
 手元にある3日付の朝日新聞、東京新聞各朝刊とも、本記は一面準トップ、社会面の半分以上を使って関連記事を掲載しています。あらためて知ったのですが、代表作のひとつになる「おそ松くん」の連載開始は1962年。60年生まれのわたしは幼児期、おそ松くんが大好きでした。幼稚園では友だちと、イヤミの「シェー」の真似をして遊んでいましたし、チビ太のおでんは串刺しなのに、どうして母が作るおでんは串に刺さってないのか不思議でした。その後の「天才バカボン」「もーれつア太郎」は、小学校でいつも友だちと共通の話題でした。
 戦後の高度成長にどっぷり漬かって大きくなったと指摘されるわたしたちの世代にとって、赤塚ギャグ漫画はいつも身近でした。皆が明るく、上を向いて歩いていられた時代の象徴だったのだと感じています。赤塚さんのご冥福をお祈りします。
[PR]
by news-worker2 | 2008-08-03 09:39 | 近況・雑事
 お知らせです。
 以前のエントリで紹介したシンポ「憲法25条・生存権とメディア」のやり取りの詳報がサイト「憲法メディアフォーラム」にアップされました。トップページからPDFファイルでダウンロードできます。31枚分と大部ですが、ぜひ一読ください。

 サイト「憲法メディアフォーラム」トップ
[PR]
by news-worker2 | 2008-05-30 00:17 | 憲法
 この数日、日本マクドナルドがいわゆる「名ばかり管理職」を見直し、店長にも残業代を支給すると発表したり(20日)、トヨタ自動車が「QCサークル」活動に残業代を支払うことを決めたと報じられたり(22日)と、正社員労働者の働き方、働かされ方をめぐる報道が相次いでいます。企業の労務管理のコンプライアンスをめぐる動きとしてわたしも注目していますが、例えば朝日新聞がマクドナルドについて「ただ、店長手当は打ち切り、支払う給与の総額は増やさないといい、待遇改善の効果は薄いとみられる」と書いているように、形を変えて賃金抑制や長時間労働が続くのではないかとの懸念も指摘されています。
 マクドナルドについての朝日新聞21日付朝刊記事を一部引用します。
 ハンバーガーチェーンの日本マクドナルドは20日、直営店の店長約2千人に、8月から残業代を支払うと発表した。権限が大きくないのに残業代が支払われない「名ばかり管理職」だと指摘されていたためだ。ただ、店長手当は打ち切り、支払う給与の総額は増やさないといい、待遇改善の効果は薄いとみられる。
 残業代を払うようにするのは、直営店の店長のほか、複数の拠点を管理する「エリア営業管理職」数百人。社内では管理職との位置づけは変えないが、法的には「経営者と一体的な立場」とされる「管理監督者」ではなくなる。上に立つ管理監督者は、「ディレクター・オブ・セールス(販売部長)」が務める。
 店長には、これまで基本給、成果給に加え、店長手当などの「職務給」があった。今回の制度変更で職務給がなくなり、代わりに残業代にあたる「時間外労務手当」を払う。残業代の支払い総額の見込みは示さなかったが、店長らへの給与の支払い総額は、いまと変わらないという。

d0140015_2393135.jpg 雇用の規制緩和で有期雇用や契約社員、派遣社員、パートなど細切れで不安定な働き方を強いられている非正規雇用が労働者の3分の1を占め、偽装請負などの違法な雇用やワーキングプアが社会問題になっている一方で、正社員という働き方、働かされ方も過酷になってきていると感じざるをえません。雇用や労働の現状を社会の問題としてどういうふうにとらえ理解し、今後のあるべき方向をどうやって探っていけばいいのか。その一助になるのが、弁護士の中野麻美さんの「労働ダンピング―雇用の多様化の果てに」(岩波新書)です。

(続きます)
[PR]
by news-worker2 | 2008-05-23 01:10 | 読書
d0140015_0193660.jpg 以前のエントリーで報告したシンポ「憲法25条・生存権とメディア」でのやり取りを聞いていて、堤未香さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」を思い出しました。
 全5章にわたって、米国社会の貧困の問題を詳細にリポートし、それが米国一国の問題にとどまらないことが浮き彫りにされていきます。中でも、貧困の拡大がイラクで「戦争の民営化」を支えている、との指摘には大きな衝撃を受けました。ここでわたしの拙い表現で本書の内容を紹介することはやめて、プロローグの最後の部分を引用、紹介します。

 同じアメリカ国内で、貧しいために大学に行きたくても行けない、または卒業したものの学費ローンの返済に圧迫される若者たちや、健康保険がないために医者にかかれない人々、失業し生活苦から消費者金融に手を出した多重債務者、強化され続ける移民法を恐れる不法移民たち…こうした人たちが今、前述したフェルナンデス夫妻と同じように束の間の「夢を見せられ」、暴走した市場原理に引きずり込まれているのだ。(中略)
 そこに浮かび上がってくるのは、国境、人権、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを超えて世界を二極化している格差構造と、それをむしろ糧として回り続けるマーケットの存在、私たちが今まで持っていた、国家単位の世界観を根底からひっくり返さなければ、いつのまにか一方的に呑み込まれていきかねない程の恐ろしい暴走型市場原理システムだ。
 そこでは「弱者」が食いものにされ、人間らしく生きるための生存権を奪われた挙げ句、使い捨てにされていく。(中略)「民営化された戦争」に商品として引きずり込まれていくという流れは、この本に出てくるさまざまな例を通して映し出されている。


 2003年3月にイラク戦争が始まって以後、イラク民衆の戦争被害のほかにも、わたし自身の関心はイラクで死んでいく若い米兵たちにもありました。彼らはこれまでどこでどんな時間、人生を送り、何を思い軍に志願し、どういう経緯でイラクに送られたのか。それらの一つ一つがジャーナリズムの課題でもあるだろうとも考えていましたが、堤さんのルポは、これらのわたしの「知りたい」に十分に応えてくれました。

 貧困が社会不安を増大させ、ひいては戦争を招く要因であること、だから平和を永続させるためには貧困の解消が必要であり、そのために労働者の地位の向上と権利の保護が必要なこと。これらは人類が戦争を繰り返す中で得てきた歴史の教訓だと、わたしは労働運動に身を置く中で考えるようになりました。言い方を変えれば、労働運動とは本来的、根源的に平和を永続させるための運動でもあるはずだと考えています。
 数ある国連機関の中で、労働者の地位向上と権利の保護を大きな目的とする国際労働機関(ILO)が生まれたのは、第一次世界大戦が終結した1919年でした。そのILOの憲章前文には次のように明記されています。

 世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができるから、
 そして、世界の平和及び協調が危くされるほど大きな社会不安を起こすような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件が存在し、且つ、これらの労働条件を、たとえば、1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務であるから、
 また、いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となるから、
 締約国は、正義及び人道の感情と世界の恒久平和を確保する希望とに促されて、且つ、この前文に掲げた目的を達成するために、次の国際労働機関憲章に同意する。


 今の日本社会の貧困が先々、わたしたちに何をもたらすのか。貧困の解消のために何が必要なのか。いずれの課題を議論するにも、まずは「今起きていること」が知られなければなりませんし、今までの例えば労働運動が貧困を生まないために、貧困の解消のために何をしてきたのかも検証が必要だと思います。堤さんのこのリポートは、ジャーナリズムと労働運動の双方にかかわってきたわたし自身にとって、大きな道しるべだと感じています。

参考 ILO駐日事務所ホームページ
 *ILO憲章の日本語訳文があります
[PR]
by news-worker2 | 2008-04-27 02:53 | 読書